「薙は準備できたって?」
部屋から万葉が出てくる。赤と橙の絣模様で纏められた和服のフル装備。一体どこにこんな服隠し持ってたんだろう。
「いや、まだみたいだけど。ってでも、あんな長い太刀持って歩いたら万葉の方が不審人物みたいじゃないか?」
「あら。知らなかったの? 薙は」
急に、何か言いかけた万葉が照れたように笑った。
「いけない。忘れ物しちゃった。武さん、薙持ってきておいてくれる? 見ればわかるから」
「ああ。わかった」
首を傾げながらも、俺は席を立った。
「おーい、万葉が呼んでるぞー」
「開けていいよー。もう準備はいいからー」
薙がそう言うから客間のドアを開け、俺は絶句する。
見慣れた太刀の代わりにそこに転がっているのは、小柄くらいの長さになった天叢雲だった。
「‥‥‥薙、か?」
「そうだよー」
見ればわかる、ってのは、これのことか。
「お前、そんな芸もあったんだな」
「あ、ひどーい。芸って何よ芸って」
相変わらずの薙の声は少し不貞腐れたような響きを帯びていた。
「かたちなんてどうにでもなるよ。パパだってそうでしょ? 生まれたかたちが好きだから、変わらないでいるだけでしょ?」
そう言われるとそうかも知れない。まあどちらかというと、自分の姿に神の力なんて向ける必要はなかったから、そんなこと思いつきもしなかった、と言う方が多分正直だろう。
小柄になった薙を手に取ってしげしげと眺める。いわゆる天叢雲に見られる意匠はすべて彫り物として鞘に描かれているが、鞘が派手であることを除けば、それ以外は特に何がどうということもない普通の小柄に見える。
鞘から柄を引き抜くと、いかにも斬れそうな薄い刃が現れた‥‥‥と共に、
「ひゃっ‥‥‥あ」
薙が突然妙な声をあげる。
「は?」
「ええと、何でもない」
取り繕うように笑いながら、薙は「何でもない」を繰り返した。
「ってことはさ」
刀身を鞘に戻しながら、思いついたことを言ってみる。
「なに、パパ?」
「天叢雲の姿としては、別に何でもいいわけか? 金属バットとかトンカチみたいな鈍器なんかでも」
「えええええ?」
あからさまに不満そうな薙の声。
「でき‥‥‥ええと、できるけど鈍器は嫌! 格好悪いんだもん! それに、それにっ」
「それに?」
「それに‥‥‥あの、やっぱり内緒」
言いづらそうに薙は言葉を濁す。
「内緒って何だよ?」
「内緒ったら内緒よ」
そう必死になって隠されるとますます気になってしまう。
「そうか。いっぺん金属バットになった天叢雲も見てみたかったんだが」
持ったままの天叢雲を両手で弄びながら、
「そういう悪い子にはお仕置きが必要だな」
「えええええええええっ! なんで! なんで私が悪い子なの?」
「薙が素直じゃないからだ」
取り敢えずそこまで言って、俺は金魚鉢の方に足を向ける。
「あ、まさかっ」
もちろん、その「まさか」だ。‥‥‥金魚鉢の上で小柄を振る。青くなった薙の顔色が目に浮かぶようだ。
「ま、錆びはしないだろう。金魚につつかれてくすぐったいかも知れないが」
「やめてお願いパパやめてっ! 言うから、言うからやめてええっ!」
で、白状したことには。
薙が剣なのは周知のことだが、鞘はその時着ていた服から自分で作るらしい。人でない姿のままでは持ち主が自分をどこへ運ぶかわからないが、人間の姿に戻る時には鞘も服に戻すから困らない。しかし逆に言えば、鞘のない何かになる場合、準備なしでは何も着ていない状態にしか戻れないわけだ。普通は鞘のないもの、つまり鈍器の類になることを嫌がるのはそのせいだという。
「と、いうことは」
おもむろに、鞘から刃を抜き払う。
「実はこの状態の薙はフルヌードだった、と。ふむふむ」
「嫌あああ! ちょっとパパのエッチ! どこ見てるのよっ!」
「どこって、刃のとこだけど」
まあ実際にこれが女の子の裸に見えてるわけでもないし、そんなのは恐らく薙自身の気分の問題だけなんだろうが。
そりゃあ‥‥‥言いたくなかっただろうなあ。
「でも、太刀だった時はそんなこと別に気にしてなかっただろ」
「だってあの時は私たちに世界の存亡がかかってたんだよ? 気にしてられないでしょそんなこと。でも今から考えると、本当は結構、その」
握っている柄が少し熱を帯びたような気がした。もしかして、赤くなっているのだろうか?
「だからもう鞘に戻してったら! んもう、パパの馬鹿あっ!」
泣きそうな声で薙が叫ぶのと、
「‥‥‥薙を、苛めたわね」
いつの間にか俺の真後ろにいた和服のままの万葉が冷たく俺を見つめたのが、ほとんど同時だった。
「薙!」
「うんっ!」
あっという間に万葉の手に渡った薙が淡い光で部屋を満たす。次の瞬間、小柄だった筈のそれは巨大な黄色い何かになって、振り被った万葉の手のずっと上から、ものすごい勢いで俺に落ちかかってきた。
『こぉぉんの女の敵ぃっ! ひ・か・り・に・な・れええええええええええええええええっ!』
まるで事前に打ち合わせでもあったかのように、万葉と薙の叫ぶ声が綺麗に重なる。
鉄槌は振り降ろされた。
凄まじい衝撃、そしてその威力には余りに不似合いな「ぴこんっ」という効果音に送られて、声を上げる暇すらなく、俺の意識は吹き飛んでいく。
最後に俺が見たものは、高さだけでも背丈の倍はあろうかという巨大なピコピコハンマーを構えて、こっちを睨む万葉の顔だった‥‥‥。
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