progress.  


  

「あたしの誕生日?」
 受話器を持ったまま香里は首を傾げるが、
『あれ? 三月一日ってそうだろ、確か?』
 電話の向こうの祐一には、傾いだ首は見えていない筈であった。
「まあ、そうね‥‥‥ええ、平日だし、バイトも入ってないし、今のところは空いてるけど」
 答えながら、右手だけで繰っていた手帳を机に置く。
 ついでに時計を一瞥。まだ夜の十時を過ぎたばかりだ。
『それで、北川は?』
「どうして急に北川君が出てくるのよ」
『‥‥‥わかった。じゃあ、多分その日にパーティとかを何かしようって後で北川が言い出すと思うから、取り敢えず予定は空けといてくれ』
「だから何なのよそれ?」
 何の変哲もないコードレス電話の子機には、これ以上ないほど怪訝そうに歪んだ香里の表情を祐一に伝える機能もない。
『まあ何だ、いろいろ企んでるわけだが』
「企んでる相手にそんなこと言っちゃっていいの? あ、私にそれを話すってことは、企まれているのは北川君だけなのかしら。どっちでもいいけど、このシチュエーションで北川君ひとりを嵌めて何が楽しいの?」
『まあ本当は香里も引っ掛けられれば楽しいんだが、正直それはちょっと難しいからな。見抜かれるのがわかってるのに無駄な努力をするよりも、最初から味方につけといた方がいいやってことで、おれと栞の間では既に意見が一致してるわけだ』
 もっとも、仮に香里が目の前にいたとしても、返される言葉は多分似たようなものであっただろう。相沢祐一という人物は、必要以上に相手の顔色を気にするタイプの人物ではない。
「何だか、わかったようなわからないような話ね」
『細かいことは追い追いな。取り敢えずは、何も知らないと思って、北川の話に乗っといてくれればいい』
「ふーん‥‥‥」
 受話器を首に挟み込んで、自由になった両腕を組んだ。
 そうして香里が沈思に耽っている間、祐一も何も言わず、ただ黙って待っている。考え込んでいる香里の姿が、まるで祐一には視えてでもいるかのように。
「ま、いいわ。わかった」
 答えながら、
「ちょうど暇だし、つきあってあげるわよ、っ」
 傍らの窓硝子に向かって‥‥‥視てなどいない筈の祐一に向かって、香里は思い切り舌を出してみせる。



 通話を切った受話器を置いて。
 三月一日を示す箱の中に何と書こうか考えながら、手帳の上でボールペンの先をぐるぐると泳がせた末、結局『北川』とだけ書き込んで。
 ひとつ息を吐いて、それから香里は、手帳のページを一枚繰り戻す。
 見開き一枚で一か月分のカレンダー。二月、つまり今月の予定も、書いてあるのはバイトの都合ばかりだ。
 しかし、通う大学が違うとはいえ、祐一も北川も、恐らくは名雪のそれも、きっと似たようなものだろう、と香里は思う。
 就職先など去年の夏には内定していた。
 卒論もとっくの昔に提出済み。
 大学の卒業式は三月下旬。
 香里の成績で卒業に不安などあろう筈もない。
 四月から、社会人としての生活が始まる前の‥‥‥ひょっとしたらこれが人生最後かも知れない、長々と続く無為な休日の中に香里はいる。
「大学生の最後の春休み、なんて」
 手帳のページを、一枚繰って、もう一枚繰って。
「誰だってこんなものじゃない」
 書いてあるのはバイトの都合ばかりのカレンダーのまま、何も起きずに四月へと突入してしまいそうな手帳を眺めながら、小さな苛立ちを紛らわすように、声に出してそう呟く。




