「ええと、いつもの時空転移なんですが、久住くん、せっかくですから自分で操作してみませんか?」
にこやかに結に言われて、一旦は、直樹は遠慮した。
素人にやらせようと思うくらいだから難しくはないのだろうし、その間は恐らく結がずっとついてくれるのだからおかしなことにもならないだろう‥‥‥頭ではわかるのだが、どうしても、土砂降りの雨音と聞き違えるような速さでキーボードを叩く結の小さな背中が思い出されてしまう。
しかし。
今、相変わらず現実離れした巨大な硝子の円筒の、ちょうど直樹の腰くらいの高さにあるコンソールをふたりは見つめている。
コンソールには、現代と未来の時刻を示すふたつのデジタル時計と、黄色と黒の縞模様で縁どられた、ちょっと固そうな赤いボタン。
「これだけ‥‥‥なん、ですか?」
「はい、これだけです」
呟いたきり二の句が継げずにいる直樹に、当然のように結は頷いてみせた。
いつも結がキーボードを叩いていたあれは、時空転移装置の横に据え付けられた管理端末、だそうである。
管理端末がなくても時空転移自体はできるようになっているから、時空転移装置にひとつしかボタンがついていなくても動かすだけなら可能、という仕組みらしい。
「どんな理由があったとしても、時空転移が失敗することだけは避けなければいけません。ですから、いちばん大切な機能については、いつ、誰が、どのように動かしても大丈夫、ということが重要なんですよ」
「それにしたって」
おかげで確かに直樹のようなド素人でも未来へと届け物ができる。
だがそれを実現し、管理し、維持する方の苦労はどうだろう? もともと失敗が許されない危険なシステムなのだから、小難しそうな操作手順が理解できない者をちょっと篩い落としてしまうだけで、もっとずっと楽ができる筈なのに。
「そんな難しい顔をしないでください」
そう言って結は笑う。
「百年後の世界には、こういう端末をきちんと扱える技術者も、もうほとんど残っていません。その上、私はこちらで折り返し側のシステムを作るために、いちばん最初に時空転移してきてしまったので、それから避難してくる人のことを考えると、最低限の操作は簡単である必要があったんです。私ひとりだけがこちらへ来ておしまい、では意味がありませんからね」
「‥‥‥優しいんですね、結先生は」
「私が優しいのではありませんよ」
自分の‥‥‥というよりは、多分、今は未来へ戻っている恭子や玲の想いのために、極端に凹凸の乏しいその胸を張る。
「きっと、オペレーション・サンクチュアリの全部が、みんなの優しさでできているんです」
直樹が書き続けている観察日記のコピー。
青いフォステリアナのつけた種が詰まった小さな袋。
そして、いつもの熊のぬいぐるみに持たせた、未来のちひろに宛てた一通の封書。
硝子の円筒の中にそれらを収める。
円筒を閉じる。
赤いボタンを押す。
現代と同じ間隔で時を刻む未来の時刻に目をやって‥‥‥想像を絶するお手軽さで眩い光の中へと消えてしまった、届け物の行く先を直樹は想う。
「そうそう、定期的に種を送ってくれるのは本当に助かってる、久住にありがとうって伝えてくれ、って恭子が言ってました。おかげで、安心して実験に失敗できるようになった、だそうですよ」
眩しかった光に細めた瞼を開けて、結がまた笑った。
「感謝はカタチで示して欲しいですね」
ストレートにそう言われるのも何だか照れくさくて、直樹は憎まれ口を叩く。
「はい、そう来ると思ってました。それでこの間、内緒で恭子に用意してもらったものがあるんですが」
手渡されたのは一枚の写真だった。
渡る風のかたちに靡く背の低い草原の緑と、ぽつぽつと群生する青いフォステリアナと、そこに立って草原を見晴かす、白い帽子を被った少女の横顔。
「取り敢えず、これでいかがでしょうか?」
「充分です。っていうか最高です」
数秒前の憎まれ口を早速遠くの棚に上げて、素で喜んでしまっている自分、に直樹はふと苦笑を漏らす。
「それはよかったです。‥‥‥そうですね、あとは私から、保健室の冷蔵庫にとっておきの」
「プリンですか?」
「うっ‥‥‥よ、よくわかりましたね」
楽しそうに喋り合いながら、直樹と結は未来に連なる部屋を後にした。
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