happy break-down.  


  

 お忍びで社会勉強にやって来たレティシア姫が店を去り、荒くれ男どもが『レティちゃん』に愛の告白を云々としおらしい繰り言を述べたのが、収穫の月の一日。
 明けて二日のりんご亭も、特に何事もなく営業時間を終えていた。



「それでクリフ、エルの様子はどうだったの?」
 後片付けの最中、店内にちょうどクリフとふたりになったところで、レイチェルはそんな風に話を切り出す。
「ああ、会ってきた。ちょっと熱出してて、今朝言った通り実家で寝てる。包みも置いてきた」
『明日までには治しますから』
 どこか苦々しい感情を連れて、昼間のやりとりがクリフの脳裏に蘇る。
『そうしたら、一緒に‥‥‥城へ参りましょう』
 エレノアはクリフに‥‥‥国王より直々に次期国王の警護を任された剣士は、体調を崩して苦しんでいる時にすら、次期国王候補相手に相好を崩そうとはしなかった。
「それだけ?」
「え?」
「お客さんの前だから大事にしなかったけど、連れて帰ってくるまで敷居は跨ぐなって言ったでしょ?」
「いや、だから熱出して寝てるんだって」
 寝込んでるのを無理矢理連れて帰れとでも言うつもりか、とクリフは思う。
「そう。まあ、それはいいけど」
 そこまで言う気はなかったようで、クリフは胸を撫で下ろす。



 ところで。
「それで何、クリフは今度はどこへ行く気?」
「え?」
 ‥‥‥追求は、それで終わったわけではなかった。



「大方、またクリフが『旅に出たい』とかそんなこと言って、エルのこと困らせてるんじゃないの?」
「いや‥‥‥そのことも一応あるんだけど、熱出してることの方は多分、それとはちょっと事情が違ってて」
「何よ、随分ややこしいのね」
 次期国王だのその警護だのといった込み入った事情は、レイチェルたちはまだ知らない。それ故に細かい前後関係が食い違ってはいるが、確かにそれも、問題のうちのひとつではある。
「ごめん。まだ、もう少し、レイ姉たちにも言えないことがあるんだ」
「ふーん‥‥‥ま、それはいいとしても、それでエルのことはどうするの?」
「ああ。考えたけど‥‥‥本当、考えたんだけど」
「置いていくつもりね?」
 自分にわかる範囲の中においては、レイチェルはやはり鋭い。
「だって、そりゃそうだろ。せっかく大会に優勝までして、これからようやくエルの夢が叶うんじゃないかっていう時に」
 ‥‥‥何となく、言葉に普段の勢いがないのは、クリフ自身にもわかってはいた。
「旅先で何をどれだけ経験してきたか知らないけど‥‥‥どうもこの分だと、その経験も大したことなかったようね。それともやっぱり、苛めっ子って、自分が苛めたことは憶えてないもんなのかしら」
 対してレイチェルは、溜め息混じりに呟いて。
「いいわ。またここから出て行くっていうなら、お餞別代わりに女心ってもんを教えてあげるから、ちょっとそこに座んなさい」
「いやレイ姉、俺そんなことしてる場合じゃ」
 本当は、すぐにも荷物を纏め始めるつもりだった。
「いいから座んなさい。聞き分けないこと言ってると仕舞いには血ぃ見るわよ。ほらっ!」
 そんなクリフに有無を言わせず、レイチェルはクリフの首根っこを捕まえ、手近な椅子に無理矢理座らせる。



