HAPPY BIRTHDAY Cynthia & Fiacca :  THE SECOND COMING. 


  

 ごく小さな、解像度の低いディスプレイの中に、著しく鮮明さに欠けた像が結ばれた。
 その背景にあたる部分は、何百年も前の‥‥‥例えば、モノクロがカラーになったばかりの頃に作られた、映画の中に描かれた宇宙空間のように拙く見えた。
 画面の下側、つまり床にあたる位置に円形の構造物が見えるのは記憶の通りだ。確か直径で四メートル。
 ただ、その表面には何か魔法陣のような模様が描かれている筈だし、円形の構造物のさらに外側をぐるりと取り巻く石柱と梁のオブジェと、そのオブジェによって切り分けられた空間の枠内にパズルのピースを填め込むように、星空がすっかり隠れてしまうくらい沢山のモニタ画面が表示されている筈なのだが、解像度が低すぎるせいか、それともシステムが稼働していないせいなのか、円形の構造物と星空、石柱、そういったものが『ある』こと以外は読み取れない。
 何故こんな意匠なのか、以前尋ねたことはあったが。
「‥‥‥そういえば、煙に巻かれたままだったな」
 埒もないことを思い出して女性は唇を緩める。
『ID確認。所長権限割り込み命令を受諾。セッション確立に伴う施設内部への通報をキャンセルします』
 抑揚を抑えた女声の合成音声が告げた。
 同時に、六角形のパネルが空中に幾つか現れる。
『こちらは、空間跳躍機構・統括メインシステムです。命令をどうぞ』
「ようやく‥‥‥辿り着いたか。随分と掛かったな」
 ディスプレイのこちらでは、スタンドマイクから口を離した女性が、その若々しい外面にはまるで不釣り合いな、深い深い溜め息を吐いた。
『こちらは、空間跳躍機構・統括メインシステムです。命令をどうぞ』
 相手の内心を忖度する機能を持たない『統括メインシステム』は、まったく同じ機械音声を散発的に繰り返すことで、命令の入力を女性に促し続ける。



 やや間を置いて。
「あー」
 慎重に言葉を選びながら、女性はまた、手元のマイクに向かって口を開いた。
「シンシアはどうしている? 主席研究員だ」
『主席研究員は現在、長期停止中です』
「それは、寝ているのか? それとも」
『肉体的、精神的に、睡眠中の状態にあります』
「健康状態は?」
『良好です』
「そうか」
 まずは胸を撫で下ろす。
「そこに主席研究員以外の要員はいるか?」
『全員離席しています』
「ふむ。で、その長期停止はいつまで続く予定だ?」
『本機構を対象とする、制御プロトコルに則らないアクセスを検出するまで、と承っています』
「そういう接触はまだないんだな?」
『ありません。また、こちら側から観測する限り、外界においてそれを可能とする技術が実用化された徴候もありません』
 女性はそこで、不思議そうに首を捻った。
「いや‥‥‥私は、自分で一から作った独自のシステムによって、こうして接触できているのだが」
 このシステムは現に、『この私』という可能性を見落としているのではないか、と考えたからである。
『制御プロトコルに則ったアクセスは、当該仮説に基づいてアクセスが待たれる事象とは別個の問題です』
 その点について、システムの回答はこうであった。
「なるほど‥‥‥それではシステム閉塞以降、現在の私以外に、制御プロトコル準拠の接触は何回あった?」
『ありません』
「それなら同じことだな」
 要は、この扉を叩いた者は、自分以外に誰もいない。
「次の質問だ。現在の閉塞状態になってから」
 つまり、一週間だけ、そこから外界に降り立った主席研究員が、再びそこに戻ってから。
「どのくらい経ったか教えて欲しい」
『セッション接続先の時間概念で、およそ三百年です』
「そうだな」
 およそ三百年、という回答は、
「‥‥‥ああ、そうだな」
 少なくとも外見的には二十歳前後にしか見えない、その女性自身の主観における経過時間とも合致していた。



