「ああーっ! なんてコトすんのよ!」
「なんでだよ! それじゃ約束と違うじゃないかあっ!」
言い争う声だけならともかく、今日は何だかがたんどたんと激しい音もする。
「ねえ祐一、あゆちゃんたち、何だか下で暴れてるみたいだよ?」
言うほど心配でもなさそうな様子の名雪が俺の部屋を覗き込んだ。
「そうみたいだな」
「みたいだな、って祐一、そんな他人ごとみたいに」
「ここで始まらなかっただけマシだ」
「ここ?」
俺は部屋の床を指差してみせる。
ああ、と呟いて、名雪がこくんと頷く。
「それは災難だね」
「だからなるべく関わりたくない。心配なら名雪、様子見てきたらどうだ」
「私、ひとりで?」
そんな時に限ってやたらと不安そうな顔をするから、
「‥‥‥やれやれだな」
眺めていた雑誌を放り出して、俺は重たい腰を上げる。
「何よこの発育不全のたい焼き依存症女っ!」
「うぐぅ! 何てコト言うんだよっ! それに発育不全はお互いさまでしょ! お肉ばっかり食べてるくせにこの肉まんジャンキー女っ!」
「あうーっ! 言ってはならないことをーっ!」
派手な取っ組み合いはまだまだ続くようだ。少なくとも、終わりそうな雰囲気はまったくない。
「わ」
一応、声だけ聞くと驚いてるみたいだが、本当のところはどうなんだか、名雪の態度って奴はいまひとつ読みづらい。
「おいふたりとも、どーした今度は?」
声をかけてもあゆも真琴も振り向きもしない。自分と相手の声しか耳に入ってないからだろう。多分。
そうこうしている間にも攻守は目まぐるしく入れ替わっている。でたらめに手や足を振り回しているだけのようにも思えるし、そういうつもりで見ていれば、何だか高度な格闘技戦のようでもある。
「あ、あゆちゃんがマウントとった」
名雪が呟く。
「マウント?」
「ほら」
見ると、あゆが真琴のヘソの上あたりに馬乗りになっていた。
「あれがマウント?」
「マウントポジションだよ。あゆちゃんは打撃で真琴ちゃんの顔面を攻撃する絶好の」
「顔面? 顔面っておい」
「真琴ちゃんは早くひっくり返さないと大変だよ」
ひっくり返さないと大変だよ、ってそんな。
「他人ごとみたいに言ってる場合かよ。それじゃまるでプロレス」
「違うよ祐一。プロレスルールでパンチは反則だよ。どっちかっていうとこれは総合系」
人差し指を振ってみせながら、名雪はそんな小難しいことを言う。
「え、だってタイガーマスクだっけ、『ルール無用の悪党に正義のパンチをぶちかませ』とか歌ってなかったか?」
我ながら、つまらないことを知っているなあ、とちょっと思ったが、
「でも、プロレスはパンチは反則だよ。相手がそういう、ルール無用の悪党とかだったら、ちょっとだったら目を瞑ってくれるかも知れないけど」
名雪の知識も謎といえば謎だった。
「つーか、なんでそんなこと知ってるんだ名雪?」
「私、これでも陸上部の部長さんなんだよ」
‥‥‥理由になってんのか、それ?
げんなりした顔で俺が名雪を見る間にも、
「あ、凶器」
状況は刻々と変わっているようだ。
たまたま床に転がっていた新聞紙を掴んだ真琴は、それを丸めて下からあゆの首元をつつき始める。流石にそれは嫌だったのか、あゆは真琴の上から飛び退る。
「何だかもう、ルールとか全然ないね」
そう言いながら微妙に残念そうな顔をするのは、目の前のコレをどんな競技と勘違いしているんだろう?
「それはそれとして祐一、このままにしておくと、もしかしたらリビングが」
いや、パンチ反則とか何とかの前に、先にそっちの心配しないか、普通?
「‥‥‥仕方ないか」
溜め息のひとつくらいは吐きたくなる。
「ほらお前ら、一旦離れろ。水入りだ水入り」
「祐一! ちょっと聞いてよ祐一、このたい焼きが」
「何言ってるんだよ! っていうか祐一くん、これはこっちの肉まんが」
「い・い・か・ら・は・な・れ・ろ」
再び掴み合いの体勢に入ろうとする両方の首根っこを捕まえて無理矢理引き剥がした。
「で、何の騒ぎだこれは」
「そこで気が済むまでやってろっ」
「うぐぅ! 祐一くん! ひどいよ祐一くん!」
「わっちょっと雪が降ってきた! 祐一ってば! 中に入れてよ!」
それが実はただのチャンネル争いだったことが判明して、呆れた俺はリビングの窓からふたりを外へ放り出した。
縋りつこうとするふたりを冷たく振り払って、俺は窓をぴしゃりと閉じる。
「でも祐一、ちょっと気の毒だよ」
「大丈夫だ。大体、チャンネル争いだったんだろ?」
仲よくふたり並んでばんばんと窓ガラスを叩くあゆと真琴を眺めながら、俺は答えた。
「始まってから一時間ちょっと経ってるし、もうテレビの方が終わってる。しばらく放っときゃ頭も冷えるだろ」
「‥‥‥まあ、そうかも知れないね」
散らかったりビングを簡単に片づけて、俺と名雪はさっさと二階へ引き上げる。
そして、リビングには誰もいなくなった。
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