 がん、と乱暴な音をたてて、ツェン酒の壜が数本、ふたりの間に置かれた。
「それじゃ聞くけどクリフ」
 一緒に持ってきたふたつのコップに適当に中身を注ぎ、片方をクリフに押し付ける。
「そうね。まず、どうしてエルが剣を習おうと思ったのか、ちゃんと考えてみたことはある?」
 ‥‥‥それは、意外な質問から始まった。
「いや、それはだから、剣で人を救うために」
 取り敢えず、思いつきでクリフがそう答えると、
「違うでしょ馬鹿」
「痛っ」
 空いた手を握って、レイチェルはクリフを小突いた。
「あのね。クリフとエルが剣の練習を始めたのなんて、ずーっと昔の、今よりもっとずーっと小っちゃい頃の話なのよ? エルがそれくらいの頃、習い始めた途端からそんな立派な信念持ってるような子だったら、今みたいな揺れ方する筈ないじゃない。大体‥‥‥賭けてもいいけど、その頃のクリフだって、そんな大それたことまでは考えてなかった筈よ。違う?」
 その通りだった。
 あの時は、特に深い理由が何かあったわけじゃなくて。
 最初は、ただ単に、強くなりたかったから。
 強くなる自分が嬉しかったから。
「エルの場合はね、多分、クリフが習ってたから」
「‥‥‥それだけ?」
 クリフにしてみれば、それも意外な答えであった。
「他に何があるっていうの」
 そうしていればクリフと一緒だから、エルにとってはそうすることが自然だった。
「所詮ね、誰だって、原点の原点なんてそれくらいの簡単なことなのよ」
 言いながら、早くも空になった自分のコップにツェン酒を注ぎ直す。



「でも、クリフと違ってエルは生真面目な子だから、動機はそんなことだったとしても、始めちゃったらとにかく一生懸命じゃない。それで、上手くなってる手応えとか、強くなってる感じとかはだんだん実感できるようになって、でもクリフに勝つことだけはとうとうできないまま、ふたりとも大きくなって、三年前」
 稽古の最中に、クリフは怪我をした。
「そりゃ、剣の稽古してるんだもん。怪我することくらい当然あるし、そんなことの覚悟なんてとっくにできてた筈でしょ? 身体はちゃんと治ってるんだし、それに怪我してすぐにはエルだってクリフに謝ったろうし、クリフが『許さない』とか言ったわけじゃないんだろうけど」
『‥‥‥わたしのせいだとは、クリフは一度も言わなかったけど』
 もうひとつの声が、クリフの頭の中だけに響く。
「でも、クリフはいなくなっちゃった」
「‥‥‥」
「不安、だったと思う。いなくなっちゃったのは、本当はクリフが自分のことを許せないせいなんじゃないかって、そういう不安」
『クリフは、わたしのせいで剣をやめたものだとばかり』
 儚く、弱々しい声が、
「不安で不安で、もう何をどうしたらいいかもわからなくなって、そんなになっても剣を振る以外のことが何も身についてなくて、クリフに剣を諦めさせてしまった自分の剣に、それでも救いを求める他はなかった」
『強くなれば何かが見つかるかと思って』
 レイチェルの言葉、そのひとつひとつに頷くように。
「クリフが剣を止めたのが本当に自分のせいだとしても、もしかしたら本当は違うとしても、本当はどうなのかなんてクリフ自身に教えてもらうしかないのに‥‥‥それでなくても引け目を感じて辛い時に、謝りたい相手が勝手にどこかへ出て行っちゃったのよ?」
 その時点でまだ八割方は残っていた、手元のコップの中身を一気に呷って、
「その時、エルがどんな気持ちでいたか、ちゃんと考えてみたこと、ある?」
 レイチェルはクリフの顔を睨み据える。
 その向こう側に‥‥‥目にいっぱいに涙を溜めた、三年前のエルの顔をクリフは視る。



「怪我したせいで‥‥‥クリフは自分に挫折させられてしまった、って罪の意識がエルの中に残ってる。謝りたい相手はもう目の前にいない。それならもう、本当はクリフが自分で叶える筈だった夢を、代わりにエルが叶えるしかない。そうすることでしか、エルがクリフにしてしまったことを、エルには償うことができない。いつからか、エルはそう考えるようになった」
 また壜の底がテーブルを打った。
「ってちょっと、クリフも呑みなさいよ。さっきからあたしばっかりじゃない」
「‥‥‥へいへい」
 まだ最初の一杯を干したばかりのクリフの前で、さっき封が切られたばかりの二本目の壜の中身が、既に半分近く消えている。
「あとは想像だけど、多分その時は、さっきのクリフと同じ勘違いをエルもしてたと思う。クリフが剣を憶えようとしているのは剣で人を救うため、クリフの夢は剣で人を守ること、とかね。その時の自分を基準にして、同じことを昔も考えてたって思っちゃうような勘違いって、誰でも結構自然にやっちゃうものでしょ? そう考えて」
 そう考えて‥‥‥エルが剣士になったのだとしたら。