「では次だ。私を、ここから、そこへ転送することは可能か?」
『確認します』
 ディスプレイの向こうと、それから女性自身の頭上に、数秒、幾つかの六角形を明滅させてから、
『一部施設機能の再起動が必要です。それ以後であれば可能となります』
「では、そこに転送された私を、ここに戻すことは?」
『一部施設機能の再起動が必要です。それ以後であれば可能となります』
「こちら側に『デバイス』がなくてもか?」
『本セッションの確立に用いられているシステムが、再転送の完了まで処理系としての機能を完全に維持することが、デバイス代替の前提となります』
 合成音声はそのように回答する。
 それもまた、女性が参照した文献の通りであった。
「再起動の所要時間は?」
『セッション接続先の時間概念で、およそ十三日です』
「寝ている主席研究員を起こさずに、それらの作業をすべて実行することは可能か?」
『可能です』
「よし。では直ちに再起動を。くれぐれも、主任研究員を起こさないように。十三日経過したらまた連絡する」
『了解しました。再起動シークエンスに入ります』



 再起動シークエンス開始に伴い、応答不能状態になった施設との通信セッションを切断して、頭に掛けていた大仰なヘッドホンを机上に投げ出すと、
「起きたら何と言うかな、シアは」
 その女性は、今日何度目かの溜め息を吐いた。




『そちらは、伝承に残っているシンシア・マルグリットさんではないですか?』
 結果からいえば、主席研究員には内緒で施設機能の一部再起動が実施されてから、さらに二百年ばかり後。
「その認識には誤りがあるわ。‥‥‥シンシア・マルグリットは、ただの科学者よ」
 主観でいうと十年の眠りから覚めた主席研究員は、まず、施設側のプロトコルにまったく準拠しない様式の通信波が本当に到達したことに驚き、次には、ディスプレイの向こうにいる男性が示した『忘れ物』に涙した。
 それから、
「まあ、今からいえば二百年ばかり昔に、そういう形で潜り込むことに成功してな」
「‥‥‥反則じゃない、それ」
「システムから見れば別に反則ではないのだろう。かれこれ二百年ばかり掛けて色々とやってきたが、別に何の障害もなかったぞ?」
「お父さんじゃない人がお父さんのコード使って管理者権限掌握するのが『反則ではない』とでも?」
 二度目の悲しい別離から、一方の主観においては五百年振り、他方にとっては十年振りとなる、生き別れた姉妹の奇跡的な再会というドラマがあったのだが、
「それが反則だと思うなら、何故セキュリティに生体認証を使わなかったんだ」
「だって‥‥‥空間跳躍機構は大きな括りでいうとタイムマシンを兼ねるから、時間が一致しない、だから肉体の同一性や、時系列上の一貫性が維持されてるかわからない環境からでも認証を成功させるためにとか、そういうことまで考えると生体認証系は使いづらくて」
「ふふん。では仕方がないなあ」
「ううう、やっぱり魂のデータ化にもきちんと取り組んでおくんだった‥‥‥」
 その割に、再会の場があまり感動的な盛り上がりを見せなかったのは不思議なことであった。



 ともかくも。
「まあ、もういいわ。十年ぶりね、お姉ちゃん」
 五百年前に再会し、また別れた時の姿形をほぼ保ったままのシンシアは、そう言って右手を差し出して、
「えと‥‥‥お姉ちゃん、よね?」
 それから、ちょっと小首を傾げた。
「そう、私はフィアッカ・マルグリットだ」
 そう名乗り、差し出された右手を握った妙齢の女性の方は、だが、確か『リースリット・ノエル』とか呼ばれていた、あの時の幼い少女とは似ても似つかない。
 見たところ、年の頃はシンシアと同じくらいか。
 見た目もそれなりに似ている。シンシアをやや精悍にした感じ、といえば伝わるかも知れない。
 女物のスーツを着こなした立ち姿は誰がどう見ても女性だが、シンシアと同じくらいの背丈に、すらりとした筋肉質そうな体躯、短く揃えた黒髪は、ひょっとしたら、服さえ選べば『小柄な男性』でも通用するかも知れないし、そうなると、それが『美少女』なのか『美少年』なのかは容易に判然としないかも知れない。
「姉かどうかというのは、まあ、シアが私を姉だと思ってくれるかどうか、に依るのかな」
「私のこと『シア』って呼ぶ人、もうお姉ちゃんしかいないよね」
 感触を確かめるように、握った手を小さく振った。
「ああ。そういえば、タツヤはシアのことを何と?」
 フィアッカにしてみれば、そう尋ねたのはほんの出来心であった。
「それは、その」
 困ったような顔をして、シンシアは明後日を向く。
「その、最初は『さん』付けだったんだけど、最後の方は『シンシア』って」
 だが、恋する乙女のように照れた表情を見せるシンシアに対して、
「‥‥‥」
 フィアッカは掛ける言葉を喪った。
 今、という状況は、技術者としての責務を全うするために、自分と彼氏の恋心を棄てた決断に連なるものだ。
 そこに追い込んだ責任の一端は自分にもあった。
 では、それらのことを踏まえて‥‥‥四百年以上も昔に朝霧達哉を失った世界の淵で、今してになお、恋する乙女であり続けているかのような妹に対して、
「その」
 よい経験だったな、と言えば慰めになるのか。
 残念だったな、と言えばよいのか。
 羨ましい、とでも言えば喜ぶのか。
 あるいは、他に。
「‥‥‥そう、か」
 少なくともその時のフィアッカには、続きの言葉を上手く見つけることができなかった。



