本当は、何も期待はしていなかった。
夜に光るものが綺麗だなんて考えたことはなかったから。
夜が来て、でも、朝が来なかったら。‥‥‥私たちの世界では、夜とはそんな風に人を脅かすもので。
久住先輩にそう話したら、美琴も前にそんなこと言ってたな、なんて簡単に笑ってくれた。
その時、久住先輩に真面目に頷かれたりしたら、きっと私は、ここに来ようだなんて思えなかった。
真夜中の校舎の屋上。
ここは今、学園でいちばん夜空に近い場所。
「ええと、大体あっちの方角の多分あそこら辺に」
少し伸ばした髪を強い風が揺らす。
「はい」
首元を押さえながら、私は久住先輩の声に耳を傾ける。
「ペル何とかいう流星群が‥‥‥何だっけ、とにかくえーと、見えたらラッキー」
いい加減に空のどこかを指差す久住先輩の説明はいくら何でも適当すぎて。
「さ、流石は天文部OBですね、久住先輩」
何だかさっぱりわからなかったけど、とにかく私は、久住先輩が指差す空を見上げてみる。
しばらく空を眺めていたら、さっきまで真っ黒だった空の上を滑るように、どこかから雲が流れてきていた。
そのうち遠くから重そうな雲がやってきて、すぐに夜空は半分くらい隠されてしまう。
「なんか曇ってきたなあ」
「そうですね」
「仕方ない。今日はこの辺にしとくか」
久住先輩がそう言った途端に。
「わっ‥‥‥冷たい」
雨粒がぽつり、私の鼻先に落ちた。
「え、もう降ってきたのか?」
「そうみたいです」
「参ったな。傘なんか持ってきてないのに」
私たちは慌てて校舎に避難する。
まるで‥‥‥夜から逃れるように。
「結先生がまだ残ってて、車で送ってもらう、っていうのがベストだったんだけど」
「それは仕方ないと思いますよ。それに、傘は借りられたんですから」
「そこまではありがたいんだけどさ」
時々、話す声にぽつぽつと雨粒が弾ける音が混ざって。
相変わらず風は強くて、私は今でも後ろ髪を押さえたままだけど、でも雨はそんなに強くはなくて。
本当は‥‥‥今ならまだ、傘がなくても寮まで戻れそうで。
「どうせたくさん溜め込んでるくせに、なんで一本しか出してくれないかな、恭子先生も」
「卒業生は部外者だから傘は貸せない、とかもおっしゃってましたよ?」
「園芸部員のいない間温室を守ってきた功労者を、しかも園芸部の顧問が部外者扱いとはいい度胸だ」
「くすっ」
久住先輩と並んで、まだ保健室にいた仁科先生が貸してくれた、一本だけの傘の下を歩く。
「それより、残念だったな。本当は雨じゃなくて星が降ってる筈だったのに」
「いいんです。まだ‥‥‥チャンスはまだ、たくさんありますから」
「でも、本当は夜はまだ恐かったりとか」
「そんなこと、ないですよ?」
私は嘘をついた。
昔‥‥‥一年生の私が、二年生だった久住先輩に出会う前までの私よりは、確かに恐怖は薄れているけど、でも、全然恐くないだなんて、本当はまだ思えなくて。
「ちひろちゃん」
「はい?」
「手、繋ごうか」
そして久住先輩には多分、そんな私の気持ちなんて全部見抜かれていて。
「‥‥‥はいっ」
久住先輩のあたたかい手を両手で握っていたら、こんな夜なら明けなくたって恐くないって、何だかそんな風にも思えてきて。
遠くの空、雲の切れ間のずっと奥に、ひとつだけ、降る星を見つけたような気がした。
あっという間に流れて消えて、お願いなんて思い出すこともできなかったけど、でも、とても綺麗だった。
‥‥‥次の機会を失くさないために、見つけたことはまだ内緒にして。
意味もなく遠回りをしながら、星のこととはあまり関係のないことを話しながら。
私と久住先輩は、ひとつの傘に納まったまま、傘の要らない雨の中をゆっくりと歩いて帰った。
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