『わたしは剣を振るって、何をしたいんだろう? 誰かを幸せにできてるのかな‥‥‥』
 それが‥‥‥クリフだけが聞いた、この国でいちばんの栄誉に輝いた剣士本人の、本当の気持ちだ。
 聞いた時には、何を迷っているんだろうと思った。
 剣を極めること。
 その剣で誰かを守ること。
 まさに今、エレノアの夢が叶おうとしているのに。
「だから本当はね、剣で人を救うことなんて、別にエルの夢でも何でもなかったのよ」
 もしもそれが、クリフの夢のためだったとしたなら。
「本当は、その頃本当に望んでたことは、ただ、クリフと一緒にいること。それだけだったのに‥‥‥相手がクリフみたいなうすらトンカチでさえなければ、それくらい、もっと簡単に叶っちゃうようなことだったのに」
 クリフの夢。
 ‥‥‥だったのではないか、とエレノアが考えていた夢のためだったとしたなら。



 エレノアの夢は、一体どこへ行ってしまったのだ?



「‥‥‥それじゃ」
 今になって初めて気づいたかのように、
「全部、俺のせいじゃないか」
 クリフがぽつりと呟いた。
「そうよ。剣士になって王宮に入ったエルが平民と貴族の板挟みで苦しんでるのも、女の子だからってだけで、まともな剣士として扱ってもらえなくて苦しんでるのも」
 注いだばかりのコップの中身を飲み干す。
 またコップの底がテーブルを叩いて、がん、と乾いた音をたてる。
「剣で栄達することが本当に自分の望みだったのかどうか、自分が強くなることで勝手にどんどん膨らんでいく周りの期待に応えようとすることが、自分の望みを叶えることになっているのかどうか‥‥‥そんなことすらわからなくて苦しんでたのも、全部あんたが悪いのよ」
 そうして空けた手で、今度はクリフの襟首を掴んだ。
「剣でできることに限界を感じているっていうなら、だから今は違う夢を見てるっていうなら、そういうありのままを最初っから全部エルに話してればよかったのに、あんたが何も言わずにただ出て行くような真似するから‥‥‥それこそ剣術大会で優勝するくらいの結果でも出してみせない限り、あの子の中にいるクリフに、あの子は赦してもらえないままになっちゃったんじゃない。そんなことがあんた以外の誰のせいだっていうの? それを言うに事欠いて」
「‥‥‥せっかく大会に優勝までして」
 まるで力の篭もっていない声で、クリフは繰り返す。
「これからようやく、エルの夢が叶うんじゃないかっていう時に」
 そうではない、と今はわかる。
「その夢って誰の夢よ。あの子がこの国でいちばんの剣士になって、でもそれはクリフの夢とは違うだなんて今頃わかって、一体これで誰の夢が叶ったっていうの! 聞いてやろうじゃないの、答えられるもんなら答えてごらん! どうなのよクリフっ!」
 鼻先まで引っ張り出したクリフの顔に向かって、レイチェルは言い募った。
「‥‥‥ごめん、レイ姉」
 ようやく、クリフはそれだけを呟く。
「馬鹿」
 襟首を掴んだ手を離して、
「謝る相手が違うでしょ」
 糸が切れたようにその場に座り込んだクリフの頭を、もう一度、こんと小突く。



