Bの福音  


  

「じゃあ今年も」
 事務室の壁に吊られたカレンダーを指で弾いて、それから、優希はくるりと洋一に向き直った。
「大晦日は早めに店じまい?」
「うん。正月三が日は休み、新年は四日から営業」
「今年も同じだね」
「そうなんだよな‥‥‥」
 そこで洋一は、何かを考え込む仕草。



「どしたの?」
「いや、何かないかなと思って。親父がやってたことと全然変わらないっていうのも、いや別にいいんだけど、でも何かこう」
「何か、っていうと‥‥‥ええと、イベントとか、そういう感じのこと?」
 洋一の様子に釣られたか、口を挟んだ佳澄の首もやや傾いている。
「あ、もしかしてロングバケーション?」
「慰安旅行とかかも。温泉とかいいなあ、ほら最近寒いし‥‥‥ねえ店長! 温泉行きましょう店長!」
 奈都子と里美が勝手なことを言い始める。
「温泉‥‥‥って、さっちゃんね」
「安心してください。誰も優希さんから店長奪ったりしませんから!」
「ちょ! いや、ってそそそんなこと言ってるんじゃなくて! ‥‥‥えいっ」
 ぺちん。
「痛っ! って何だよ優希!」
 突然頭を小突かれて洋一は抗議の声を挙げるが、
「洋一が何か煮え切らないこと言ってるから話がおかしくなったんでしょ!」
 八つ当たりの犯人側には悪びれる素振りもない。
「まあまあ、おふたりとも。この辺で一旦、話を元に戻しましょう」
 見かねた佳澄がふたりの間に割って入った。
「で、洋一くん。『何かこう』っていうのは?」
 どこか明後日を睨みながら、洋一が話し始める。
「はい。‥‥‥例えば、こう、元旦も営業したらどうなるのかなとか、大晦日から元旦まではオールナイトとかどうかな、って思ったり」
「んー。それは何か、あんまりお客さん来なさそうじゃない?」
「うん。俺もそう思う」
「え、自分で却下‥‥‥」
 その点に関する限りは、洋一の態度も実にあっさりしたものだったが、
「だからそういう、『営業時間を変える』とかいうことじゃなくて、でも正月って何かないのかな、と」
 それはそれとして、
「例えばだよ? そのままやろうっていうことじゃなくて、例えば、あー、駅前、まあ初詣の神社でもいいんだけど、そういうとこに出店出す」
 この話にはそういう続きがあるらしい。
「出店?」
「この店のコーヒーカウンタそのものを担いで行って、その場で注文聞いてコーヒー淹れて紙コップで売る。流石にどこにもないだろう、そこまでやってちゃんとしたコーヒー淹れる出店は」
「無理‥‥‥」
「まあまあ。できるできないは後の話ということで」
 何か言いかけた優希を佳澄が止める。
「え、それなら店長、キッチンは持って行かなくていいんですか?」
 代わりに手を挙げたのは奈都子だ。
「それもちょっと考えたんだけど、キッチンも、となると流石に、規模が出店じゃ済まなくなる。大体お客さんの方が、ゆっくり座って一息吐いて、って状況でもないだろうからなあ」
「‥‥‥なるほど」
「はい。はーい店長!」
 次は里美。
「はいさっちゃん」
「お店でクッキーか何か作ってればいいんじゃないですか? で、袋詰めして出店に持って行くとか」
「いやその前に、出店でちゃんとコーヒー入れるっていうのが既に無理」
 断固反対、と優希の顔に書いてある。
「やっぱダメか?」
「それは難しいよ。その場で挽いて淹れて、ってわたしがいろいろやってる間、お客さんずっと待たせてるわけでしょ?」
「あー、実はそれは思ってた」
「この寒い中、そこまでやってもコーヒー待っててくれる人なら、普通にお店やってれば来てくれると思う」
 わたしは、そういうコーヒーを出してる。
 少しばかりの誇りも込めて、優希はそう言った。
「なるほど。うん、正しいな」
 洋一が頷くのを見て、ちょっと嬉しい気分になる。



「じゃあ出店はナシとして‥‥‥何かないかな? どうせ休む気だった正月の時間を使って、その時じゃないとできないようなこと」
「洋一くん、ひとついい?」
 手を挙げたのは佳澄だ。
「はい」
「それ、お店の設備使ってもいいのよね? だったら、前からずっと、機会があったらやってみたいなって思ってたことがひとつあって」
「ええもちろん、いいですよ店使っても。それで?」
「ええと‥‥‥すごく簡単にいうと、『逆バイナリィ・ポット』なんだけど」
「‥‥‥逆?」
 佳澄以外の全員が怪訝な顔をする。
「『ファン感謝デー』みたいな感じかな? いつもアンケート書いてくれたり、メンバーカード持ってるお客さんに招待状出して。来たお客さんは普通にいつも通り過ごしてもいいんだけど、自分で自分のコーヒーを淹れたり、キッチンで軽く作ったりもできるの。ウェイターとかウェイトレスのコスチュームを貸してもいいし」
 確かにそれは、『逆バイナリィ・ポット』とでもいうべき何かであった。
「で、例えばコーヒーカウンタにはいつも優希ちゃんがいて、希望者にはコーヒーの淹れ方を教えてくれる。私もPC自作とかメンテナンスのアドバイスならできると思うし」
「それならあたしと奈都子で、普通のスイーツ講座と、激甘スイーツ講座を‥‥‥激甘って需要あるのかな」
「千歳ちゃんが喜んでくれそう」
「あった‥‥‥需要があった‥‥‥ッ!」
 ただの思いつきに過ぎなかった年始の特別企画だが、何やら、思っていたよりも充実した内容になりそうだ。

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