「そうそう。それでお姉ちゃん、そのタツヤの子孫っぽい人から、さっきここへアクセスがあってね?」
 そのあたりまでのシンシアは、確かに恋する乙女のままであった筈なのだが、
「そのようだな。私もお前の後ろでこっそり見ていた」
「うわ、それ酷い。なんでその時言ってくれないの!?」
 急にシンシアの目つきが変わった。
 世紀の極悪人を忌々しげに見つめる刑事のような顔、とでも表現すればよいのだろうか。
「‥‥‥じゃなくて。あの人たちのアクセスには、お姉ちゃんから技術の供与が?」
「いや、何も」
 実際フィアッカは、シンシアに気取られぬまま、二百年も前から、時折ここに潜り込んでいたという。
 情報や技術の供与があり、同じ手口が使えるのなら、今日のアクセスが二百年前に果たされていた可能性も、あるいは、彼らがフィアッカと同じようにここへ忍びこむ可能性もあり得た。
「そっか。やっぱり」
 だが現にそうなっていない、ということの理由を考える時、『フィアッカが彼らに何も与えなかったから』というのは妥当性の高い仮説だ。
「でも、どうして教えなかったの?」
 フィアッカは肩を竦めた。
「お前がそれを望まなかったからだ。違ったか?」
 つまり。
 五百年前の朝霧達哉に対しては、シンシアから原理に関する簡単なレクチャをした。
 概念として、『ここ』がどこなのか、も話した。
 ‥‥‥それだけだった、ということだ。
 たったそれだけの、何もないのと大差ない程度の手掛かりから、五百年もの時間を掛けて、彼らは自らの力だけで『ここ』に辿り着いてみせたのだ。
「すごいね、タツヤの子たち」
 感慨深げに呟き、
「ああ、そうだな」
「それから‥‥‥本当に、お姉ちゃんだね」
 もう一度、初めて会った少女の手を強く握り返して、
「本当、他人の施設を勝手に占拠しちゃうあたり、ひとりだけ『遺失技術』とか使って他の人を好き放題振り回してた、あの時の小っちゃいお姉ちゃんそのまんまね」
 あの悪人を睨むようなジト目にまた戻り、
「なるほど。‥‥‥そうか、そんなことでも、私という存在の同一性を示す情報になるのだな」
 フィアッカが意地悪そうに小さく笑うのを見ると、
「ちょっと。私、真面目な話をしてるんですけど」
「ああ、すまんすまん。そうだな」
 今度はぷうと頬を膨らませる。
「もう‥‥‥わかってるのかな本当に」




 わかりやすく喩えるなら、つい数時間前までのシンシアは、『施設のオペレータ席で、ずーっとデスクに突っ伏して寝てた』ような状態にあったといえるだろう。
「な」
 ところで今、絶句したシンシアの前にあるのは、この施設のメンテナンス要員が一時的に寝泊まりするのに使われていた、『居住区』と呼ばれる宿泊施設である。
 だが、眠ってはいたが宿泊施設は使っていなかったシンシアは、それがいつから、何故こんなことになっていたのか、そういったことはまったく知らなかった。
「っていうか」
 今でもそこは、ごく一部を除けば、シンシアの記憶にあった居住区そのままではある。
 中央の廊下を挟んで左右に六部屋ずつ、合計十二の個室に分かれた客室のうち、左側のいちばん奥にある個室の玄関口に向けて、どこへ繋がっているのかわからない、見憶えのない金属製の階段が降りている点を除けば。
「何、あれ?」
「階段だな」
「いや階段なのは見ればわかるわよ。そうじゃなくて」
「そうじゃなくて?」
「そうじゃなくて‥‥‥だから、何、あれ?」
 その階段は、居住区の最奥にある部屋の玄関口から、さらに奥へ、建築物としての構造上は壁と天井以外ない筈の方向へと中途半端に伸び、扉の上端くらいの高さまで上がったところで唐突に途切れる。
 別に、その正面の壁や上の天井に穴が空いているでも、そこまで上がったところに物置なりが設えられているでもない。つまりその階段は、単に『唐突に途切れ』ているだけで、別にどこへも繋がってはいないのだ。
 最早それは、『階段』というより『不審なオブジェ』とでも呼ばれるべきシロモノであった。
「『地下一階』という設定になっていてな。階段降りた憶えもないのに急に地階の店に着いたら不審だろう?」
 その上、さらにわけのわからないことを口にして、
「それより、お姉ちゃんの今の話に、不審じゃない箇所がひとつもなかったことの方が気掛かりなんだけど?」
「それはまあ、見ればわかるさ。ほれ行くぞ」
「だから先に説明しなさいよ説明!」
 だが直接質問に答えることはせず、フィアッカはすたすたと歩を進めた。
 仕方なしにシンシアが後を追う。