『そんなこと言ったって、仕方ないじゃない! 勝手に次の王様なんかになっちゃったのはクリフの方だよっ!』
 例えば昨日、別れる間際にエレノアは言った。
 剣術大会に優勝して、今や引く手数多のエレノアだ。大会に優勝して、剣で身を立てることが本当に夢だったなら、もう宮仕えに固執する意味も必要もない。
 どうにでもできるのに。
 どこへでも逃げてしまえるのに。
 それでもエレノアは、突然自分とクリフの間を隔ててしまった身分の差に苦しみながらも、クリフの傍らを離れようとはしなかった。
 ‥‥‥何が大切で、何が大切でないのか。
『だから本当はね、剣で人を救うことなんて、別にエルの夢でも何でもなかったのよ』
 さっきレイチェルが言ったことの正しさが今はわかる。



「これでやっと、あの子は挫折できるのよ」
 言いながらレイチェルは、コップの上で逆さになった最後の壜を振っている。
「‥‥‥挫折、か」
「ええ。剣術大会で優勝したからでも、平民が剣一本で出世したからでもない。あの子の中でずっともやもやしてたことに、やっとクリフが答えを出してくれたから」
 多分、エレノアはようやく、誰のものなのかよくわからないような夢を歯を食い縛って追い続けるような日々から脱落することを、自分に赦せるようになった。
「だからね。例えば、これでエルが剣の道を離れるとしても‥‥‥他の誰が何て言おうと、クリフだけは、それが悪いこと、みたいには考えないであげて欲しいの」
「ああ。わかってる」
「わかってるなら、もうひとつ。エルの本当の夢のこと」
「‥‥‥それも、わかってるつもりだよ」
「そっか。それじゃあ」
 雫も落ちてこない壜は諦め、代わりにレイチェルは、さらに一本、店の奥から壜を出してきた。
「って、まだ呑むのかよレイ姉」
「だってあんたたちとは、ひょっとしたらこれが最後の乾杯になるかも知れないし。‥‥‥ほら聞こえない? 外に、足音」
 レイチェルがその壜の封を切るのと、
「ごめんください。夜分、失礼します」
 律儀に声を掛けながら、沈鬱な面持ちのエレノアがりんご亭の玄関を押し開けたのが、ほとんど同時だった。



「ってクリフ、こんな遅くに何を‥‥‥なさって」
 最後だけ取り繕おうとしてエレノアは慌てる。
 一瞬だけ顔をしかめて、それから、クリフは少し笑う。
「何って酒盛りよ。見ればわかるでしょ? エルも呑んでく? コップ出すわよ?」
 そんな機微など意に介する様子もなく、レイチェルはにこやかに立ち上がって手招きする。
「い、いえ。わたしは、今日は別の用事で」
「別の、って?」
「ええ。その、レティも家の方に戻りまして、護衛のためにここで暮らす必要もなくなりました。それで、わたしもここを引き払って、元のように実家へ戻ろうかと」
「そうなんだ」
 聞いているのかいないのか。
「なら、やっぱり付き合いなさい」
「‥‥‥へ? あ、あの、え?」
 みっつめのコップが、既にその手に握られていた。



 最後の壜を傾けながら、他愛もないことを少し話す間も、エレノアはずっと浮かない顔をしていた。
「‥‥‥何やってるんだこんな遅くに」
「あ、師匠!」
 そのうちハワードが降りてきて、
「あーあー商売道具こんなに呑んじまって」
「申し訳ありません師匠っ!」
 何故かほとんど呑んでいないエレノアが真っ先に謝り始め、
「別に今日明日困るわけじゃないから、時々くらいは構わんが‥‥‥それはそうとエル、身体は大丈夫なのか?」
「あ、はい。‥‥‥いやそうではなくて、実は」
 ようやく、りんご亭を出る、とエレノアが告げる。
「また寂しくなっちゃうわね」
「なぁに、すぐそこに家があるじゃねえか」
 ハワードはそう言って笑うが‥‥‥すぐそこに家があっても、そこに住んでいるのでなければ会えはしないだろう、とクリフは思う。
 多分、レイチェルも同じことを考えて、だから『また寂しくなっちゃうわね』と言ったのだろう。
 それが『もうひとつ』。
 自分の部屋で荷物を纏めながら‥‥‥これからエレノアにどんな風に話を切り出そうか、クリフはずっと、そのことばかりを考えていた。

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