相沢、お前も有志で何かやってくれよ。何でもいいからさ。
ただし、お化け屋敷と飲食店以外な。
「‥‥‥今度の文化祭で?」
名雪は不思議そうに訊き返す。
「そういう風に、さっき久保田に言い渡された」
祐一は腕を組んで、何やら考え込む仕種。
「久保田先生から? どうして?」
「実行委員会の顧問だからだろ。部活とかやってなくて暇そうに見える生徒に、端から声かけてるだけじゃないか?」
「そんな大雑把な」
「ちなみに、優秀賞なんてことになったら関係者にはいろいろと取り計らってやらないこともない、とも言い渡された」
途端に名雪の表情が曇る。
「ねえ、もしかして祐一‥‥‥何かそういう、心配されるようなことをしたの? ほら、久保田先生って進路指導もしてるし」
祐一はふっと笑って、向かいの席に手を伸ばし、名雪の頭を軽く撫でる。
「不安そうな顔して何を言い出すかと思えば。失礼な奴だ」
「うー。大丈夫ならいいんだけど」
「そんな変な心配しなくていい。大丈夫だ、ちゃんと来年は一緒に、同じ大学に行ける」
「‥‥‥ん。頑張ろうね、一緒に」
「じゃあ、これからテストの度に相沢くんに手を貸すだなんて、そんな失礼なコトはもうしなくていいワケね。あたしも」
その声は、前触れも何もなしに、いきなり祐一の真後ろから発せられた。
「わっ」
「うわ香里か‥‥‥って、いつからそこにっ」
「そうね。『いろいろと取り計らってやらないこともない』のあたりから、かしら」
「‥‥‥地獄耳」
「‥‥‥何か言った?」
「いいえ何でもありません」
まったくもう、とか呟きながら。
僅か数秒前までは教室内において支配的だったらぶらぶムードなどまるで意に介さず、祐一の横の机をずらして椅子を寄せ、当たり前のように香里はそこに腰かける。
「でも私も全然気づかなかったよ、香里」
言われて香里は苦笑を漏らした。‥‥‥背中を向けていた祐一はともかく、その祐一と向き合って座っていた名雪の視界には、入っていてもよさそうなものだったが。
「それで相沢くん、何かアイデアはあるの?」
「こういう話に香里が興味を持つなんて、ちょっと意外、かも」
祐一が答えるより先に名雪が口を挟む。
「取り立てて忙しいワケでもないし、稼げるものは稼いでおこうと思って。だから、何だかわからないけど、取り敢えず一口乗らせてもらうわ」
香里もしれっと言ってのける。
「何だかわからないのに乗っちゃダメだと思うよ」
「ダメだったらまた考え直せば済むじゃない。で?」
さらにその上、こともなげに先を促す。
「ん、まあ考えがないこともない。そうだな、一長一短あるんだけど、体育館のフロア全部を使って一回だけか、屋上を使って一回だけやる、ってのがベストかな」
「観客席は? 体育館のフロアには、パイプ椅子がいっぱい並んでいる筈だけど」
「要らない」
「要らない、って‥‥‥それはタイミングが難しいわね。というか、ほとんど不可能だと思うわ」
「まあダメだろうから、そうなると屋上かな」
「屋上も多分借りられるでしょうけど、でも今度は天気に影響されるわね」
「だから本当は体育館がいいんだけど。雨が降ったら傘さしてやってもらうしかないかな」
突然。
「っていうか、ふたりともっ!」
ばん、と名雪が机を叩く。
「どうした?」
「何かしら?」
「祐一が何をしたいか、まだ何も言ってもらってないと思うよ? どうしてそれでそんな先の話ができるの? 私、全然わかんないよ」
「‥‥‥なるほど」
「‥‥‥それもそうね」
祐一と香里は顔を見合わせて呑気に呟き、
「うー」
見ている名雪の機嫌はますます悪くなった。
「先に言っておくけど、相沢くんが何を企んでるかなんて、あたしだって全然知らないわよ?」
「だって」
「知らなくても喋れる話しかしてないじゃない」
今度は香里が名雪の頭を撫でる。
「だからそんなに妬かないの。ね?」
誰がどこからどう見ても非の打ちどころのない、完璧な子供扱いであった。
「うー‥‥‥いいけど、別に」
全然よくなさそうにぼそっと言って、机に頬杖を突いた名雪はぷいと視線を窓の外へやってしまう。
放課後。穏やかな秋晴れの空は、そろそろ暮れる準備でもしている頃だろうか。