 特に塗装も施されていない、剥き出しの地金が周囲の照明光を鈍色に照り返す手摺りを、こつこつ、とシンシアが拳で叩いた。
「この階段何? っていうかこれ本当に大丈夫なの?」
 途中までしかないことを除けば、どこにでもあるような無骨な鉄製の階段である。
 まるで昨日作ったような真新しさが保たれているが、この施設内は時間の流れ方が外界と違うので、本当に真新しいのかどうかはわからない。
「上がるのはいいが気をつけるんだぞシア。本当にそこまでしかないからな」
「だからなんで『そこまでしかない』の!?」
「それは」
 階段を降りればすぐ右手、まるで最初から階段とセットで設計されたかのような位置にある玄関の扉を‥‥‥よく考えれば、そこに設えてあるのは自動ドアだった筈なのだが、わざわざ何の変哲もない木製のドアに取り換えたらしい、その扉のノブにフィアッカは手を掛けた。
「既に話した通り、この店が『地下一階』にある、という設定になっているからだ」
 かちゃり。
 ごく軽い音と共に、外へ向かって開かれた扉の奥には、五人くらいのカウンタと二つのボックス席があるだけの、ごく小規模な飲食店‥‥‥として運用されるのであろう店が、新装開店の時を静かに待っているようだった。
 内装はほぼできあがっているが、カウンターの向こうに鎮座する大きな棚は空のままだし、食器やグラスの類もほとんど準備されていない。
「ええと‥‥‥居酒屋さん?」
「困ったな。バーのつもりだったんだが」
「だって居酒屋さんとバーの違いなんて知らないし」
 むくれたシンシアが口を尖らせる。
「自分が切り盛りする店の業態が理解できていないとは。思った以上に前途多難だな、これは」
 にやにや笑いながら店内へ踏み込んでいったフィアッカは、カウンターの奥、バックヤードへ一旦消えた。



「現在の地球はもちろん、例えば五百年前の満弦ヶ崎中央連絡港市、月への移民が図られなかった並行世界の地球のどこか、アルセ・マジョリス調査移民船が辿り着いた惑星上の市街のどこか。エトセトラ、エトセトラ」
 がつんがつんと、何かを壊すような音が、
「簡単にいえばこの店は、そうした様々な場所にある、幾つかの建物の『地下一階』として偏在する」
 フィアッカの声と一緒に、奥から店先まで届ている。
「偏在? ‥‥‥偏在って、まさかお姉ちゃん」
「そうだ。時空間を跳躍する技術を応用して、外界に偏在するビルの中にある地下への階段を、そこの階段が途中で横取りするわけだ。それぞれの客の主観は、自分が出向いたビルの中にいると考えるだろうが、実際には」



 実際には、そうして偏在するポータルは、その階段の消失点を境界としてひとつに集約され‥‥‥見知った地域に根付く建物に踏み込んだ筈の客たちは、通常の時空間の外側にある店に通されることになる。
 この店を訪れる客は誰も『店そのものが通常の時空間の外側にある』などとは思ってもいない筈だ。
 しかし、その客の隣にいるのが、同じ入口から来た、同じ時代、同じ世界の客とは限らない。
 恐らくこの時空間で唯一の『そういう店』として、いずれこの店は営業を始めるだろう。
 ‥‥‥まあ、シンシアが首を縦に振れば、の話だが。



