『WELCOME TO THE HAUNTED CASTLE』。
血で擦ったような赤く掠れた文字で、まだ真新しい看板にはそう書いてあった。
「‥‥‥ねえ菜織ちゃん‥‥‥これ、本当に入らないとダメ?」
その看板を目にした時点で、真奈美ちゃんは既に涙目だった。頬のあたりがひくひくと引き攣っている。
「んー。まあ一応、私としてはこれ見に来たわけだから」
おもむろに間を置くように菜織が答える。
「だから?」
そうやって、ちょっとだけ期待させておいて、
「ダメ」
そういうオチだろう思った。
「え〜‥‥‥」
がっくり。眼鏡があっちへ飛んで行くんじゃないかと心配したくなるくらいの勢いで、真奈美ちゃんの首が前に傾いた。
確かに、その遊園地がお化け屋敷をリニューアルしたというニュースは、桜美ウォーカーやなんかでも割と話題になっていた。もう新しくなって何か月も経ってるのに、日に数人は館内で失神する人が出るらしいとか、小さい子が中で泣き出すと大変だから入場できる年齢に制限を加えることを検討しているとか、そんな噂が未だに出続けているところを見ると‥‥‥どこまで本当なのかはともかくとしても、実際まあ、恐いことは恐いんだろう。
「でさ正樹、今度見に行ってみない? 次の日曜とかさ」
月曜の昼休みだったか、菜織がそう切り出したあたりから、心なしか真奈美ちゃんは顔色が悪かった。
「い‥‥‥行ってらっしゃい、あは、あははは」
「何言ってんの真奈美。あんたも行くでしょ?」
「え? え、あの、でもそれは、えっと、その」
その後もいろいろ言い訳はするものの‥‥‥まあ菜織の押しの強さには真奈美ちゃんじゃ敵わないわけで、結局真奈美ちゃんもここでこうして並んでるわけなんだけど。
「この入場前の行列がまた思わせぶりでいいわよね」
入り口の方を眺めながら菜織が呟いた。
俺たちはちょうど今、やっぱり血で書いたような赤い字で『ここから30分』と書かれた立て看板の真横にいて、建物の前でぐねぐねと折れ曲がりながら、前にも後ろにも延々と続く行列を俺も眺めている。
「なんかほら、小学校の時にさ、インフルエンザの注射とかで保健室の前に並んだりしたじゃない? ああいう感じ」
「あ、わかるわかる。注射待つのって嫌だもんねー」
真奈美ちゃんの顔は嬉しそうなんだか悲しそうなんだかよくわからない。
「ここにいるみんな、こんなに並んで、わざわざ恐い目に遭いたいなんて‥‥‥あたしは本当に注射待ってるみたいなのに、みんな嬉しそうだね‥‥‥」
「まあ、遊園地だからね。本当に来たくなきゃ来なくていいとこは注射と違うし」
「同じだよぉ、あたし遊園地は好きだけど恐いのは嫌だよぉ」
なるほど。真奈美ちゃんにとっては、あのお化け屋敷は注射の保健室と似たようなもんかも知れない。
「ねえ、あの中ってどうなってるの? ひとりずつしか中に入れないとか、そんなことないよね?」
縋るような目つきで真奈美ちゃんが俺に聞く。
「俺も初めてだからよくわかんないよ。菜織、どうなってるって?」
「ちょっとまって‥‥‥えっと‥‥‥あ、あった。はいはい」
菜織が背負った鞄からガイドブックを取り出した。
「えーとなになに、普通に恐かった以前のライド型から‥‥‥」
普通に恐かった以前のライド型から一転、自分の足で歩きまわり、襲い来る悪魔と戦いながら出口を目指す、日本でいちばん恐いアトラクションへと進化してしまった未来型お化け屋敷、その名も『悪魔城』が待望のオープン。今か今かと待ち望んでいた人も多いだろう。
入口で手渡される銃には銀の弾丸が6発だけ。これだけで悪魔城の主である吸血鬼『ノスフェラトゥ』を倒すのは非常に難しいが、別に誰もがそれを目指さなければいけないわけではないところが凄い。とにかく敵に見つからないように脱出してしまってもいい。そもそも、何もしないで生きたままここを出ることさえ困難なのだ。行動次第でどんどん展開が変わり、進んできたシナリオに合わせてエンディングまであるという、まさにゲームの世界に迷い込んでしまったかのような演出は脱帽の一言。遊園地も遂にここまで来たか、と嘆息させられる。
闇の中を手探りで歩く恐怖。彼氏と手を繋いで入ったのに、気がついたら別の誰かの手を握っているかも?
いわゆる普通の恐怖系アトラクションではもう刺激が足りないと感じる人は是非。ちなみに、身長が130cmに満たない場合は入場できないことに注意。
「‥‥‥場合は入場できないことに注意、って、真奈美?」
何故か、真奈美ちゃんは足元にしゃがみ込んでいる。
「これで身長130cm以下、っていうのはダメ?」
涙で目を潤ませた真奈美ちゃんが俺たちを見上げた。
「ぷっ‥‥‥あははははははっ! 何それっ‥‥‥ああっふっ腹筋がっ」
取り敢えず菜織にはウケたようだ。腹を抱えて笑っている。
「ああおかしい‥‥‥って真奈美、立って歩かないと後ろがつかえてるよ? ほら、そろそろ入れるみたい」
しかもどうやら、許してもらえないらしかった。
「うう‥‥‥恐いの嫌い‥‥‥ねえ菜織ちゃん、結局これって、何人で一緒に歩いてもいいんでしょ? ひとりにしないでね? 絶対嫌だからね?」
「ん。考えとくわ」
「考えとくわってそんな‥‥‥正樹くん置いてかないでね、あたしをひとりにしないで‥‥‥」
考えとくわ、とか俺も言ってみたかったけど、真奈美ちゃんが俺のコートの袖口を掴んだまま離してくれないので、それはやめておくことにした。
「菜織もあんまりいじめるなよ。お前が腰抜かすかも知れないんだし」
「あら。私は大丈夫だと思うけ」
『有限なる者共よ、この無限の闇へようこそ。歓迎しよう‥‥‥血の宴の始まりだ!』
いきなり頭上に響いた男の声に、真奈美ちゃんは早くも竦んでしまう。菜織がぎくっと身を固くしたくらいだから相当な迫力だ。
「うわびっくりしたぁ」
「正樹くぅん‥‥‥」
袖口を掴む力が強くなる。俺はその手をそっと握った。
こうして俺たちはその悪魔城の中へ呑み込まれていった。
その30分後、見事に腰を抜かした上にCGの悪魔に3度も殺されてしまった菜織と、とんとん拍子に大ボスのノスフェラトゥまで倒してしまってニコニコ顔の真奈美ちゃんが出口の脇で顔を合わせることになるんだけど、それはまた別の話だ。
‥‥‥ああ、俺? 俺はまあ、
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