青く高い真夏の空に定規で白い線を引くように、まっすぐに伸びていく飛行機雲を目で追いながら、
「本物は意外と白っぽいんですね。もっと青いのかと思っていました」
芝生に寝転んで、ミリィは空を眺めている。
「え、そうかな? これでも今日は、大分青い方だと思うんだけど」
同じ空を見上げているのにこれだけ反応が違うと、洋一としても、何だか少し不安な気分になる。
「うーん‥‥‥ちょっと期待過剰だったかも知れません。誰がどれだけの環境汚染を行おうとも、『ワールド』の空は混じり気なしの青でしたから」
首元から漏れ聞こえる微かな駆動音と共に、ミリィの顔が洋一の方を向いた。
どことなく面影も似ているし、瞳の色や髪の色や額についたマークといった細かい意匠に注目すれば、それは確かにミリィのようではある。だが、今そこにいるのは、『ワールド』の始まりから終わりまでを共に過ごし、今は『バイナリィ・ポット』店内のサーバに住んでいるあのミリィとはまるで異なる、大人びた姿の女性だ。
「そうか。がっかりさせちゃって悪かったな」
「そんな! それは店長のせいではありません!」
「洋一さん、だろ。今日はオフなんだからさ」
「あ‥‥‥あう‥‥‥その、よ、洋一さんの」
言われて頬を赤らめたり、もごもごと口篭りながら視線を彷徨わせたり。
何もそんなことまで再現できるように作らなくても、と思うようなところまで‥‥‥ストロベリーフィールズ社が持てる技術のすべてを注ぎ込んだ次世代女性型介護ロボット試作一号機は、生きた人間にそっくりの出来映えであった。
ところで、そのロボットの振る舞いがあまりにも人間的であることには、そういった表現が可能なハードウェアであることの他に、ロボットを操っているのがミリィだから、という理由もあるだろう。
要するにバーターだ。
オリジナルのミリィによる機体の稼動データ採取を兼ねて、『バイナリィ・ポット』は次世代女性型介護ロボットの試作品を受け入れる。
当然、製品としてのロボットに内蔵されるクラスの小さなコンピュータにミリィのような巨大なシステムをすべて押し込めることは不可能なのだが、それでも、世界に誇れる一級品のハードウェアに比べればソフトウェアはやや不得手、という一般的な評価の改善に躍起になっているストロベリーフィールズ社は、喉から手が出るほど欲しかった、反応が人間的であることにかけては当代随一のプログラムともいえるミリィを構成する技術を一部なりとも獲得することができる。
また、そこで行われる作業は本来の用途である介護業務とは異なるが、より直接的な客商売であり、客層も老人ホームなどに比べれば遥かに多岐に亘るため、『今後ロボットが一般社会にどう受け容れられるか』などに着目した場合には、より実際に即した情報が日々得られることにもなろう。
一方の『バイナリィ・ポット』にとってみれば、そんなロボットの存在自体に宣伝効果が期待できる。その上、導入費用も維持費用も基本的にはストロベリーフィールズ社持ちで、ほとんど経費の掛からない優秀な人手がわざわざやってきてくれるというのだから万々歳だ。
洋一がストロベリーフィールズ社のお歴々にそんな話を持ちかけ、最後にはきっちり口説き落としてきたと話した時は、優希あたりは大袈裟に頭を抱えてみせたりなどしたものだったが‥‥‥しかし、それは本当に、『現実世界でミリィとデートしたかったから』というだけの浅薄な話などではなかったのだ。
『蛙の子は蛙』ということわざは、案外正しいのかも知れない。
「それで、その、わたしは」
まだ目を伏せたままのミリィが小さな声で呟く。
「ん?」
「よ、洋一さんを、がっかりさせちゃったりですとか、あの、そういう」
「しないって。がっかりなんか」
「でも、それでは」
洋一がそっと置いた手のひらの下で、ミリィの頭が大きく動いた。
俯いていた顔を上げて、今にも泣き出しそうな瞳を洋一に向ける。
「がっかりされてなくてわたしは嬉しいですが、でも本当は、がっかりしていただかないと‥‥‥結婚とか、そういうのできなくなっちゃうかも知れませんよ? それって‥‥‥つまり人間の、普通の男の人としての、そういう一般的な幸福を、わたしが洋一さんから取り上げちゃうようなことになってしまったらって、そういうことを思うと、わたし」
「‥‥‥いや、今まで俺の方に何も選択の余地がなかったんなら、そういう心配とか、してもらえた方がよかったのかも知れないんだけど」
洋一の手のひらが、ゆっくりとミリィの頭を撫でた。
「悪いけど俺、もう選んじゃったからさ。今頃そんなこと言われたって手遅れっていうか。だから、俺にミリィを諦めさせるために頑張る、なんて無駄な努力するくらいなら、むしろ‥‥‥そうだな、例えば妊娠できるようになる方に努力してみるのはどうだ?」
「に‥‥‥っ!」
あらゆる意味で、恐らく無理だろう。
技術的に可能であっても恐らく世間が許しはしない。
「無茶苦茶ですよそれって」
ミリィ自身ですらそう思うのだが、
「でも、人間とプログラムとが恋に落ちることだって、ちょっと前まで『無茶苦茶』だったと思わないか? そう考えると、何となくでも何か前進はしてるような、そういう気もちょっとするんだけど」
洋一という男は、意外に楽観的な男のようであった。
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