「何それ。本当に施設の悪用じゃない」
 当然シンシアは、素直に頷きはしなかった。
「まあほら、突っ立ってないでこっちに座れ」
 やがて奥から、アイスペールと何本かの壜、拳ふたつを縦に積み上げたくらいの金属製の何か、それとグラスをふたつ持ったフィアッカが現れ、
「手始めに『バーの仕事』というものを見せてやる」
 露骨にげんなりした顔のシンシアに手招き。



「五百年前から今日という日に続く過程で、人類はこの施設に至る技術を自力で確立した。それは、時空間跳躍に纏わる技術は最早『遺失技術』とかいう類のものでない、単なる『現行の技術』になった、ということを意味する筈だ。‥‥‥付け加えれば、私の管轄にあった技術も、もう粗方は秘匿する意味がなくなったよ」
 不承不承、といった面持ちで、シンシアが目の前のスツールに腰掛けるのを見やると、
「『未来を危うくする過去』の管理に、私もシアもこれまでの人生をすべて捧げてきたが、残る最後の砦だった時空間跳躍にまで指が掛かった今、『未来を危うくする過去』は、本当の、『ただの過去』になった」
 何やら難しいことを語りつつも、妙に慣れた手つきで、裏で砕いてきたらしい氷を金属製の何かに詰め始め、
「そして今、人類の世界はまだ存続している。我々の知る『遺失技術』による人類滅亡は遂に回避された」
 さらに、何か赤い液体、次いでオレンジ色の液体をその中へ注ぎ入れ、
「うう、いつも思うが、この状態は手が冷たい‥‥‥」
 蓋をしたその金属製の何かを手早く振りたて、
「あー。だから、この結果をもって、私たちは使命を果たし終えた‥‥‥『未来を危うくする過去』の守護者としての私たちは、これでようやく時代に必要とされなくなった。私はそう認識している」
「ってお姉ちゃん、じゃあ技術者止めちゃうの?」
 はっ、と顔を上げたシンシアに小さく笑いかけてから、
「まさか。人目を憚らず、好きな研究に好きなだけ打ち込んでいい境遇をようやく取り戻したのに、か?」
 ふたつ並べた、円錐を逆さにして硝子の足の上に置いたようなグラスに中身の液体を注いで、そのうち片方をつっと差し出す。
「どちらかといえば趣味の範疇だが、これだって結構練習したよ。ちなみにこれは『カシスオレンジ』という」
 カシスリキュールとオレンジジュース。
 シェイクでなくステアで作るレシピの方が一般的だ。
「へえ‥‥‥綺麗だね」
 店内の照明にグラスを透かすと、夕焼けのような紅色の最奥に、ゆらゆらとたゆたう血の如き赤。
 不思議な色合いを興味深げに見つめ、それから、グラスの縁に恐る恐る口をつけた。
「あ、おいしい。ジュースみたい?」
 途端、ぱっと花が咲いたように笑い、
「でも何だか‥‥‥何だろう、いろんな味がする」
「おいおい。口当たりはいいが、それはジュースじゃなくて酒だからな。調子に乗って煽ると後が恐いぞ」
「う‥‥‥はい」
 そのまま一気にグラスを空けようとして、シンシアはフィアッカに窘められた。
「それに、他人事みたいに言ってる場合でもないぞシア。いずれお前もカウンターのこっちに来るんだからな」
「‥‥‥へ?」
 シンシアは目を丸くする。



 もうひとつ、手元に置いたままのグラスにフィアッカも口をつけて、ふ、と息を吐いた。
「何故、こんなところにこんな店を作ったのか、まだ話してなかっただろう」
「そうだけど。やっと自供する気になったんだ」
「自供って何をだ」
「さあ?」
 一応口を尖らせてみせるシンシアの方は、手元のグラスから既に液体の七割くらいが消えていた。
「この店のことなら、お前を相手に隠すつもりは最初からないよ。そもそもここは、どちらかといえばシアのための店だしな」
「え? ‥‥‥私の?」
「そうだ。お前の主観では十年間だった、というが」
 酒瓶に大きく書かれた『LEJAY CASSIS』というアルファベットを指でなぞりながら、
「お前、その十年の間、ただずっと寝ていただろう?」
 急に、フィアッカはそんなことを言った。
「う、それは‥‥‥そこを突かれるのは苦しいかも」
「まあ、気持ちがわからない、とは言わないが」



