半月と満月の間くらいだろうか。
あまり街灯のない公園の芝生に腰を降ろして、麻衣はそのまま、エステルはデジタルカメラの液晶越しに、頭上、遠くて小さな月を見上げた。
「ってそういえばエステルさん、今日はカメラ持ってきてるんですね」
急に向き直った麻衣が訊ねる。
「はい、実はそうなのですが」
「いやいや。『実は』とか言われましても」
なにしろ、眼前に構えた格好だ。
暗いとはいえ姿は見えるのだから、そのくらいのことは誰にだって見ればわかる。
「後でアラビを撮りまくるわけですね?」
ちなみにエステルお気に入りのアラビアータは今、夜の公園をあちこち駆けずり回っているが、エステルの手元のカメラはただそこにあるというだけで、別に何も写してはいない。
この暗い中、小さい・軽いが取り柄のコンパクトカメラに三脚もなしで、不規則に動き回る被写体をきちんと撮るのは極めて難しい。いかにカメラは素人とはいえ、同じ失敗ばかり何度も何度も繰り返していれば学習はする。
「そんなことはありません!」
だから、麻衣がやや面食らうくらい語気を強めてそう言ったエステルだが、やはりそれは、この環境できちんと撮るのが難しいことは承知している、ということだろう。
「え、違うんですか?」
「アラビアータだけなどということはありません! みんな帰ってきてから、カルボナーラもペペロンチーノもちゃんと撮りますっ!」
「あー、そうですかー」
‥‥‥違うかも知れない。
「わふっわふっ」
「わん!」
「おんっ」
ついでにいえば、今晩もイタリアンズは勢揃い。
欠けているのはエステルの恋人くらいで、その恋人が先程妹に言っていたことには、何だかこのところ左門のバイトが忙しいのだそうだ。
「まあ、妹のわたしといたしましては、恋人さんのお相手をお願いされるのも信頼あってのことですし、未来のお義姉さまとお兄ちゃん攻略情報をゆっくりやり取りできるチャンスでもあるわけですが」
「はい? 何ですか?」
「ああいえいえ。そうそう、それでエステルさん、前から訊きたかったんですけど」
「はい」
「なんでお兄ちゃんが一緒の時はカメラ持ってないんですか?」
「‥‥‥う」
そうなのだ。
デートの邪魔はしたくないから、夜の散歩の時には、麻衣はなるべく達哉とエステルをふたりきりにしようとする。それでも結局ついて行く話の流れになることもままあるのだが‥‥‥そんな折、麻衣が見ている限りにおいて、エステルと達哉が一緒にいる時に、エステルがカメラを持っていたことがあまりない。
「あ、何か、訊いちゃ不味いことでした?」
「不味くはありませんが、あの、何といいますかその」
途端にしどろもどろになるエステル。
「‥‥‥あの、呆れませんか?」
「え、それは、呆れちゃうようなことなんですか?」
「ううう」
耳まで真っ赤になったエステルがもじもじと縮こまっている様子が、暗い中でもよくわかる。
「その、ですね。達哉が一緒にいると、達哉のことも写真に撮るんです、私」
まあ、ごく普通のことだろう。
「時々達哉が私のことも撮ってくれるというので、イタリアンズと一緒に撮ってもらったりもします。それはそれはしあわせな写真ができあがるのですが」
「ふむふむ」
このあたりも、呆れるほどおかしいとは思われない。
「それで‥‥‥そうこうしているうちに、私、いつも思ってしまうんです」
「ほうほう」
「どうしてこのカメラでは、私と達哉を一緒に撮ることができないのだろう、と」
「え」
多分それは、そんな風に悩むようなことではない。元々カメラとはそういう機械だ。
「そんなことばかり考えて、他のことがつい上の空になってしまうものですから、達哉がいる時には持ち歩かないようにした方がいいのではないかと」
なんか、お兄ちゃんがエステルさん好きになったの、ちょっとわかる気がする。‥‥‥唐突に、そんな言葉が麻衣の脳裏を掠めていった。
「呆れましたね?」
それはそれとして、未来のお義姉さまはご機嫌斜めのご様子だ。
「いいいいえいえっ」
「もういいです」
エステルの細い指が芝生の上にのの字を描き始める。
「ああいや、本当そうじゃなくて。‥‥‥ってそうだ、ちょっとカメラ貸してください」
「くすん‥‥‥」
「ああもう、ほらエステルさん。大丈夫、きっとふたりいっぺんに撮れる方法ありますから」
「‥‥‥本当ですか?」
「多分。だからちょっとカメラ貸してください」
何か言いたげなジト目のエステルが、ついとカメラを麻衣に差し出す。
「ええと、いちばんズームが遠いのはこうで、オートフォーカスは‥‥‥おっけー。ではでは」
「きゃっ!」
液晶近辺をぽちぽち操作してから、麻衣はおもむろに、横からエステルに抱きつく。
「あっあああの、私まだ心の準備が」
「何言ってるんですかエステルさん。ほらもっとくっついて」
エステルの首の後ろから正面へ、目一杯伸ばした麻衣の手の先にカメラがある。
レンズがこちらを向いているから液晶の状態は確認できない。
「撮りますよー。はい、チーズっ」
「ひゃっ」
フラッシュの眩い光に、思わずエステルは目を瞑った。
「どれどれ‥‥‥ほら、できた」
瞑った目を開くと、そこには液晶画面があって、
「あ」
びしっと笑顔を合わせてきた麻衣と、雷に怯えた少女のようなエステルが、一緒の画像に収まっていた。
|