「あれ、本当にどこにもないぞ保奈美」
「え‥‥‥それは困るな、ちょっと」
別にそれを書いたわけでもない直樹を相手に保奈美がいくら困った顔をしてもダメで。
実際、張り出された新入生のクラス分け名簿に、『藤枝 保奈美』という記述は見当たらないのだった。
「もう一回端から全部見‥‥‥いや、だから保奈美、C組ばっかり見てないでさ」
放っておくと保奈美は『久住 直樹』と書かれた名前の周りばかりを気にしてしまうらしい。苦笑混じりにC組の前から引き剥がした保奈美を、直樹はA組の名簿の前へ持って行った。
「でもなおくん、こんなことしてたら、もうすぐ入学式が」
振り返った保奈美を置いて、掲示板の反対側へ向かう。
「それがわかんなきゃどこのクラスの列に並べばいいかわからないだろ?」
「だから、なおくんだけでも先に行って。C組ってわかってるんだから」
「そんなワケにいくかよ。いいから探すぞ、ほら」
まるで言い捨てるような、ぶっきらぼうで素気ない返事だったが、それでも、不安と焦りで固くなっていた保奈美の口元に少し暖かみが戻る。
だが、喉まで出かかった言葉をそのまま口に出したら一緒に涙も零れてしまいそうな予感がして、本当は言いたかった「ありがとう、なおくん」という言葉を、その時、保奈美は口に出すことができなかった。
「誰だあれは?」
不意に、遠くで大人の声。
「新入生のようですが」
もうひとり、大人の声。
「ふむ、声をかけてみるかな‥‥‥おーい、入学式はもう始まってしまうぞ。何をしているんだ?」
寄ってきた初老の男に直樹は向き直る。
「あ、すいません。俺たち今年入学したんですけど、こいつの名前が載ってないんです」
「それはいかんな。名前は?」
「はい。藤枝、藤枝保奈美です」
「藤枝、藤枝‥‥‥保奈美? ああ、うちのクラスにそんな名前がいたぞ。C組におらんか?」
「え?」
まだ名前は見つかっていないのに、そう聞いただけで喜色満面になる保奈美。
「でもC組には‥‥‥あああっ!」
誰だかわからないがその初老の男の言う通り、同じC組の名簿の中に、直樹は見つけた。
『藤枝 保奈美』でなく、『藤技 保奈美』の名を。
「ったくふざけた書き方しやがって。誰ですかコレ書いたの?」
「もういいよ、なおくん。見つかったんだから。間違えてるのは名字だけだし、わたしたちの探し方も悪かったんだよ、きっと」
「だけど」
まるで自分の名前を間違われでもしたかのように苛立つ直樹のすぐ前に立って、
「それどころじゃないだろうお前たち。クラスがわかったなら早く講堂に行け、もう時間は過ぎているんだぞ」
もうひとり、眼鏡をかけた厳格そうな男が告げる。
「うわっそうでしたっ!」
「あっ、ありがとうございますっ」
直樹と保奈美は揃ってぺこりと頭を下げ、同時に身を翻してばたばたと講堂へ走る。
「今の、誰だったんだろうな」
「わたしたちの担任の先生じゃないかな? うちのクラス、って言ってたよ?」
走りながら話す声も、あっという間に遠くなっていった。
「すまんな深野君。あれ以上追求されると私がな」
少し照れたように頭を掻く初老の男に、
「いえ。それに、この紙を作るのは担任の仕事ではないのですから、徳山先生が気に病まれることはありませんよ。‥‥‥さあ、我々も講堂に戻りましょう」
さりげなくフォローが入る。厳しさばかりが目立つようだが、眼鏡の男は意外に気配りが細かいらしい。
そうして、まだ外にいた最後の四人が講堂に入るのを待っていたかのように。
その後に起こるできごとのすべてに始まりを告げる合図の鐘が、講堂の真上から、高らかに響き渡った。
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