 実際、今日までのシンシアはただ眠っていた。
 時間からも空間からも隔絶した究極の独房のようなこの場所で、永遠に、ただ孤独に耐え続けるだけの『生』というものに、希望を見出すことは難しいだろう。
 暇潰しという行動は、潰すべき暇のサイズが先に判明しているから成立するのだ。永遠には生き得ない人間に、永遠に対して有効な暇潰しなど見出し得る筈もない。
 ‥‥‥そんな風でも、その人は。



「ここにただ閉じ籠もっているしかないシアと、ずっと人間社会の中に居座り続ける私、ということについて、あれから二百年ばかり、私はずっと考えていたよ」
「それ、結論は出た?」
「一応な。結論に至ったのはつい先程だが」
 言いながら、カウンターに設えられたシンクの上で、金属製の何かを引っ繰り返した。赤味掛かった細かい氷が、ざーっと、冷たそうな音をたてて滑り落ちていく。
「『生』に希望が持てなければ、結局人は、そこから進むことを諦めてしまう。例えば、その人が科学者かどうか、とかいうことは、停まってしまうこととは無関係だ‥‥‥そんな風でも、その人は『生きている』、といえるのだろうか?」
「うん‥‥‥違うとは思う、けど」
「シアもそう思うか。それでな、『未来を危うくする過去』など受け持ってしまったせいで生き方を選べなかった不運はあるにせよ、それでも人は‥‥‥少なくとも、生きていたいと思う人、『生』に意味がないからといって、それを理由に死んでしまえもしなかった人は」
 例えば、この施設の自沈に踏み切れなかった人は。
「そういう人は、社会の中に居座り続けるべきだった」
 金属製の何かを洗う手を止め、
「その意味において‥‥‥あの時、私とタツヤにとっての『正解』は、やはりお前をひとりでここへ来させないことだった。そういう風には、今は私にもわかる」
「でも、それは」
 頭の中で反駁の準備を始めるシンシアを見つめて、
「『仕方ない』は逃げだ」
 とても言いにくそうに、
「そうやって簡単に諦めてはいけなかった。何もかも全部総取りの理想的な未来に至る術を、シアも、私たちも、全員がもっと必死で欲しがり続けるべきだった」
 だが決然と、フィアッカはそう言い、
「いいか、『仕方ない』は、逃げだ。逃げ口上に困った挙げ句、丁稚上げの『仕方ない』に縋りつくようなのは、技術者の態度としては愚の骨頂と言う他ない」
 それから、
「お前や私が真っ先に諦めてどうするのだ、と、お前を叱り飛ばしてやるのが‥‥‥まあこれで、五百年ほど、遅きに失してしまったわけだな」
 自嘲気味に、小さく笑った。



「だから私はこの店を、遅きに失してしまった私からの罪滅ぼしと、それから、今後もシアが技術者として前に進んでいくための手助けに、と思って作った」
「んー。なんか論理の飛躍があると思うんだけど」
 シンシアは腕を組んだ。
「私が技術者として前に進むことと、このお店って何か関係あるの?」
 フィアッカは洗い物を再開する。
「確認するが、お前、この施設内で何か起きた場合の対応要員として、どこの時間、空間からでも、この施設に直接回収される設定になっているだろう。結局ここへ戻らざるを得なかった、直接の理由もそれだな?」
「よく調べたね、そんなことまで」
「時間はあったからな」
 本当は、調べるまでもないことだった。『統括メインシステム』が教えてくれたからだ。
「その設定が解除されない限り、シアが後顧の憂いなく余所の世界に根を下ろすことはできない。となると、この施設を亡き物にすることで『対応要員』という概念を破壊するか、増員をして対応要員をローテーション制にするかだが‥‥‥どちらもシアの意向には沿うまい?」
 これもまた、改めて確認するまでもないことだった。
 そんな風に簡単に決着がつくような話なら、誰も、あんな幕引きを受け入れる必要などなかったのだ。
「技術を発揮する場としての社会がなければ、技術者は技術者たり得ない。シアには、私たちには世界が必要だ‥‥‥だが今のままなら、社会の側へシアを出すことによって、社会との接点を維持する、というのは難しい」
「そうね」
 そこまでは、以前、シンシアも考えた。
 散々、考えた。
「だから次に考えたのは、社会の側を、シアのいる場所に引っ張り込む方法に関することだった」
「‥‥‥はい?」
 だが、その先の話はシンシアの意表を突いた。
「様々な社会、様々な立ち位置の者が、この店に立ち寄ることだろう。呼び込む相手をこちらである程度選べるようにもしてある。このようにして、お前がここから離れなくても、世界とお前の接点が取り敢えず維持されるようにする。まずはそこからだ」
「選べる‥‥‥って、どうやって?」
「例えば、五百年前の満弦ヶ崎中央連絡港市としか繋がない、シンフォニアとは繋がない、といった制御は簡単にできる。具体的な方法はあとで教える」
「それって、繋がってない場合はどうなるの?」
「繋がっていない場合はすべて、休業中の『この店』、つまり、その建物にとって実際の地下一階に辿り着く」
「んんんんん?」
 シンシア首を傾げた。
「偏在するこの店はすべて何か建物の地下一階にある。その階段を降りて、ここの店に着くのは、階段を接点として世界が繋がっているからで、その場合、その建物の中にある店舗は使われない」
「え、つまり‥‥‥現地の店舗は、元々全部ダミー?」
 わざわざ洗い物の手を止めて、とても意地悪そうに、にやりと笑ってみせる。



