"09xx"/K  


  

「夏休みが来て」
 例によって例の如く、種々様々の目覚まし音が喧しく鳴り響く部屋の中で、
「ずうっと夏休みだったらいいのに」
 もごもごと呟いた名雪の目蓋は塞がったままだ。
 起きているのか、まだ寝言なのか。
「そんなワケあるか。ほら起きろ名雪! 始業式からいきなり遅刻は勘弁だぞ!」
 耳元で勢いよく言ってやるが、それが聞こえるくらいなら、この騒音の中で眠っていられるワケもない。
 祐一は容赦なく夏掛けを剥がす。間髪入れず、首のあたりから生えているけろぴーと、横顔のかたちに沈んだ枕とを引っこ抜き、夏掛けでぐるぐる纏めて床に放り捨てる。目覚まし時計が幾つか薙ぎ倒されて、目覚まし音とは違う悲鳴をあげるが、この頭痛がしそうな雑音の洪水の中では、そんな僅かな悲鳴は耳に届かない。
「ゆーいち‥‥‥そんな、らんぼうにしたら、こわれちゃうよ‥‥‥」
「お前もしかして本当は起きてるんじゃないのか?」
 構わずに次の策を実施。カーテンを全開まで開く。人間の暦は九月で秋になったかも知れないがそんなことはこちらの知ったことではない、とでも言わんばかりの勢いで窓から雪崩れ込んでくる夏の朝日が、ようやく名雪に、朝の到来を知覚させる。
「うー」
 まだ重そうな目蓋を手の甲で擦りながら、ようやく名雪が上半身をベッドの上に起こす。
 反対の手はTシャツの首元から中へ潜り込んで胸のあたりを掻いている。
 ‥‥‥一応、人前なんだけど。祐一は苦笑を漏らす。
「起きたかー?」
「起きたよー」
「すぐ着替えて来いよ。もう朝飯できてるぞー」
「わかっ‥‥‥たー‥‥‥」
「言ってる側から寝るなっ!」
 ぺちん。目覚まし時計のスヌーズスイッチを次々叩くのと同じくらいの強さで、名雪の頭も軽く叩く。
「うー。そんなにぽんぽん叩かれたらお馬鹿さんになっちゃうよー」
「それ以上お馬鹿さんになりたくなかったらとっとと目ぇ覚ませ。っていうか早く起きて手伝えよこれ止めるの! こんなとこにずっといたらおれの耳が悪くなるっ!」
「‥‥‥わ。そうだね」
 ここまでやってようやく、目覚まし音の洪水は僅かずつトーンダウンを始める。



「起こし方が大分上手くなったんじゃないですか?」
 冗談めかして秋子は笑い、降りてきた祐一に目玉焼きの皿を差し出した。
「朝のあの部屋に長居したくないだけです」
 耳の後ろのあたりを摩りながら、祐一は空いた手で皿を受け取る。
「目覚ましがあれだけあって全部鳴ってる部屋ん中で、なんであんな風に普通にすーすー寝てられるんだか」
「でも名雪、最近はもう、新しいのは買っていないみたいですよ?」
「そうなんですか?」
「ええ。時々見ますけど増えてないみたいですし、それに‥‥‥どうしました?」
 そこまで聞いただけでもう、祐一はげんなりした顔をしていた。
「いや、なんで見ただけでそんなことがわかっちゃうんだろう秋子さんは、と思って」
 あの部屋に目覚まし時計が幾つあるのかを祐一は知らない。数えたらちゃんと正解が出せるかどうか、にも実は自信が持てない。
 なんで見ただけでそんなことがわかっちゃうんだろう。
 訝しむように首を捻った祐一の脳裏を、日本野鳥の会、という謎の単語が掠めて消えた。
「や」
「わたし、別に野鳥は数えていませんよ?」
 言いかけて呑み込んだ『や』は、勿論、『野鳥の会』の『や』であった。
「なんでわかったんですかそんなことまでっ」
「あら。本当にそうだったんですか? ちょっと言ってみただけ、だったんですけれど」
 見事に先手を取ってみせた秋子はくすくす笑いながら、今度はトーストの載った皿を祐一に差し出す。
「正確な数は私も知りません。でも増えていないのは確かだと思いますよ。あの子は買ってくるとまず私に見せてくれますし。‥‥‥まあ、もしかしたら、見せてあげる相手が私から祐一さんに変わっただけかも知れませんけれど。それに」
「それに?」
「祐一さんが起こしてくれるから、きっともう、増やさなくても大丈夫なんですよ」
 ‥‥‥何と答えればいいのかわからなくて、自分の口を塞ぐように、受け取ったトーストをぱくりと咥える。



「ぅおはよー」
 相変わらず眠そうに目を瞬かせながら、ようやく名雪が食卓に顔を出した。
「イチゴジャムー」
「二言目にはそれかよ」
 呆れたような祐一の言葉など気に留める風でもなく、折りよく目前に置かれたトーストにものすごい勢いでジャムを塗りたくり始める。
「いっつも不思議に思うんですけど、これは寝惚けてるんですか? それとも名雪が甘党なだけなんですか?」
「さあ‥‥‥どっちなのかしら、名雪?」
「イチゴジャムふきー」
 答えになっているようなそうでないような微妙なことを呟く間にも、縁まで目一杯ジャムが載ったトーストがその唇へ運ばれている。
「口にモノ入れて喋るな名雪」
「ゆーいひがひーらんらよー」
 もう何だか全然わからない。まだ登校もしていないというのに、既に本日何度目かの苦笑が零れる。
「こんな子ですけれど、これからもよろしくお願いしますね、祐一さん」
「ぶっ!」
 どさくさ紛れにとんでもない話を振られた‥‥‥のか、それとも、単なる思い過ごしなのか。
 ともかくも、祐一は思わずコーヒーを吹いてしまい、
「ほーひーふいひゃらめらよー」
 トーストというよりはイチゴジャムを口いっぱいに頬張った名雪の言葉は、やはり状況がわかっていない上に発音もまったく要領を得ず、
「さあ。ふたりともそろそろ支度をしないと、ゆっくり歩いて行けませんよ?」
 まるで何事もないかのように穏やかに微笑を浮かべて、秋子は祐一のマグにコーヒーを注ぐ。

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