「それで広瀬、どう? できそう?」
コーヒーの入ったマグをふたつ持って、恭子が自分の机に歩み寄る。
「あー。こりゃちょっと無理ですね」
普段恭子が腰かけている事務椅子に座って、普段恭子が向かっている事務机の上で何やら色々弄り回していた弘司は、事務椅子をくるりと回し、向き直った正面の恭子に小さく肩を竦めてみせた。
その机上にあるもの。
小さな花を幾つかつけたサボテンの鉢がひとつ。
大小幾つかのスタンドルーペ。
スタンドライト。
そして、弘司の一眼レフ。
「具体的に、どの辺が問題なの?」
「ええ、もうサイズからしてダメです。このカメラじゃどうやって撮っても『スタンドルーペの写真』になっちゃいますね」
実演するように、弘司はカメラを構えてみせる。
レンズのすぐ前には恭子のスタンドルーペが立っている。
だが。
「ああ‥‥‥そういうこと」
収まらない、と言いたいのだろう。そこにあるのは恭子の手持ちの中では最も大きなルーペだが、横に細長いのが災いしてか、縦方向にはカメラのレンズの方が若干長いらしい。仮にそのままシャッターを切ったら、スタンドルーペの向こうにあるサボテンの花でなく、サボテンの花を捉えたスタンドルーペのレンズを撮った写真、のようなものができあがるであろうことは想像に難くない。
「接近して写真を撮るには専用のレンズがあるんですよ」
「それは持ってないの?」
「いや、今んとこは天体専門なんで、生憎」
「ふーむ、ダメか。いいアイデアだと思ったんだけどな」
レンズの前からひょいと拾い上げたスタンドルーペを弄びながら、恭子は反対側の手に持ったマグからコーヒーを啜る。
「どうしてもこういうルーペで、って話なら、逆に、そこら辺に普通にあるようなデジカメの方がやりやすいと思いますよ? レンズが小さければ縁まで入りませんし、写ってたとしても、パソコンに取り込んじゃえば余計な縁を捨てるくらい簡単ですし」
「そう? うーん、だったら部の予算でデジカメ買っちゃおうかしら」
「部の予算、って園芸部のですか? ‥‥‥いいんですか先生がそんなことして?」
弘司は何やら心配げな表情になり、
「そんなことって広瀬、一体私がどんなこと企んでると思ってるワケ?」
心配げな弘司の顔を見た恭子は不満そうに目を細める。
「え? 何って‥‥‥このままにしておくとせっかく花の咲いたサボテンが枯れるのは時間の問題だから、枯れてしまう前に、遺影?」
「何が遺影よ。久住みたいなボケかましてると、久住みたいにこき使うわよ?」
「勘弁してください。あ、先生、コーヒーうまいです、とっても」
「取って付けたみたいに言うなっ」
言い捨てながら、ちょうど弘司が空にしたマグを奪う。
「でも仁科先生」
「ん?」
「こんなスタンドルーペとか、何種類も要るような仕事なんですか? 保健の先生って」
不意にそんなことを聞かれると、
「え、そうね‥‥‥まあ、要るといえば要るけど」
どうしても、答える方は歯切れが悪くなってしまう。
実は、ウィルス研究を使命とする恭子は近くて小さなものばかりを見ている。顕微鏡の類いやルーペの類いは地下研究室には一通り取り揃えてあって、今ここに持ち出されているものはそのうちのごく一部だ。
だが、そのことを説明するためには、それ以外のこともいろいろと説明しなければならない。
今はまだその時期ではない。恭子はそう思う。
「ま、カメラのことはちょっと橘とも相談してみるわ。本当に買うような話になったら、また改めて広瀬に相談に乗ってもらうかも知れないけど」
「って、それ先生のカメラになるんでしょ? 橘さんと何の相談するんですか?」
「あーのーねー」
まだ弘司は、部費を着服して私物のデジカメを買おうとしているとか、そういうことを疑っているらしい。
「部費で買ったら部の持ち物だもの、園芸部の活動に使うに決まってるじゃない。メモと一緒にそういう写真も記録に残るようにしたら資料として読み返す時にいいんじゃないかとか、後でそういうの蓮美祭の展示に使えないかとか、いろいろ」
想定される用途を指折り数えながら、不意に恭子は疲れたような溜め息を吐く。
「確かに私、この間までは何もしない顧問だったわよ。でも、橘みたいにやる気のある新入部員がわざわざ来てくれたんだから、そりゃ私だって、橘のためにいろいろ考えなくちゃって気にもなるわ。そういうの、わかるでしょ? 同じ弱小クラブの部長なんだから」
「すいません。俺、先生のこと、ちょっと見直しました」
「だから見直す前はどう思ってたワケ?」
「うっ‥‥‥」
苦々しく見えそうな顔を作りながら、手近なスタンドルーペを持ち上げて弘司の顔を覗き込む。
そのまま、二の句が継げないでいる弘司の少し困った表情をしばらくアップで堪能してから、二杯目のコーヒーを注いだマグを、恭子は弘司の手元に置いた。
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