"COUNTDOWN"/Y  


  

「何をぼーっとしている」
 湯呑みから緑茶を啜りながら、さして興味もなさそうに呟くリースは、いつものように目一杯フリルの付いたモノトーンの洋服を着ていた。そういえば真夏の間もこんな格好をしていたけれど、あの時は暑くなかったのかしら、などと場違いなことをフィーナは思う。
「そうそう。フィーナさんも早く入ればいいのに。あったかいですよ?」
 簡単そうに言ってのける麻衣は、既に部屋着のスウェット上下に着替えている。それは確かに、その格好ならば煩わしいことはないでしょうけれど。
「どうしたものかしら」
 手招きしている麻衣を羨ましそうに一瞥してから、フィーナは自分の足元に目を戻した。
 ホームステイ先であるところの日本という国において、それは実にオーソドックスな冬の調度なのだが‥‥‥『炬燵』と呼ばれるその布団付き卓袱台を前に、いつものようにドレス姿のフィーナはただ立ち竦むばかりだ。



「それなら、フィーナさんも着替えちゃえばいいのに」
「でも‥‥‥今回も大使館でなく、こちらのお宅に滞在できるよう取り計らってはもらえたけれど、それでも一応、寝室に入るまでは公務の時間だもの。何か起きたらすぐに対応できるようにはしていないと。だから、そういうわけにもいかないわ」
 そうはいっても、駆け足気味の冬の太陽が西に沈んで大分経った。あと何時間かで左門の営業時間も終わる頃だ。大使館の閉館時間だって既に過ぎているし、フィーナ自身、この状況で『何か』とやらに備える必要をさほど強く感じているわけでもない。
 だから、『そういうわけにもいかない』のは、どちらかといえば実務というより気持ちの問題であるのだが、それはともかく‥‥‥そういうわけにもいかないからといって、こんなロングスカートの裾を無理に押し込んだら、それだけで中が一杯になってしまいかねない。
 とはいえ‥‥‥いくら目の前に麻衣とリースしかいないとはいえ、スカートを腰まで捲ってしまうようなはしたない真似もできまい。
「それに麻衣。確か、この布団の中には、赤外線のヒーターが入っていると聞いた憶えがあるのだけれど」
「そうですよ? ‥‥‥そっか。ちょっと危ないですね」
 スカートの裾をずっと赤外線のヒーターに押し付け続けたら何が起きるのか。そんなことを現物で実験するつもりにはとてもなれない。
「うーん。炬燵で蜜柑っていえば、日本の冬の醍醐味っていうか、風物詩のひとつなんですけどね」
「残念だわ。このドレスのことは気に入っているのだけれど、状況がこうなってしまうと窮屈なものね」
 夏にはなかった炬燵の代わりに、夏には置いてあったソファや応接テーブルがどこかへ片付けられて跡形もない。結果として居間から追い出されたフィーナは、取り敢えずダイニングの椅子に腰を掛けた。
「それじゃ、わたしもあっち行こっと」
「あ」
 籠から蜜柑を幾つか卓袱台に下ろすと、その籠と自分の湯呑みを持って、炬燵を離れた麻衣が追いかけてくる。
「‥‥‥蜜柑」
 それでも炬燵から出るつもりはないらしいリースが恨みがましく呟く。
「ほら、リースちゃんもこっちへおいでよ。エアコンつけたら炬燵じゃなくても寒くないから。ね?」
「‥‥‥炬燵」
 あくまで炬燵から出るつもりはないらしいリースが名残惜しげに呟く。
「あら。リースはお気に入りのようね、炬燵」
「だから、フィーナさんも炬燵に入れたらいいのに、って思うんですけど。きっと気に入りますよ?」
「でもあれは‥‥‥何となくだけれど、気に入ってしまってはいけないような気がするの」
「え? どうしてですか?」
「リースはいいかも知れないけれど、私が炬燵から出たくなくなってしまったら、王国の公務に差し障るわ」
 妙に生真面目な表情を作ってフィーナは答えた。
「‥‥‥ぷっ」
 思わず麻衣は吹き出してしまう。
「まあ。笑いごとではないわよ? ‥‥‥ふふっ」
 次には気を悪くしたような顔になろうとしたらしいが、台詞の半分も言い終えないうちに、フィーナの頬も緩んでしまっていた。



「フィーナ、予備は?」
 手元の蜜柑がすべて皮だけになってしまったところで、唐突に、リースは訊ねた。
「え? 何のことかしら?」
「その服。予備は何着ある?」
「ああ、このドレスなら一応、あと一着は大使館に予備があると思うけれど」
「それなら問題ない」
 炬燵から脚を引き抜いたリースは、
「意味がよくわからないのだけれど‥‥‥リース?」
 飲みさしの緑茶がまだ残っている湯呑みを片手に、とことことダイニングへ近寄ってきて、
「ああ、お茶のお代わり? ちょっと待ってね、今」
 ポットに手を伸ばした麻衣の脇を素通りし、
「‥‥‥え、待ってリース! 何をっ」
 いちばん奥の椅子に腰掛けていたフィーナの膝の上に、
「不可抗力」
 持ってきた湯呑みをくるりと引っくり返した。



「うわ、ちょっとリースちゃん!」
「火傷するほど熱くない。確認済み」
「そうかも知れないけど、そんなことわざとやったらダメだよ。このドレス洗濯するの、ミアちゃんすっごく苦労してるんだから。それって、フィーナさんだけじゃなくて、ミアちゃんも困らせちゃうようなことなんだよ?」
「‥‥‥ごめんなさい」
 本当に怒っているらしい麻衣に向かって、リースはしおらしげに頭を下げる。
「そうね。やり方はもう少し考えて欲しかったわ。あとで私がミアに謝る時には、リースも一緒にね」
 軽く頭を撫でてから、フィーナは立ち上がった。
「昼間のうちに運んでおいてもらった服は私服と寝間着だけだし、残念だけれど、明日の朝、大使館に着くまでは私服で行動するしかないようね」
 どう贔屓目に見ても『嬉しそう』以外の何かに曲解するのは困難な顔で、『残念だけれど』などと顰めつらしいことをフィーナは言い‥‥‥廊下の奥で私室の扉が音をたてるまで、麻衣は懸命に、吹き出しそうになるのを堪えていた。

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