 香里相手の通話を終えた、その十数分後には。
『それでもう電話はしたのか?』
 今度は、祐一は北川が握った受話器の向こうにいて、何食わぬ顔でそんなことをしれっと訊いてくる。
「いや‥‥‥なかなか、こう、心の準備が」
『何が心の準備だよ。小学生かお前は?』
 北川がまだ何も話していないことを、祐一はつい先程、香里本人を相手に確認していた。
 知っていて訊いているのだから祐一も人が悪い。
「あのな相沢。世の中みんながお前と栞ちゃんみたいに簡単じゃないんだ」
 見えない祐一を睨む代わりに、北川はじっと、部屋の壁に掛けられたカレンダーを睨んでいる。
 今月のカレンダーの右肩に小さく添えられた来月のカレンダーには、随分前から、初日を示す数字が赤いペンで丸く囲まれている。ちなみに、一枚捲って三月のカレンダーを出せば、その一日のところにも「香里 誕生日」と赤ペンで書き込まれている筈だった。
『だからって、そんな風に小難しく考えりゃいいってもんでもないだろ』
「そりゃそうだけど‥‥‥あああわかったわかった。この後すぐに美坂に電話するよ。それでいいんだろっ」
 祐一に答えるというより、どちらかといえば自分自身に呪いをかけるように、投げ遣りに言葉を吐き出す。
『ああ。そうした方がいいぞ。それと、せっかく香里の誕生日なんだから、何かプレゼント考えとけよ?』
「そういえばそれ、相沢はどうするんだ?」
 訊き返してみるが、
『どうするって?』
「だからそりゃ、プレゼントとか、そういうのだよ」
 できればついでに、どうしたら祐一と栞のように簡単に関係を進められるのか、それについても本当は教えて欲しいのだが、
『あー。多分何か、栞と一緒でひとつのものにすると思う。何にするかはこれから栞と相談だな』
 結局、欲しい答えはひとつも得られないようだった。



 通話の切れた受話器を握ったまま、北川は暫くの間、カレンダーを睨み続けていた。
 別に、香里の家に電話を掛けたことがない、ということではない。大体香里と北川では通っている大学から違っているのだから、例えば遊びに行く約束をしようと思ったら、携帯なり自宅の電話なりを使うしかない。
 だが、そういうことは、祐一と栞だって同じことだろう、とも北川は思う。
 祐一と栞はあの通り、あっという間に『彼氏』と『彼女』という位置に落ち着いてしまったが、高校どころかもう大学も卒業してしまうのに、北川と香里の方は相変わらずで、一体どういう関係なのやら、実は本人同士にもよくわかっていないような有様だ。
 本当は香里がどう思っているのかはわからないが、少なくとも北川は、これはまだ『付き合っている』などと言えるような関係ではない、と考えている。
「相沢はどうやったんだろうな」
 ぽつりと呟く。
「どうやって、栞ちゃんの彼氏になったんだろうな」
 古めかしい黒電話の受話器はもちろん、その問いに答えることなどしない。ただ、早く受話器を本体に戻せと、警告音を鳴らし続けるだけで。
 一度置いた受話器をもう一度取り上げる。
 それから、ダイヤルに指を掛ける。
 ‥‥‥その決意を固めるまでには、いつもよりも少し長い時間が必要だった。



