たまたま名雪の携帯が炬燵の上に放り出してあったのは、こういう風に使え、という神様の思し召しとかに違いない。
液晶画面に小さな鐘のマークが点灯したのを確認して、俺はぱたんと折り畳んだその赤っぽい携帯をカップの上に置いた。
そのまま俺は炬燵に肘を突いて、紙蓋の隅が僅かに捲れてもやもやと微かな湯気が立つのを眺めている。
あと三分。
「祐一、私の携帯知らない?」
名雪がリビングに入ってきた。‥‥‥しまった。
「って、ああっ祐一! そんなことに私の携帯使っちゃダメだよ!」
気づかれた。珍しいくらい血相を変えて飛んでくる。
「うわっ。ちょっと待ってくれ名雪、多分あと二分くらいだから」
「ダメだよ! 私の携帯がお醤油味になっちゃうっ」
俺の真後ろから伸しかかってきた名雪は、伸ばした両手でカップの上の携帯を奪い返そうとする。
「こら。おーい。胸が当たるぞ」
肩甲骨のあたりに、何か柔らかいものがぐいぐいと押しつけられている。
「いいもん! それより携帯!」
どうも本当に気にしていないらしい勢いで、名雪の両腕は俺の腕のガードを掻い潜ろうと必死に動き回る。
そして。
名雪の指が引っ掛かったせいで開いてしまった紙蓋のスペースに、
「ああっ!」
その手を退けようとした俺の手に押されたせいで携帯が滑り落ちた。
「うわっしまった!」
一瞬遅れて‥‥‥ほかほかと湯気を上げるカップの中から、さっき設定した着信メロディと、バイブレータがじーじーと振動する音が聞こえてきた。
傍らの割り箸を勝手に割った名雪が、天ぷらうどんの出汁に沈んだ携帯を摘み上げる。
後乗せサクサクが売りの天ぷらはまだ投入されていないが、結果としては余計に油っぽくならなかっただけだ。醤油味になってしまったことと、多分もう使えないであろうことは変わらない。
「ああ‥‥‥私の携帯が本当にお醤油味になっちゃったよ‥‥‥イチゴみたいな色でお気に入りだったのに」
項垂れた名雪の手元の携帯から、ぽたぽたと醤油味の出汁が落ちた。
「いやちょっと待て。俺の天ぷらうどんも台無しなんだぞ? 名雪が真後ろで暴れたりしなきゃ」
「酷いよ。大体、祐一がそんなことに私の携帯使うからダメなんだよ? 天ぷらうどんなんかまた買い直せばいいだけじゃない。この携帯はモデルチェンジしちゃってるからもう買えないのに」
「もう買えないったって、それもう型遅れで新規契約本体ゼロ円とかだった端末」
勿論、カップの天ぷらうどんと携帯電話が損得勘定で釣り合うだなんて、本当は俺も思ってないが。
「祐一の馬鹿っ! そんなこと言うならこれから祐一のごはんはずーっとずーっとカップの天ぷらうどん! 天ぷらうどんをおかずにして天ぷらうどんのごはんっ、お味噌汁の代わりも天ぷらうどんのお出汁っ!」
まずい本気で怒らせてしまった。これ以上続けると謝る機会がなくなる。
「すまん名雪俺が悪かった」
「‥‥‥もう。罰としてイチゴパフェ三杯。それから、明日同じ携帯探しに行くから、つきあってくれないとダメだからね?」
膨れっ面の名雪が呟く。
その辺に転がっていたお手軽ラーメンタイマーは、何だかんだで結局随分高くついたのだった。
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