犯行時刻は昨夜の夜中から今朝までの間。
その間、犯行の行われた建物に外部から侵入することはできない筈、であった。
「‥‥‥さて、これらの証拠物件から、この連続密室殺人事件をどう推理するか、ですが」
そんな風に栞は切り出して、
「どの証拠物件をどう逆さまに解釈すると、この事件から連続と密室と殺人が出てくるのかしら?」
早速、香里に呆れられてしまうのだった。
その事件の中には連続も密室も殺人も存在する余地はない、という香里の主張の方が、誰がどう見ても正しいであろう。
なにしろ、実はただ単に、『昨夜までは冷蔵庫に入っていた筈のバニラのカップアイスが、今朝見たら跡形もなく消えてなくなっていた』、というだけの事件なのだから。
「でも、ちゃんと玄関も裏口も鍵が掛かっていて、外から家に侵入できる人はいなかったんだから、広い意味では密室ですよ?」
「意味が広すぎる気はするけど、まあ、そう言って言えないことはないわね」
まず手始めに『密室』に関する見解をひっくり返した栞は小さくガッツポーズ。
「こら名探偵。推理の目的は、あたしを言い負かすことじゃない筈でしょう?」
そして祝勝気分にバケツで冷や水を浴びせるような突っ込み。
「せめてもうちょっと勝ち誇らせてくれても」
「はいはいサクサク進めるわよ。次」
「ううっ‥‥‥そんなこと言う人嫌いです‥‥‥」
犯罪捜査史上もっとも権威のない名探偵、の座は当面揺るぎないようだった。
「で? 連続と殺人は?」
「それはさて置き‥‥‥どうしましたかワトソンくん?」
「誰がワトソンくんよ」
さて置きって、それじゃ連続密室殺人事件って話はどこへ行ったのよ。と突っ込む代わりに眉間を指で揉みおろす。
「ええと、外部の犯行ではありません、と」
「忍び込めるのにアイスしか奪っていかない泥棒なんていないものね」
「何を言いますか。アイスは人類の宝。タバスコは敵!」
きっぱりと言ってのけるその心意気はいっそ見事とさえ言えるものだったかも知れないが、中身の馬鹿馬鹿しさはそれ以上に見事と言うべきであったかも知れない。
「アイスが欲しいなら忍び込む場所を間違えてるし、他に欲しいものがあったならその侵入行為は目的を達していないわ」
「そうかなあ‥‥‥」
「大体そもそも、アイス欲しさに夜中民家に忍び込む馬鹿がどこの世界にいるっていうのよ? 外部犯行説は成立しないことを前提に考えなさい」
「だから、外部の犯行はありません、と私もさっき」
「だから、その判断からして不要なのよ。実際ひとりも人死にが出ていないことだし、殺人について検討する意味はないでしょう? それと同レベルの話じゃないの。外部犯行説なんて」
「ううっ‥‥‥ワトソンくんがいじめるっ‥‥‥」
正直な話、ワトソンくんの方がよっぽど探偵向きではあった。
「だから密室も考えなくていいのよ。家の外から中へ入れないというだけで、中から外へ出て戻ることは可能だし、中を歩き回ることにも制限はなかったんだから。ほら名探偵、続きは?」
「え‥‥‥つまりその‥‥‥犯人は昨夜から今朝までこの家にいた人で‥‥‥お父さんとお母さんは出張でお留守だから、犯人は私か」
自分に向けた栞の人差し指は、
「お姉ちゃんか、のどっちか、ということになります、が?」
くいっと回って香里を向いた。
「どうして疑問形なのよ?」
「いえ何となく」
ワトソンくんの肩を竦める仕種は異常にサマになっている。やはり経験が違うのだろうか。
「‥‥‥いいけど。それで、ようやくそこまで話が来たのね。やれやれ」
「それで、それでですよ? 私が自分で食べた憶えがない、ということは」
「こういうことね」
指折り数えながら、ワトソンくんによってあらん限りの可能性が挙げられていった。
ひとつ。実はこの家には栞でもお姉ちゃんでもない何かがいて、それが食べた。
ふたつ。実は栞は夢遊病か何かにかかっていて、知らないうちに自分で食べた。
みっつ。実は栞にはお姉ちゃんを陥れようとする意図があって、自分で食べておきながらお姉ちゃんの犯行に見せかけようとしている。
「以上、三択です。さて正解はどれでしょう?」
「っていうか三分の二は犯人私ですかっ!」
「ええ。そうとしか考えられない筈だけど」
「いや、ええと、ちょっちょっと待ってください! 重要な可能性がひとつ抜けてますっ」
「あら。何かしら?」
よっつ。実は本当にお姉ちゃんが食べた。
「どうしてコレがないんですか」
「そんなの、決まってるじゃない?」
ふふん、と香里は笑った。
「それが正解だからよ。昨夜、夜中にちょっと気が向いて、ね」
「ね、じゃありません! あああ楽しみにとっておいたのに‥‥‥おっ、おっおっお姉ちゃんなんか嫌いですーっ! うわあああああん!」
‥‥‥美坂家の朝は、今日も平和に明けてゆくのだった。
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