 傍らの受話器が呼び出し音を鳴らし始めた。
「はい。美坂です」
『ああ、美坂か? あの、北川だけど』
 どこか遠慮がちなその声は、遠からず三人がかりで騙されることになるであろう哀れな被害者が、電話の向こうにいることを教えている。
「あら、こんばんは。どうしたの?」
『どうしたっていうか』
 三月一日の予定は空いているかどうか。
『その、あー』
 予め祐一から要件を聞かされているだけに、
『ええと』
 言い淀んだ北川が口を開くのを待っているしかない香里としては、この間がどうにももどかしい。
「どうしたのよ今日に限って? そんなに私に言いづらいようなことなの?」
『限って、ってことはないと‥‥‥まあいいんだけど』
「煮え切らないわね。用事がないなら切るわよ?」
『わかった! わかったから待った! えっと今度の、三月一日なんだけど』
「ええ」
『予定、空いてるかな』
 やっと本題に辿り着いた。
 北川に聞こえないように、香里は小さな溜め息を吐く。
「‥‥‥特に何もないみたいだけど」
『よかった。それで、どっかへ遊びに行かないか? 相沢と栞ちゃんも来るって言ってるんだけど』
「どっか、って?」
『今言ってるのは、海のとこにある貸し別荘』
「って、こんな真冬に?」
 そんな大袈裟な話だったのか、と香里は少し驚く。
 パーティだという割には名雪の名前が出てこないから水瀬家はないとして、会場はせいぜい、美坂家か北川家の居間あたりだろうと思っていたのだが。
『何か、水瀬のおばさんのツテがあって、こんな時期には誰も使わないから、ほとんどタダみたいな値段で貸してくれるんだって。まあ、気兼ねしないで騒げれば、あいつらとしては別に何でもいいらしいけど』
 それは確かに、パーティなんて大体どれだってそんなものかも知れないが、しかしそれでは、香里の誕生パーティは騒ぐための口実でしかない、と最初から宣言しているようなものだ。
「はあ。‥‥‥そりゃ、空いてはいるでしょうけど」
 あたしの誕生日だからパーティをする、っていう話だと思ったんだけど。そういう場合って、一応あたしが主賓なんじゃないのかしら。
 香里は首を傾げた。
「それで、相沢君と栞も一緒なのよね?」
『え? 何か拙かった、か?』
「拙いわけないでしょ。何言ってるのよ馬鹿」
『う‥‥‥』
 言ってしまってから、妙にぎくしゃくした受け答えなっていることに眉を顰める。
「ごめん。ちょっと言い過ぎたわ」
『いや。いいけど』
 こういう空気のことが香里は好きではなかった。
 慌てているのは電話の向こうだけではない、とわかってしまいそうだから。
「‥‥‥うん」
『‥‥‥うん』
 何となく気まずくなって、そこで止まってしまった会話をどうしようかと考えている。
 ‥‥‥多分、電話の向こうも、同じようなことに悩んでいるに違いない。北川の様子など別に見たわけではないが、それでもほとんど確信に近く、香里はそう思う。



「あ、しまった」
 電話を切ってしまってから、北川は思い出す。
 いちばん大事なことを、つまり『プレゼントに何が欲しいか』を、香里に訊ねるのを忘れていた。
 再度、受話器へ手を出しかけて‥‥‥だからといって、すぐにもう一度掛け直すのはどうだろう、と思い直す。
 だから明日にしよう。
 明日に。
『小学生かお前は?』
 耳の奥で祐一がまた言う。
「わかってるよ。言われなくても」
 今掛け直さなければ、何をプレゼントにするかは自分で考えることになる。そういうことだろう。
 今それをしないのなら、それは明日もしない。
 だが、それをする気が本当にあるのだろうか。



 こんな風に‥‥‥ふたりともが、いちばん大事なことをはっきりさせようとしないまま、ただ何となく互いの側にいる、というだけのふわふわした関係が、高校を卒業してからだけでも、もう四年も続いている。
『あたしの中では、北川くんとのことは、そういう、恋をするみたいに始まったことじゃなかったの。何となく側にいて、何となく一緒にいて、何となく、自然と』
 暫く前に香里が言ったことを思い出した。
 まるでデートのように一緒に遊びに行ったり、意味もなく夜中に長電話をしたり。
 そういうことを繰り返す度に、このままで本当にいいのか、北川は考えてきた。それでも結局、考える他に何かをしたことはないのだが。
「‥‥‥っ、くしゅんっ」
 どうせまた結論が出ないようなことをぐるぐる考えているうちに、すっかり身体を冷やしてしまったらしい。
 あとは眠るだけだし、今日はそれほど長電話にもならないからと、予め暖房を控えめにしてあったことが災いした。理由が長電話でもそうでなくても、結果としてベッドの外にいたのだから同じことだ。
 黒電話はコードレスではないから、話しながらベッドに潜り込むことはできない。
 僅かに身震いをしながら、諦めるまでもない何かをそれでも諦めながら、北川は電話の前を離れる。
『小学生かお前は?』
 耳の奥にまた、祐一の声が聴こえる。






