すぐ近くのブランコが、きいい、と小さな声で鳴く。
ちらりと視線だけ動かして、ブランコの方を眺めやる。
誰もいない筈のそこには、当たり前のように、誰もいない。
美汐はそのまま、読みさしの文庫本に視線を戻す。
「あ! みしお!」
また、声が聞こえる。
「みしおーっ!」
ブランコが風に揺れた音よりもはっきりと聞こえるその声に、美汐が顔を上げると。
大声で美汐の名前を呼びながら。
手に持ったデニムのジャンパーをぶんぶん振り回しながら。
少女がひとり、美汐が腰かけた木陰のベンチへ駆け寄ってくる。
「みしおー、こんにちはーっ」
「こんにちは。今日は、お仕事はどうしたんですか?」
「おしごと? おしごと、おやすみーっ!」
もう、こんなに。
かたことのようではあるが、それでも充分に意味のわかる受け答えに、内心、美汐は驚いている。
ほんの何ヶ月か前、戻ってきてすぐの頃には、そんな風にかたことで話すことさえままならなかったのに。
「なあに? ごほん、よんでる?」
「はい。‥‥‥真琴が読むには、ちょっと難しいご本、かも知れませんね」
「えー? むずかしいの、きらーい」
苦いと知っている薬をぽんと手渡されでもしたような、露骨に嫌そうな顔、を少女はする。
ふるふると首を振る動きに合わせて、両脇に流した少し濃いめの金髪が揺れる。
「そうですか?」
布製のブックカバーに縫い止められた栞の紐を別のページから引き抜いて挟み直し、ぱたん、と音をたてて文庫本を閉じる。
「みしおー! ぶらんこー!」
もうその頃には、少女は飛び乗ったブランコを大きく揺らしている。
鎖を軋ませながら往復を繰り返す少女の背中を、美汐はじっと見つめている。
誰もいない筈のそこには、当たり前のように‥‥‥待っている誰かとは別の誰かがいる。
「みしおー! みしおもー!」
器用に顔だけ振り向いて、少女は美汐を呼ぶ。
「あんまり速いと、危ないですよ?」
心配そうな声が言う。
「そんなことないよー! あははははっ!」
屈託のない声が笑う。
待っている誰かとは別の誰かが、早く早く、と美汐を急かす。
‥‥‥傍らの鞄の上に、冬服の白いケープを畳んで、文庫本を置いて。
小春日和の暖かな日向へと。
ゆっくりと、美汐は歩み出る。
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