 空間跳躍せずに本物の階段を降り続けると辿り着く、実際の店舗があるとされる場所には、ドアノブに『本日休業』の看板が掛けっ放しにされているだけで、そのドアの向こうには店舗も何も最初からない。
 ある地点の地下一階にアプローチした客が、その『本日休業』の店舗に着くか、『本日休業』でない方の店舗に着くのか、それはこちらの胸先三寸ということだ。



「うわーいお姉ちゃんがインチキだよー」
 苦い薬を呑まされた子供のような顔でぼやく。
「仕方がないだろう。お前の境遇がインチキそのものなんだから」
 また奥へ引っ込んでごそごそ何かを探し回り、さっきと違う壜やら何やらを色々持ってフィアッカが戻った。
 カウンターに並べられたのは、ホワイトラム、レモンジュース、ジンジャーエール。
 加えて砂糖のポットとレモンのスライス。
 グラスもまるで別物だ。背の高い円筒形のグラス。どちらかというと、今度のは『グラス』というより『長いコップ』のようだった。
「いろいろあるのね」
「まだまだ、ほんの序の口だ」
 ホワイトラムとレモンジュースと砂糖だけシェイクしてグラスに注ぎ、氷を落とし、余った部分をジンジャーエールで埋め、かき混ぜて、レモンスライスをグラスの縁に引っ掛ける。
 これも僅かにレシピ違いのボストン・クーラー。
「わあ‥‥‥」
 姉の手腕を間近で見るのはこれで二度目だ。店舗を巡る企みごとのインチキ臭さはさておき、バーテンダーとしての技術、手捌きの流麗さには素直に感嘆する。
「何度も言うがジュースじゃないぞ。酒だからな。一気に行くなよ?」
 わざわざ念を押してから、長いグラスを差し出した。



「カクテル、っていうのはさ」
 ひとくち飲んで、数秒、何か考え事をするように宙を睨んでから、
「なんか、『カクテル』っていう名前の飲み物なんだと思ってた気がする。でも本当は、いろいろあるのね」
「‥‥‥まあ、十年前はお子様だったわけだしな」
「私、そんなお子様じゃないもん‥‥‥」
 むくれたシンシアがぷいとそっぽを向いたが、そればかりが理由でもあるまい、と思う。
 月にもアルコールはあったが、普通はそのまま呑むものだった。そんなに種類があるわけでもないし、混ぜるにしたって組み合わせの数は知れている。
「月の遊びではないからな。知らなくても無理はない」
 馴染みがないのは当たり前だ。
 だから興味を惹かれた、ということもある。
「そ、そうだよね? ‥‥‥大丈夫だよね?」
 露骨に胸を撫で下ろした様子のシンシアを見て、またフィアッカはくすりと笑った。
「これから知ればいい。時間はあるんだからな」



「あ。でも、お店やる、とかさっき言ってたよね? 私もそっち側だー、って」
 またシンシアが顔色を変えた。
「私、お酒のこととか本当に何も知らないけど。そもそも私はお酒呑めるのかどうか、とか」
 呑んでたじゃないか、とフィアッカは思う。
「こっちをやる気があるなら私が教えてもいいし、別の仕事をしてもいい。バーにだってフードメニューはあるんだぞ。お前、料理はどうだ?」
「うう、そんなの知ってるくせに‥‥‥」
 当然、フィアッカは知っている。
 記憶にあるのは遥か大昔の有様だが、それからのシンシアはほぼ寝ていただけなのだから、腕前の向上など望むべくもない。
「開店を繰り延べにするのは容易いが、少し追い詰められるくらいの方が張り合いも出るだろう」
「いや、ちょっ、それは‥‥‥た、タイム!」
 腕でT字を作ってまでアピールしたが、
「たかだか六十秒でどんな名案を捻り出すつもりだ」
 フィアッカはにやにや笑うばかりであり、
「来年の六月十二日に、実際の営業を始めようと思う。まだ一年弱あるだろう? 別にケーキでも炒飯でも構わないが、何か準備しておくことを奨めるよ」
「なんでー!?」
 そして結局、無情な宣告は下される。