 数日後の晩。
『‥‥‥どうした? すごい鼻声だぞ?』
「ああ。今はちょっと酷いけど、パーティまでには」
 電話を掛けて寄越した祐一が驚くような、それは見事な体調の崩しっぷりであった。
「それよりも、プレゼントなんだけど」
『ああ』
「何がいいとか、この間も聞きそびれちゃって」
『だから俺から聞いてくれとか、栞に聞いてもらってくれとか、なんかそういうこと頼もうとしただろ』
 見抜かれている。
「まあ、うん」
『自分でやれよそれくらい。そう言われるって、お前だってわかってたんだろ』
 そして祐一はいつものように、北川が求めるものは何もくれないらしかった。
「‥‥‥あー、うん」
『聞かなくたって、自分で考えればいいだろ? 嫌いなものをわざわざ選んで渡すとか、そういう変なことをするんでもなきゃ、中身なんか別に何だっていいと思うが。つーか北川も香里も、そんな適当でいいようなことにばっかり、何でいちいち全力投球なんだ』
 それは北川自身が自分に聞きたいくらいだった。



『とまあ、北川の奴はそういう感じだったんだが』
「‥‥‥そう」
 祐一の報告に香里は頷いた。
『そんなに日があるわけでもないし、もう何でもいいから適当に指定した方がいいんじゃないか? プレゼント』
「んー。それでも、あたしはいいんだけど」
 こちらも何やら煮え切らない生返事。
「でも、ほら。そういうのって」
 香里が耳に当てたスピーカーの向こうから、微かに、溜め息のような音が届いた。
『さっき北川にも言ったけど、お前たちって難儀だな』
「それは、相沢君たちが難儀じゃなさ過ぎるのよ」
『それもよく言われるな。そういえば』
「事実だからじゃない? それより、当日のことだけど」
 強引に切り上げて、香里は話を変えた。






 寒々しいだけの海辺の景色を居間の窓越しに眺めながら、香里はひとり、残る面々の到着を待っていた。
 数日前から降っている雪はまだまだ止みそうにない。
 そういえば、北川君が風邪をひいているようなことを、この間、相沢君は言っていなかったかしら。この寒いのに出掛けたりしたら、風邪を拗らせてしまうかも知れない。‥‥‥そんな大事なことを今頃思い出して、入り口の脇の壁に据え付けられた電話にまた目をやる。
 準備があるからと言って香里よりも早く家を出た栞は、今は多分、祐一と一緒にいるだろう。連絡がないのは準備が忙しいからだろうか。
 北川が何をしているかはわからないが、余程具合が悪いのでもない限りは、出掛ける気でいることだろう。連絡がないのは多分、もうこちらへ向かっているからだ。
 そんなこんなで、まだ誰からも連絡はない。
 主賓は準備なんかしなくていい、と予め渡されていた貸し別荘の鍵だが、もしかしたら、この『先に行って留守番』という役回りがいちばんの貧乏籤だったのではなかろうか。そんなことも思う。
 晴れていればそろそろ、目の前の海に日が沈む頃だ。
 電話が鳴る気配はまだない。



 不意に。
 玄関の方で、ばたん、と音が聞こえた。
 続いてもう一度。
 靴音。
 足音。
 そして、何かが倒れたような音。



 慌てて様子を見に行った香里は、北川らしき背中が廊下に蹲っているのを見た。
「‥‥‥ちょっと! 北川君!」
「ああ、美坂か。誕生日」
 見上げた顔が真っ赤だ。
 手のひらで額に触れてみる。
 酷い熱だった。
「その、誕生日、おめ」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ! ちょっと居間にいて、すぐ寝室に布団出してくるから」
 切れ切れの言葉を強引に遮って、香里は貸し別荘の奥へと駆けていく。



 冷蔵庫の中には、何故かそれなりに食材が揃っていた。
 冷凍庫を開けると、何故か氷もきちんと作られていた。
 そのことについて何か疑念を挟むのは後回しにして、取り敢えず香里は氷嚢を作って寝かせた北川の額に宛がい、雑炊を作り、と甲斐甲斐しく看病をする。
 やがて具合がよくなり始めたのか、眠りについた北川の熱が徐々に下がり始める。
 ふと時計を見ると‥‥‥もう、真夜中だった。



