「へ? アク‥‥‥ア、マリン?」
聞き慣れない言葉に、洋一は怪訝そうな顔をした。
「そうだよ。あ、知らない? 三月生まれなら誕生石はアクアマリン、あとは珊瑚と、ええと確か、ブラッドストーンっていうの」
指折り数えて、優希は得意げに胸を張ってみせる。
「まあ、言っといて何だけど、ちゃんと見たことはわたしもない、かな」
直後がこの告白でなければ、洋一の感心したような表情も、もう少し長続きしたかも知れなかったが。
ある晴れた日の午前中。
ふたり一緒に長めの休憩時間をとって、宝飾店へ向かう道すがらのことだ。
「いや、婚約指輪って誰でもダイヤなのかと思ってた」
言いながら、洋一の脳裏にあるのは、実は財布の中身のことであった。
ダイヤモンドでない方へ話が行きかけているのはわかるが、そもそも存在自体知らなかったようなアクアマリンとやらがダイヤより安いという保証もない。
「最近はみんなそうだって聞くけどね。元々は、贈られる人の誕生石がついてるリングだったみたいよ?」
「んー、そもそもその誕生石っていうのがよくわからないんだけど」
「男の人はそうかも。馴染みはないだろうし」
生まれた年によって干支が決まっているように、あるいは生まれた日によって誕生花が決まっているように、生まれた月によって宝石が決まっているのだそうである。
優希の言葉にあった通り、三月生まれの誕生石はアクアマリン・珊瑚・ブラッドストーン。
「ちなみにわたし、あと一日誕生日が遅かったら、誕生石もダイヤだったんだけどね」
「え、それは、ダイヤが四月の誕生石だから、とかそういうアレ?」
「そうそう。そういうアレ」
優希の誕生日は三月三十一日。あと一日遅れていれば誕生月は四月、その誕生石はダイヤモンドか水晶。
「でもそれって‥‥‥どうなんだろうな」
うーんと唸って洋一は腕を組む。
「何が?」
「いやほら、婚約する相手が何月に生まれてるかなんて、本人だって選んでそうなったことじゃないし、指輪買うこっちが選べることでもないわけだろ? でもそんなことで婚約指輪の石が決まっちゃうんだとすると、例えば誕生石がダイヤの月に生まれた人と結婚したい男は、そうじゃない男と何か違うこと考えるのかな、とか」
つまり、偶然ダイヤが誕生石の女性と、偶然ダイヤでない何かが誕生石の女性が‥‥‥生まれつき高くつく女と、生まれつきお買い得な女、のように言ってしまっては下世話に過ぎるが、その人自身の問題とは何も関係ないところに、そういう妙な格付けが何かある、という風にも受け取られかねない。
それはいいことなのだろうか。
「結局それで、みんながダイヤにしたがったから途切れちゃった言い伝えなんじゃないかなあ、って思うかな」
「‥‥‥そうなるよなあ。なんか俺も、そうなっちゃった方がいいんじゃないかって思う」
取り敢えず一律でダイヤということにしてあれば、どこの誰が言い出したのかわからない誕生石などというものに振り回される必要はなくなる。
「それはそれで、ダイヤ売りたい人の陰謀、っていう気もしなくはないけど」
「それを言ったら、誕生石からしてそうじゃない」
「まあそうなんだけどなー」
ものの本によれば、『誕生石』の出自を辿っていくと聖書に行き着くらしい。
‥‥‥らしいのだが、しかし今日の『誕生石を宝石として婚約した相手に贈る』風習そのものについて、聖書に記述があるわけではない。
ということは‥‥‥今も昔も、それを『風習』にしたい誰かが、この世のどこかで元気に蠢いているわけだ。
「何かこう、バレンタインとかクリスマスとか、そういう陰謀の匂いがする」
「まあまあ、そっちの方にはウチのお店も普通に便乗しちゃってるんだし、突っ込まないでおこうよ」
人の悪そうな笑みを浮かべた顔を見合わせる。
「で」
あと一歩進めば宝飾店のドアに手が届く、というところで、不意に洋一は足を止めた。
「ん?」
釣られて優希も足を止めるから、ふたりで店舗の玄関口に立ち塞がるような格好になる。
「結局、優希はどっちがいいんだ? そのアクア何とかとダイヤだったら」
「アクア何とか」
即答であった。
「ダイヤじゃないのか」
「まあ、買ってもらえるのは嬉しいんだけど、仕事しながらずっとつけてられる指輪でもないし、見せびらかしたい相手だってそんなにいないしね。それにほら、そういうところで贅沢するのは『バイナリィ・ポット』がもうちょっと何とかなってからでも」
「‥‥‥本当、『バイナリィ・ポット』好きなのな、優希って」
「そうかもね。よーいちも気をつけないと、花嫁さんをお店に横取りされちゃうかもよ?」
「既に半分そうなってる気もちょっとするけど」
「あはは」
何やら楽しそうに優希は笑って、
「よーいちのお店だから、だよ」
それから、硝子扉のドアハンドルに手を掛ける。
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