青く高い真夏の空に定規で白い線を引くように、まっすぐに伸びていく飛行機雲を目で追いながら、
「私のFGAマーク2も月から降ろしてはありますし、やってみることに異存はないのですが」
大使館の大きな窓越しに、カレンは空を眺めている。
「しかし結果としては、恐らくフィーナ様の御期待には添えないでしょう」
「カレンがやっても駄目かしら?」
「はい。十中八九」
自らの非力を認める話の上においても、カレンの発言は率直かつ明晰だった。
「カレンで駄目なら、あれを追い詰められる者はきっと誰もいないわね。少なくとも月には」
同じように窓から外を見つめてフィーナが呟く。
「誰が、ということではないと思われます。あれと同じデバイスが使えるならともかく、FGAやFRSといった普通の戦闘機にとっては、そもそもあれは天敵のようなものですから」
「どうしても、現代の技術でロストテクノロジーの相手をするのは難しい、ということね」
「申し訳ありません‥‥‥それに、駐在武官の権限で未だに機体は確保していますが、部隊を離れて随分経ちました。私はもうエースではありません」
「あら、それはどうかしら? ただのエースなら何人かいるそうだけれど」
ふ、と息を吐いて、正面のフィーナはティーソーサーに紅茶のカップを戻す。
「『ロットドラッヘ』なんて勇壮な綽名を持つトップエースの武勇伝は、他ではあまり聞かないわ」
現在の落ち着いた振る舞いから当時を想像することは難しいが、武官として王宮付きになる前、部門に名立たるクラヴィウス家の中にあってはむしろ跳ねっ返りとして有名だった頃のカレンには、実は宇宙軍の戦闘機部隊でエースと呼ばれていた時期がある。
主力機の更新によって当時からの愛機は型落ちになってしまったものの、その新世代の主力機を用いてすら、徹底的な専用機としてのチューニングと念の入った整備が未だに施され続けている深紅の愛機と、格闘戦で対等に渡り合える者は未だにほとんど現れていないという。
ちなみに、彼女が眼鏡を掛けるようになったのは、ちょうど王宮付き武官への転属が決まった頃だそうである。それ故か、特に身体を壊したわけでもないのに部隊を去らざるを得ない現実や、パイロットとして部隊にいたかった自分の気持ちに折り合いをつけるべく、『視力に問題がある』と自分に言い聞かせるために用意した伊達眼鏡で、実はまったく度が入っていない、などという妙な噂まで囁かれたくらいだ。
‥‥‥あの深紅の愛機を未だに手元に置いているあたり、心残りがあったのは本当のことかも知れない。
「そんなことまで御存知だったとは」
唐突にそんな昔話を聞かされたせいか、やや顔を赤らめた様子のカレンだが、それも一瞬のことで。
「いずれにせよ、昔の話です」
とん、と刀を床に突いて、ソファから腰を上げる。
「準備が終わり次第、取り敢えず上がってみます。ですが‥‥‥繰り返しになりますが、本当によいのですか? 恐らく実効はないとはいえ、FGAなどであれを追い回してしまっても。あれは」
「ええ。実際には、『私たちは警戒している』ということがアピールできるだけでいいと思っているの。だけどそうはいっても、まるで脅威にもならないような戦力を幾らひけらかしてみても、こちらのメッセージはやはり、私たちが思ったようには伝わらないもの。そういう意味でも、今回のことについては、カレンとFGAマーク2の組み合わせが適任だと思っています」
続いて、フィーナもその場に立ち上がる。
「こちらに撃墜する意志はなくても、あちらは攻撃を躊躇わないかも知れません。攻撃するためというよりは、むしろそういった危険からあなたが身を守るために、それなりの装備を用意する必要はあると思います。カレンは不要と言うでしょうが、戦闘装備を承認しますから、あとはカレンの判断で、万事やりやすいように計らってください。ただし、近隣を飛行中の民間機や地表の建物に危害を加えないことが承認の絶対条件です。その点にだけはくれぐれも注意して」
「承知いたしました」
敬礼をしてから、再び窓に視線を走らせる。
一度は斜めに窓硝子を横断し、窓枠の外へと消えていった筈の飛行機雲は今、さっきまでとはまるで異なる角度で、窓枠の中へ再度進入を果たしていた。
‥‥‥それは、そうして気紛れに現れては、彷徨うように空を泳ぎ回る。
それがそうすることの理由など誰にもわからない。
それこそ、とっ捕まえでもしない限りは。
「そういえば、あの雲は擬装なのでしょう?」
「司祭殿はそのように話しておいででした。飛行機でないものが飛行機雲を曳いて飛ぶとは、地上から空を見上げる人々は確かに考えないでしょう。小賢しい知恵もあったものです」
忌々しげにそう言って、
「それでは、今日のところはこちらでお待ちください、フィーナ様。お約束までは致しかねますが」
カレンはその飛行機雲の先端を睨み据える。
「あの航空法規違反のリースリット、今日こそ地上に引き摺り降ろして参ります」
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