しばらくそのまま、静かな時を過ごしてから。
「さて。名雪も知りたいみたいだし、そろそろ教えてもらえないかしら、相沢くん?」
おもむろに香里が切り出す。
「知りたくないもん」
「それはさて置き」
「置いちゃダメっ」
「で?」
そっぽを向いたままの名雪が頬を膨らませたが、そっぽを向いたままだったから、誰にも気づいてもらえなかった。
「企んでるとは人聞きの悪い。‥‥‥立体迷路なんだけど」
「迷路? ああ、お客さんには直接中を歩いてもらうのね」
「適当にベニヤか何かを立てて並べるだけで済むから、そんなに難しくないしな」
「屋上だと、ベニヤの上げ降ろしが一苦労」
言いかけて、香里はふと首を傾げた。
「さっきも思ったんだけど、どこか適当な空き教室でもいいんじゃないの?」
「狭い。それと」
「それと?」
「実はもうひとつネタがあるんだが、それも考えると無駄に広い方がやりやすい。常設展にもしたくない」
「それはさっきから言ってたわね。一回だけ、ってどういうことかしら?」
「要するに‥‥‥」
祐一は手帳を出して、空白のページにシャーペンで何やらごそごそ書き始める。
名雪はそれでもそっぽを向いたまま、それはちょっと陰険だよ祐一、と感想を述べた。
香里は肩を竦めながらも、でもおもしろそうじゃない斬新だし、と感想を述べた。
かくて幕は上がり。
二日続きの晴天も手伝ってか、文化祭全会期の中で四回しか口を開けない屋上の巨大迷路は盛況だった。‥‥‥ちなみに、一回しかやらないことに祐一は最後までこだわっていたが、実行委員会や久保田教諭に押し切られる形で、入場者は一日二回ずつ募集することになってしまったのだ。会期は二日間だから、都合四回、という計算なのだった。
「まあ、何度もやりたくないって気持ちもわかるけどね。最初の一回しか驚けないでしょうし」
名雪とふたりで屋上の踊り場から入場者を迷路へ誘導しながら、香里は呟く。
目の前の列は二日目の午前の回に入場する列。彼らにしてみれば、三度目のお客さんだ。
「そうだね。仕掛けがわかっちゃったら、みんな『なーんだ』って言うと思う」
「でも確かに‥‥‥ええ、だから体育館よりは屋上の方がいい面もあるわ。屋上と体育館は一長一短っていうのは、多分そのことを言っていたのね」
「え、どんな?」
「体育館のフロアには二階通路があるじゃない。上から覗かれたらすぐにわかっちゃうもの、こんな仕掛け」
「あ。‥‥‥なるほど、それは気づかなかったよ。屋上に二階はないよね」
得心が行ったように、名雪はぽんと手を合わせた。‥‥‥そう。祐一たちの作った迷路には隠された秘密があり、そしてその秘密は、迷路自体を俯瞰で見ればすぐにわかってしまうような簡単なものだった。
さておき。
『入り口』と書かれた布をプラカードに引っ掛けただけの簡単な看板の前で整理券を回収していた祐一と北川のところへ、名雪たちが到着した。
「終わりかー?」
「ええ。大体こんなものでしょう」
「それじゃこれは、今日の午後用の整理券。また本部とか適当なとこで配ってもらって。次が最後だからもう回収はしない」
集め終わったばかりの整理券の束は、そのまま祐一から名雪に引き渡される。
「うん。手配しておくよ。それで、そのまま一旦、陸上部の焼きそば屋さんに戻るね。午後の回の頃にまた来るよ」
「そうしてくれ。‥‥‥悪かったな、陸上部もあるのに手伝わせて」
「ううん、大丈夫だよ。ここの展示は全然手がかかってないから」
名雪はくるりと背を向けて、
「運営に必要な労力の小ささを考えると、流石は相沢くんのアイデア、って感じよね」
微妙な台詞を後に残して香里もそれに続いた。
「北川は、今入ってるお客さんが全員出たら、迷路のレイアウト変え。それも次で最後な」
「ああ。わかってる」
「じゃ、そういう感じで」
一通りの手筈を整えると、祐一は看板を覆う布に手をかけた。
ばさり、と音がして、プラカードの地が剥き出しになる。
『出口 ご来場ありがとうございました』
プラカードにはそう書かれていた。
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