二月十四日、深夜。
「今日は、地球もバレンタインデーだったんですよね?」
他の家族が寝静まった頃に達哉の部屋を訪れたミアは、
「バレンタインデー? ‥‥‥ああ、うん。そうだけど」
今頃思い出したような顔をしている達哉に向かって、
「でも、こちらでは確か、チョコレートを贈る風習を根付かせて大儲けすることを目論んだお菓子メーカーの陰謀で、全国的に、チョコレートと一緒に悲鳴と怒号が飛び交う阿鼻叫喚のお祭り騒ぎになると聞いていたのですが‥‥‥その割には、今日は静かな一日だったなあ、と思いまして」
にこやかに笑いながら、ろくでもないことをすらすらと言ってのける。
「いや陰謀って」
「あれ? 違うんですか?」
確かにそんなことではあるし、場合によっては違わなくもない、のかも知れないが。
「誰がそんなこと言ってたの?」
「仁さんです」
「‥‥‥あー。なるほど」
にやにや笑う仁の顔が達哉の脳裏に像を結び‥‥‥その次の瞬間には、菜月の振るったしゃもじ共々、その像もあっという間に遠くの空へと消えてしまった。
「そうだ。月ではどうなの?」
「はい。遥か昔、王様によって禁止された結婚の儀式をこっそり行い続けていた司祭様が、二月十四日に亡くなられたんだそうです。それに因んで‥‥‥ええと、女の子がチョコレートを贈る日ではないのですが、愛の告白をする日、ということにはなっています」
「なるほど」
確かさやかも前にそんなことを言っていたのを達哉は思い出す。
月の昔話か、あるいはさらに昔の地球の伝承か何かに、そういうエピソードがあるのかも知れない。‥‥‥女性が男性に強壮剤をばら撒いて歩くイベントなどよりも、そちらの方がよほどロマンティックだ。
「それじゃ、今年はスフィア王国式にしようか」
「へ? 何がですか?」
「バレンタインデー。月では、どっちがどっちに何をするの?」
「ええと、それは‥‥‥あ」
胸のどきどきを頬の微熱に滲ませて、
「達哉さん、月のことはご存知ないんですか?」
「うん」
「それは‥‥‥もし、わたしが嘘をついても、達哉さんには嘘だとわからない、っていうことですよね?」
何か思いついた顔のミアが悪戯っぽく笑う。
「ああ、わかんないかもな、確かに」
嘘つくつもりのない人はそんなこと言わないって‥‥‥そう思いはするが、もちろん達哉は、それを口に出して言うことはしない。
「それで、月の風習なんですが」
もじもじと身を捩りながら、
「うん」
「男性がですね、えっと、女性に、愛の、こ、告白をするんです」
蚊の鳴くような小さな声でミアが言った。
「そっか。それじゃ」
達哉はミアの華奢な両肩をきつく抱きしめ、その耳元に囁く。
「好きだよ、ミア。ずっと一緒にいよう」
「はい。‥‥‥はいっ」
嬉しそうに何度も頷きながら、ミアもその腕を達哉の背中に回す。
「この次は?」
「ええと、その‥‥‥そう、誓いのくちづけを」
「その後は?」
「‥‥‥意地悪しないでください、達哉さん」
少し困ったように呟いて、腕の中のミアが目蓋を閉じた。
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