突然。
「ではここでお姉ちゃんに問題です」
栞がそんなことを言い出すが、香里の方は別に何か反応を示すでもなく、相変わらずつまらなそうな顔をしてぱらぱら雑誌をめくっている。
「第一問。とーちりょく、とは何でしょう?」
「とーちりょく?」
そこで初めて、香里は読んでもいない雑誌から目を上げ‥‥‥ちらりと表紙を見ただけで、げんなりしたように項垂れる。
「あれ? お姉ちゃん、どうしたの?」
「何を読んでるのかと思えば」
今は半身を起こした姿勢の栞の手元にあるのは、週刊何とかいうオヤジ向けの下世話な雑誌だ。
普通にしている時には絶対に手に取らないものを、と祐一が気を利かせて持ってきた雑誌の束の中にそれも入っていたらしいが‥‥‥『安定多数確保も自衛隊派兵が命取り?』や『総力特集 スキャンダル議員に鉄槌下る!』はともかく、『ふつうの主婦が、カメラの前で見せた「女の輝き」』だの『(W袋綴じ)現役看護婦「顔出し」ヌード 濡れる白衣の誘惑』だのを栞に見せて一体どうしようというのか。
戻ってきたら真剣に問い詰めてやらないと。
深く溜め息を吐いて、香里は眉間に手をやる。
「それはさて置き」
「何がさて置きよ」
「とーちりょく、の問題が残っているのですが?」
栞はまだ忘れていなかったらしい。
統治力のことかしら。香里は適当に当たりをつける。
「どういう漢字を書くの?」
「ええと、とーちはカタカナ」
「は?」
もしかしたら、想像していた言葉とは字面がかなり違うかも知れない。香里は不思議そうに首を傾げたが、だからといって、その他に思い当たる節があるわけでもない。
「ちょっとその前後を読んでみてくれないかしら?」
「えー?」
「何がえーなのよ今度は」
「だって、ヒントを出したらご褒美のレベルが落ちちゃいますよ? ノーヒントだと」
「さっき相沢くんが探しに行ったネーブルのジュレ」
即答。
「よ、よくわかりましたね」
「いいから早く読みなさい」
「お姉ちゃんの意地悪‥‥‥ええと、写真の下に小さく書いてあって、遺棄されたとーちりょく」
遺棄された統治力。香里はますます首を傾げる。
行動力とか精神力とかと同じように、統治力も人や人の集団に備わった内的な能力のことだと思っていたのだが。最近は統治力も捨てて逃げることができるのだろうか。しかもその統治力はなんと写真に写るというのだ。心霊写真じゃあるまいし。
「捨てられた統治力って、拾ったらその人のものになるのかしら」
ふと、馬鹿なことを呟く。
ついでに魅力とか財力とかも落ちていてくれたらいいんだけど。‥‥‥思わず口に出してしまった恥ずかしさを誤魔化すように、ふん、と小さく鼻を鳴らした。
「うーん、拾えないと思うよ? こんなおっきい建物」
「たてもの?」
香里が想像していたことも大概馬鹿げていたが、捨てられた統治力は建物の形をしていた、という事態の不明さ加減もなかなか人を馬鹿にしていると言えよう。
「やっぱり見せなさい、それ」
「でも、ギブアップの場合はアイスを私に」
「問題はとーちりょくの意味で、どんな字面か当てることじゃない筈でしょ? 別にいいじゃない」
栞が言い切るより早く、香里はその雑誌を強奪してしまった。
ややあって。
「栞。あなたやっぱり、小学生から人生やり直しなさい」
「ひどい‥‥‥そんなこと言う人嫌いですっ」
呆れたように香里は雑誌を放り出す。
「酷いのは栞の頭じゃない。『遺棄』なんて難しい漢字が読めるくせに、こんなカタカナもロクに読めない高校生なんて、一体どうなっているのかしら?」
問題のページを開いたまま、栞の前でばさっと跳ねた雑誌。
その紙面に大写しされているのは、小さな要塞のような建物の廃墟、の写真だった。
トーチカ【tochkaロシア】
(点の意) コンクリートで堅固に構築して、内に重火器などを備えた防御陣地。火点。
[広辞苑第五版]
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