the last resort.[26650215]  


  

「何とかならないのかしらね」
 ぶつくさ呟きながら、CDから適当にエンコードしたデータを、恭子は美琴愛用のシリコンオーディオに放り込んだ。
「ありがとうございますー‥‥‥って、何がですか?」
「だってコレ、今コピーしたデータって聴けないんでしょ? 藤枝の家でアイ‥‥‥何だっけ、何とかいうソフト通さないと」
「ええ、まあそうらしいですけど」
 そう言って美琴は曖昧に笑う。やっぱり、よくわかっていないらしい。
「でも、こうやってもらったデータ、すぐに聴いてみたかったりとかしないの?」
「そう思うんですけど、でも、そういう仕組みになってるみた」
「そうだ!」
 美琴の言葉は途中で遮られた。
「その手があるわ。‥‥‥天ヶ崎、ちょっと」
 すぐ目の前の恭子が美琴に手招きをする。
 不審そうに顔を近づける美琴の耳元で、ひそひそと恭子が囁く。
「なるほど‥‥‥了解しました隊長!」
 敬礼か何かのような、微妙に様になっていないポーズをとって言い、踵を返した美琴はその場を後にする。



「ほら、天ヶ崎だって、いつまでもデータもらう度に藤枝に厄介になるワケにいかないじゃない」
「それはまあ、確かに不可能ではないと思いますけど‥‥‥でも、あの仕組みには著作権を保護するという重要な目的があるんですから、冗長なようでも、きちんとそれに則って」
 想像通り結は渋っている。
「著作権保護って、それ要するに自分で買ったデータ以外は使えないようにするってコトでしょ? こんな時だけ厳しいコト言って、それじゃこの間結が大喜びでコピーしてあげてた東京プリンとかはどうなるのよ」
「う‥‥‥いえ、でも、それとこれとでは」
 ふたつ返事で頷く筈もない、くらいのことは、当然、恭子にもわかっている。
「お待たせしましたーっ」
 そこへ美琴が戻ってきた。
 手元のビニール袋、そしてさらにその中の紙袋に収まった『必殺の切り札』が、かさかさと擦れて音をたてる。
「そ、それはっ!」
「だから0.5秒で反応しないの。犬じゃないんだから」
 途端に、美琴に飛びつかんばかりの勢いで目を爛々と輝かせる結の襟首を、後ろから恭子が右手でがしっと掴んだ。
「でも、あのビニールに透けて見える紙袋の模様は、隣町の名店『クィーン・オブ・タルキスタン』! そしてこの香りは、1日に多くても数十個しか作られないという幻のプ」
「お座りっ!」
 びたん。
 『飛びつかんばかり』から『飛びついた』に移行しかけた結は、鋭い恭子の声に反応して、思わず四つ足で着地してしまう。
「って、生徒の前で何をさせるんですか恭子先生! 私、犬じゃありませんよ!」
「犬じゃないならまず立って、ほらそこの椅子に座り直す。‥‥‥ったく。予測の範囲内とはいえ、あっという間にそんなに見境なくならないでよ。これが同じ教師だと思うとちょっと恥ずかしくなるわ正直」
「‥‥‥ううう」
 言われる通り、結は数秒前まで自分が腰掛けていた椅子に座り直した。
 だが、あまりの勢いについ数歩後ずさった美琴が、それでもまだ提げたままでいるビニール袋に、あくまでも結の視線は固定されている。
 そこに。
「わっ」
 結の視線を塞ぐように、真っ白い物体が目前に現れた。
「その馬鹿高いプリン、寮生で両親なしの少ない小遣い叩いて、天ヶ崎は自腹で買ってきてるんだからね? ‥‥‥わかってるわね、結センセ?」
 困った様子の結は首を巡らせて、意地悪そうに片頬を吊り上げる恭子の顔を見つめる。
「で、でも‥‥‥」
 視線を動かして、結を拝むように、ぎゅっと瞑った目の前で両手を合わせる美琴を見つめる。
「その‥‥‥」
 その肘から提げられた袋をじっと見つめて、こくり、と喉を鳴らす。
「‥‥‥クィーン・プディング‥‥‥」
 最早、籠絡は時間の問題であった。



「あら。確かにおいしいわね、これ」
「でも、ひとつ1,200円もするんですよ? こんなちっちゃいのに」
「仕方ないわ。必要経費よ」
 作業机で何かをしている結の背中を眺めながら、美琴と恭子がそのプリンを食べている。
 こちらの応接机には、既に空になったカップがひとつと、手つかずのカップがひとつ。
 結のためのふたつはそれぞれ契約金と成功報酬、恭子のそれは交渉人のギャランティ。‥‥‥たかだかプリン4つが税込み5,040円、と思えば高くつく買い物だが、あの白いシリコンオーディオ本体を買ったと考えれば、出費自体はそれでもまだ、定価の半値を下回っているくらいだった。やっぱり美琴はそれのことを気に入っていたし、保奈美に全部やってもらうことにも申し訳ないような気分があったから、いきなり5,000円の出費は痛かったが、美琴もそれで納得している。
 ‥‥‥実は、結が前から食べてみたい食べてみたいって騒いでいたそのプリンにちょっと興味が湧いただけ、なんて言ったら天ヶ崎は怒るかしらね?
 目的と手段の逆転を自覚している不埒な交渉人は、カップに匙を入れながら、心の中でだけ、ぺろっと舌を出してみせた。
「でも、本当にいいんでしょうか? そんな改造なんかしちゃって」
「よくはないわよ、もちろん。いいことだったら、こんな餌ちらつかせなくたって、結センセなら喜んでやってくれるわ。充電器はすぐ作ってくれたでしょ?」
「そこ、餌とか言わないでください! 人を何だと」
 背中越しに結から苦情。
「そう言って欲しくないなら簡単に釣られないでください」
「‥‥‥はい」
 即座に恭子の反撃に遭い、敢えなく敗退。
「今だけよ。天ヶ崎が自分で用意できない間だけ、中のデータは借りてるとでも思えばいいわ。だから、天ヶ崎が信用されてるからみんなそうやって貸してくれるんだってコトは、これからも忘れないようにね」
「はい」
 神妙な顔で美琴が頷く。
「もうすぐできますよー」
 結の声が聞こえた。
「はいはい。じゃお茶淹れ直しとくわね」
 答えた恭子も席を立つ。
「これで、単純にコピーしただけの曲をそのまま、スピーカーから‥‥‥っと」
 呟きながら作業をしている結のさらに向こうから、初めて耳にする歌が聴こえてきた。

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