「『これどう思う?』とだけ訊かれましてもですね」
少し困ったような顔で、摘み上げたそれを結はじっと見つめた。
指で挟んだ金属製の針の先には同じ材質の台座がぶら下がっていて、限りなく無色に近い宝石がひとつだけ、その中心に填められている。
「まあ、ピアスの片方ですね、としか言いようがないです。あとは、この宝石は多分アクアマリンでしょう、ということは言えると思いますが‥‥‥それよりも恭子、こんなものを一体どこで? しかも片方だけって」
「私が見つけたんじゃないのよ。橘が昨夜、温室で拾ったんですけど、って持ってきたんだけど」
こちらも何やら困った顔をした恭子が、そこまで言ってコーヒーを啜る。
「ほら、せっかく私んところに届いたんだからさ。例えばこれが生徒の持ち物だとしたら、まあ、先生に見つかる前に返してあげたいじゃない? 多少のお説教はしょうがないにしても、こう、穏便に」
例えば、最初の届け先が深野のような教師であったなら、お説教だけでは済まない可能性が高い。
「でも恭子だって先生じゃないですか」
ピアスをそっと机に戻してから、結は混ぜ返した。
「命が懸かってるんでもない限り、保健室は無条件に生徒の味方ってことでいいのよ」
恭子は無駄に胸を張る。
「私も先生ですよ?」
そんなことを言ってはいるが、結としても徒らに事を荒立てたいわけではない。
「それは‥‥‥まあまあ固いこと言わないの。ほらコーヒー淹れたげるから」
買収に応じる意思を示すように結のマグカップは差し出され、頷きながら恭子はそれを受け取る。
「調子いいんだから」
ピアスを落とした誰かにとっては非常に幸運なことに‥‥‥その本人すらも知らない間に、不埒な買収の密約はごくあっさりと成立したのだった。
「でも、難しいんじゃないでしょうか」
「何が?」
「それはもちろん、他の先生方にわからないように、ピアスの落とし主を探すことが、ですよ」
「ん、やっぱそこよね。どうしたもんかしら」
まず、落としたのが本当に生徒なら、そもそも名乗り出ないだろう。
恭子がピアスを持っていることは、落とし主にはわからないことだ。どこで落としたか把握しているなら直接温室を探すだろうし、わからないのに無駄に保健室に来る筈はない。誰にも‥‥‥教師には特に、そんなものを探している、と悟られたくはないであろうからだ。
また、名乗り出てくれるようなら話は簡単なようにも思えるが、実際は逆であった。
その場合の出頭先は恐らく職員室であり、対応するのは生活指導の深野であろう。そうなると、叱られた挙げ句、『届いていない』と聞かされることになる。実際、職員室には現物が存在しないのだから仕方がない。
『生徒が出頭した』ことが、その件とも生活指導とも関係のない恭子にわざわざ知らされるとも思えないが、かといって、恭子の方から余計な探りを入れたことで事が大きくなるというのも得策ではない。
恭子派としては‥‥‥意外に、上手い手立てに思い当たらない状況なのであった。
「取り敢えず、それとなーく温室に目を配る、っていうことと‥‥‥まあ、私と結の人望に期待、っていう消極策はあるとして」
「内緒で相談されるかも、っていうことですね」
「そういうことで片付いてくれるといいんだけどね。諦められちゃうのも可哀想だし」
「あの。‥‥‥本当に、諦めるでしょうか」
やや改まった様子で、結はそんなことを訊いた。
「え?」
「根拠はないんです。でも、『片方しかない』ことが、私はちょっと気になっていて‥‥‥例えば、ピアスの片方ずつを彼氏と持ち合っている、としたら」
「諦めたくも、彼氏に言いたくも、ない?」
「そうです。そういう可能性」
そこまで聞いて、
「‥‥‥ああ、嫌なこと思いついちゃった」
急に恭子がげんなりと項垂れる。
「へ?」
「元々ひとつしか持ってなかった、って話聞いてて思い出したんだけどね。『右の耳ならおかまだが、左の耳なら勇者の印』って」
何のマンガの台詞だったかは憶えていないし、そのマンガが元々どこからそういう情報を仕入れてきたのかもわからないが、とにかく、そういうことを何かで読んだような憶えが、恭子にはあった。
「何ですかそれ?」
「片耳にピアス、っていうこと自体が意味を持つケースもあるっていうこと」
実際に符丁あるいはサインとして用いられるのは、もしかしたら『左』の方であるかも知れない。だがまあ、どちらであっても同じことだ。
「つまり、相手云々と関係なく、最初からひとつしか必要じゃないっていう可能性があるわ。だからってピアスをひとつ単位では買わないだろうから、もしかしたら、失くしはしたけど特に困ってない、っていうこともあり得るかも」
ふたり揃って、ふ、と息を吐く。
「全然絞れませんね、落とし主の人物像」
「‥‥‥そういえば、石がアクアマリンだ、っていうことには何か意味あるのかしらね」
改めて、机上の石を摘み上げた。
「それこそ、持ち主に直接訊かないことには」
結は小さく肩を竦めた。
保健室の扉がノックされたのはその時だった。
「失礼します」
入ってきたのはスーツにぴしっと身を固めた女性で、
「あれ、玲じゃない。どうしたのわざわざ?」
「ええ。実は一昨日、温室で落とし物をしてしまって、できたら探すのを手伝‥‥‥っ、て」
恭子が摘んだそれを見て、驚きのあまりか、彼女はそこで止まってしまったようだった。
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