空をオレンジ色に染めて、ゆっくりと夕陽が沈んでゆく。
公園の片隅に設えられたベンチ。
握り拳にしてふたつ分くらいの微妙な距離を置いて、並んで腰かけた北川と香里の背中。
‥‥‥雑木の奥からオペラグラスでそんな背中を見つめている祐一と栞も、大概、暇人なのであった。
「あ、香里が仕掛けた」
「え? どれですか? どれ?」
呟いた祐一の手から強引に奪い取ったオペラグラスを今度は栞が覗き込む。
ちょうど、傾いた香里の頭が、北川の左の肩に落ちたところだった。
「わ。ちょっとドラマみたいですね、ああいうの。空の色が綺麗で」
「それはいいんだけど‥‥‥北川って、もしかしてものすごく香里に舐められてないか?」
「どうしてですか?」
「ほら」
オペラグラスの中では、その肩を抱く気で上げられた北川の腕が情けなく宙を彷徨っている。
いつまで眺めても、結局、香里の肩に触れてしまいはしない手のひら。
「何かそういう不安とか全然考えてないだろ香里は。テーソーのキキ、とかさ」
「そうですよねえ‥‥‥そういうところは、祐一さんはけだものさんでしたものねえ」
感慨深げに栞が呟く。
「けだもの、って栞な」
「でも多分、けだものじゃない人は、あんな風にいろいろ迷うんですよ、きっと。おかげで私はあっという間にあんなこととかこんなこととか」
「ぐああああああっ」
余計な蛇を薮から出してしまった祐一はその蛇に喰われて悶えている。
すぐ側で悶える祐一を何故かオペラグラス越しに眺めながら、栞はくすくす笑みを零す。
「あ。危険度が上がってます」
ベンチに向き直った栞は、その間に状況が少しだけ進展していたことを知った。
「何? どうなった?」
相変わらず手は中途半端に上空を旋回しているが、その間に、どうやら北川自身が香里に少し接近したらしい。‥‥‥握り拳にしてひとつ分くらい。
「確かに上がってるけど、本当にほんのちょっとだな。もどかしい奴だまったく」
「お姉ちゃんもそう思ってるかも知れませんね」
「いっそ香里が自分から抱きついちゃえばいいのにな」
「んー、何というか‥‥‥ええと、もしかしてお姉ちゃんは、北川さんのそういう反応を楽しんでいるんじゃないでしょうか」
「それはあるかもな」
祐一は頷く。
「ま、いいや。もうアレはいいから、俺たちも行こうか、栞」
雑木に寄りかかっていた祐一がぱたぱたと肩のあたりを払う。
「そうですね。‥‥‥ああそれで、今ちょっと気になったことがあるんですが、祐一さん」
ぱちん、と小さな音をたてて、栞の手の中でオペラグラスが畳まれる。
「ん?」
「私の貞操の危機は一体誰が救ってくれるんでしょうか?」
栞の両肩に手を乗せて、急に真顔になった祐一がおもむろに宣告した。
「諦めてくれ」
ミもフタもなかった。
「わ。酷い。そんなこと言う人嫌いです」
「‥‥‥本当に嫌か?」
「ううっ‥‥‥そんなこと訊く人も、嫌い、です」
真っ赤になって俯いた栞の肩を自然に抱いて、祐一は雑木の林から離れる。
‥‥‥俯いてしまったから、祐一の顔も真っ赤だったことは、栞にはわからなかった。
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