 別荘の電話が鳴った。
「もしもし?」
『ああ、美坂か』
 祐一の声だった。
「美坂か、じゃない‥‥‥って、まさか」
 何かに気づいたように大きく息を吐いて、もう一度、時計を確認する。
 確かにもう真夜中だ。見間違いではない。
 こんな時間に電車が動いているでも、こんな雪の中を移動できるような交通手段が何かあるでもない。
 祐一たちが持ち込む筈だった冷蔵庫の中身は既にある。
 つまり。
「パーティなんて、する気なかったわね?」
 祐一や栞の狙いは、北川を引っ掛けること、などではなかった。先回りしてお膳立てだけ整えて、後はふたりをこの別荘に放り出して‥‥‥最初から、香里と北川をここでふたりきりにすること、が狙いだったのだろう。
『ご明察』
 悪びれた様子もなく、電話の向こうで祐一は頷く。
 ‥‥‥何のことはない。
 北川同様、香里もしてやられたのであった。



「み、美坂、その」
 寝室に戻ってみると、北川が目を覚ましていた。
「大分よくなったみたいじゃない」
「ん。本当、助かった」
 身体を起こそうとする北川を手で制しながら。
「それで何、わざわざ看病されに来たってわけ」
 いつもながら、ついキツいことを言ってしまう自分に、
「面目ない」
「自分の家で大人しくしてればこんなに酷くもならなかったでしょうに、風邪ひいてるってわかってるくせにこんな雪の中を。本っ当に馬鹿なんじゃないの?」
 本当は、心の中でだけ、香里は歯噛みしながら。
「でも‥‥‥誕生日」
「あたしの誕生日なんて、来年になればまた来るのよ。黙ってたって勝手に! そんなの、誰かの健康と引き換えにできるような立派なもんじゃないのよ!」
「それは、違うと思う」
 それは決して、熱に浮かされたようでなく。
「‥‥‥え?」
「香里は違うんだろうけど、っていうか、心配、してくれてるんだろうけど、引き換えてもいいって、おれは思った。今年の誕生日は、今日しかないから。それと」
 息の続かない言葉で、だが静かに、北川は告げた。
「昨日までとか、今もそうだったけど‥‥‥熱出して、辛くて、寝てる時、ずっと思ってた。例えば、このままおれが死んじゃったら、おれと美坂とのことって、一体何だったんだろう、って」
 もう、進むんだ。
「今まで、ちゃんと言ったこと、なかったと思うけど、おれ、美坂のこと好きだ。だから今までみたいに、何で一緒にいるのか、よくわかんないようなのは、できればもう、終わりにしたい、って思ってる」
「‥‥‥こんな時に、何を」
 違うのに。
「美坂は、おれのこと、嫌いか?」
「好きとか嫌いとかなんて、今はもっと大事なことが」
 そんなことを言いたいんじゃないのに。



 北川の瞳に灯った意志の光が、まだ素直になれない香里を見つめている。
 告白を拒絶しない態度がそのまま受容を意味していると、香里自身にも、そして恐らく北川にも、もう、わかってしまっている。
「そうね。嫌いじゃないわ」
 声に出してそう言った途端、さっきまでの自分を妙に小さく感じるようになった。
「そっか。よかった」
 しあわせそうに笑う北川を見ていると、香里までしあわせな気持ちになる。
 何となく上手くいってしまっている時間が長すぎて、改めて踏み出すことには臆病になっていた。だがもしかしたら‥‥‥初めからそうしていれば、それは、それだけのことでしかなかったのかも知れない。



「さ、もう寝ましょう。話の続きは風邪が治ってから、ね」
「え。パーティは?」
「できるわけないでしょ。あたしたちしかいないのに」
「でも、誕生日」
「煩いわね病人のくせに」
 香里は、北川の口を塞いで黙らせ、それから、その寝室を後にした。
 ‥‥‥確かに、北川は黙り込んでしまった。
 不意に唇に押し当てられた、唇の感触を確かめながら。

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