「それでそれで、クリフさん、今日のお話は?」
横でレティがクリフを急かした。
「んー。そうだなあ」
何やら思案顔のクリフが適当に爪弾くリュートの音は、いつもの騒がしい喧噪に紛れることなく、四方の壁に弾けて消える。
‥‥‥この通りに詳しい者のほとんどに、荒くれ者どもが大声で内緒話をする店と認識されている『転がるりんご亭』だが、今夜に限っては、しんと静まり返っている、といっても過言ではないくらいであった。
そもそも客がほとんど荒くれ者の類ではない。
普段の顔馴染みも、クリフの席に程近い客席を埋める女性と子供のさらに外側から、遠巻きに中心のふたりを眺めているのが少しいるくらいだ。
「おじちゃーん、早くー」
「早く早くー」
「誰がおじちゃんだコラ」
いつものように、囃し立てる子供たちに怖い顔を向けるが、子供の方も慣れたもので、けらけらと笑うばかりで一向に怖がる様子はない。
「クリフおじちゃーん」
調子に乗ってレティも失礼なことを言い、
「レティまでソレか」
「きゃーっ」
調子に乗って怖がる振りなどしてみせるが‥‥‥『振り』をする気があるのなら、せめてその満面の笑みはもう少し抑えるべきじゃないか、とクリフは思う。
「ごほん。えー」
ひとつ咳払い。
「そうだな。それじゃ今夜からは、悪神を滅ぼすために善神が授けた、十個の運命石を巡る物語を」
「夕方の書き入れ時に、りんごのパイにワッフルだと。菓子屋だなまるで」
どこをどのように噂が流れたのか、『クリフの日』に来るのは女性や子供が多い。普段と客層がまったく違うため、この日ばかりは料理のメニューも全然違うものにしなければならないが、それはそれで料理人冥利に尽きるということなのか、ぶつくさ言いながらもどこか嬉しそうに、ハワードは厨房を切り盛りしている。
「本当。お菓子でお酒呑むだなんて、考えてみたら不思議な酒場よねえ」
こちらも普段と変わらず、忙しそうに店内を走り回りながら、レイチェルは時折首を傾げる。
「ま、喜んでるんだからいいだろ。ほら持ってけ!」
「はーい! お待たせしましたー」
‥‥‥始めた頃は聞きたがる相手もレティだけだったし、大体、吟遊詩人を自認する者にしてみればイロハのイでしかないこんなことが、最終的にこのような人気を博するまでになるとは、喋っているクリフ自身も考えていなかった。
だが実際、自身が長い旅のどこかで耳にした様々な物語を語って聞かせる演し物は、今や歌姫レティのステージと人気を二分する『りんご亭名物』になり果せていたのだった。
「まずは十ある石のうちひとつ。水のアクアマリンは青い宝石だ。澄んだ海の水をひと掬い掴み取ったような、透き通った色合いが美しい」
見てきたようなことを言うが、クリフが知っているのはそれが登場する物語であって『水のアクアマリン』の実物ではない。
「しかもただ綺麗なだけじゃなく、水の加護を受けていて、持つ者を炎の災いから遠ざけるといわれる」
「それじゃ、火の宝石を持ってると?」
「そう、火のルビーは水から来る災いに効果がある。運命石は十種類、さっきの水とか火みたいに、それぞれに相反する災厄を封じる効果があるって話だ。そんなの十個も持ってるから、実際ただの人間でしかなかった男が、悪神を討ち果たすようなこともできたわけだ」
リュートを爪弾きながら、見てきたような話を続ける。
「後にアクアマリンはとある王国の国宝になるが、それが、その王が亡くなったのと時を同じくして王宮から消えてしまった。そこで王国の皇太子ナイトハルトは、特に選んだ何人かの冒険者に、水のアクアマリンを極秘裏に探すよう依頼を出す。で、それを引き受けた冒険者の中に、魔物の襲撃によって生まれ育った城を追われた、ナイトハルトとはまた別の王子がいた」
ここまでの間だけでも王子様がふたり現われている。
最終的には何人の素敵な王子様が‥‥‥女性陣がうっとりと溜め息を漏らした。
「‥‥‥俺も王族らしいんだけどな」
「‥‥‥でも王子様ではなかったですよね」
小声で話して、ふたりだけでくすくす笑う。
「さて、その新しい王子様だ。アルベルトという名のその王子は、何人かの仲間と共に、隠し場所の最有力候補だという湖の洞窟へ向かった」
「ちなみに、お仲間も王子様やお姫様だったりして」
「いやそれはない」
女性陣が何人か、レティと一緒に肩を落とす。
そんなに王子様好きか。
心の中でだけクリフは突っ込みを入れる。
「それこそ、水の色をした石を湖の水の中から探し出すような難しい仕事だ。魔物も襲ってくる。探索は難航を極めたが、結論からいうと、遂に一行は水のアクアマリンを探し当てた」
「あれ、意外とあっさり見つかっちゃうんですね」
「この辺の苦労話なんか全部やってたら、それだけでレティが婆ちゃんになるくらい時間掛かるけど」
「さあ先を急ぎましょうクリフさん!」
「‥‥‥とにかくまあ、探し当てた。では問題、このあと石はどうなったでしょう?」
じゃかじゃん。
「え‥‥‥だから、皇太子に渡される、んですよね?」
急に訊かれてレティは慌てた。
「ところが渡らなかったんだ。アルベルト一行は、石を持ったまま行方を眩ませる」
「えー! それは酷いです!」
「それはそれでまた別の事情があってだな‥‥‥ま、今日はこの辺にしておこうか」
「ようやく出番か!」
唐突に、りんご亭の玄関口に現れた男がいる。
「さあさあ皆さんお立ち会い。この青い石が、湖の洞窟から王子様に見出された、運命のアクアマリンだ」
手に持った籠の中に、僅かに青み掛かった透明な石が幾つか転がされている。
「そんなワケねえだろ! どっから出てきたウェン!」
入口に群がり寄った女性たちの歓声に、クリフの声は呆気なく掻き消されてしまった。
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