 外の時間感覚で、それから一年近くが経った頃。
「ケーキでも炒飯でも、とは確かに言ったが」
 結果、シンシアが自ら望んで血道を上げた『準備』とは、主にケーキのレパートリーを増やすことだった。
 この分だと、カウンターの奥に設えられた棚は、半分が様々な酒瓶の類で、もう半分には色とりどりのケーキ、ということになりそうだ。
「何というか」
 数多の地下一階に偏在し、時空間を超越したどこかに実体としての店を構える、カクテルとケーキのバー。
「世にも奇態なバーになりそうだな‥‥‥」
 何やら感慨深げに呟くフィアッカと、
「ああ、いやいや、普通のお料理だって結構用意できるよ? そっちもいっぱい練習してきたし」
 言わずもがなのことを言うシンシア。
「もちろん知っているとも。あれからずっと、失敗作を片付けるのが私も大変で大変で」
「ちょっ! 人をカーボン魔人みたいに言うなー!」
「‥‥‥ん? カーボン魔人って誰だ?」
「‥‥‥あれ? そういえば、誰だろ?」
 取り敢えず、姉妹の仲はよいようであった。



 それから、不意に、少し居住まいを正して。
「あのねお姉ちゃん。まだ言ってなかったこと」
「ん?」
「このお店をどういう風にしたいか、っていうこと」
 シンシアは、そんな風に話を切り出した。
「ああ」
 グラスを磨いていたフィアッカも少し背筋を伸ばす。
「やりたいことがあるんだな?」
「うん。‥‥‥その、お誕生会、っていうの」
 余人であれば、それは本当にバーの話なのか、と口を挟まずにいられなかったかも知れない。
「ふむ」
 だが、フィアッカは頷いて、言葉の続きをそっと待つ。
「お誕生会っていうのは、まあ大体、ちっちゃい子のためのイベントじゃない? でも、誕生日が嬉しいっていうことには、本当は大人も子供もないんじゃないかって思ったの。‥‥‥思ったのっていうか、今現在、私がそう思ってるの」
 何度目の、については触れないが、間近に控えた開店予定日、六月十二日はシンシア自身の誕生日でもある。
 フィアッカが知らずにその日を選んだ筈はない。
「『未来を危うくする過去』の守護者としての私たちは、これでようやく時代に必要とされなくなった。お姉ちゃん、そんな風に言ってたよね?」
「そうだな」
「それって‥‥‥本当はとっくに死んじゃってた私たちに、もう一回、誕生日が来る、ってことじゃないかな」



 経緯はどうあれ、使命を全うし、存在意義が期限切れを迎えるまで生き残ったシンシアとフィアッカは、今度こそ、自分自身のための自分をやり直す機会を得た。
「‥‥‥そう、だな」
 ただ嬉しがっているだけでいい誕生日。
 そういう素敵な日が、ふたりにもうじき訪れるのだ。



「小さいことかも知れないけど、でも私、それがとっても嬉しい。私、生きてるんだ。生きてるって、時間が経つことなんだよ。だから誕生日がまた来るんだよ」
 花が咲くように、シンシアが笑う。
「だからね。だから私、お祝いがしたい。ここは、大人の人が、照れずにお誕生会していいお店にしたい」
 それでケーキか。
 今更、フィアッカは得心した。
「‥‥‥ちょっと、子供じみてる、かな」
 照れたように頬を赤らめて、シンシアはフィアッカの反応を伺う。
「いや。いいんじゃないか? 夢があっていい」
 もう一輪、花が咲くように、フィアッカが笑う。



「それでね? それでお姉ちゃん、まだ他にもね」
「ああ、聞かせてくれ。‥‥‥いやちょっと待て、先に呑むものを作ろう」
「あ、私、カシスオレンジがいい!」
 楽しげな姉妹の会話は、それからもずっと続いた。

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