ばん、と音をたてて、
「では、以上の要領で作戦を遂行します」
恭子は保健室のホワイトボードを叩く。
「それはちょっと、その、恥ずかしいっていうか」
「そうですよ仁科先生。なんかちょっとサービスしすぎなんじゃ? しかもその、あなた専用、ってそれは」
「ええ。久住くんのお誕生日ならまだしも、今度お誕生日を迎えるのは橘さんの方」
当の本人であるちひろが、そして両脇の茉理と結が口々に異議を唱えようとするが、
「誕生日だからって理由だけでもらえるものなんて知れてるじゃない。本当に欲しいのは、もっと欲しいのは気持ちなんでしょ? ひとの気持ちと引き換えられるようなモノなんて何もないって知ってるくせに、たかだかそれくらいのサービスで何をやった気になってんの」
その言葉を遮るように口を挟んで、
「『ギブ・アンド・テイク』って言うわよね‥‥‥どうして『ギブ』が先だと思うの」
もう一度、恭子はホワイトボードを叩く。
折しも翌日、二月二十六日は日曜日であった。
無人の筈の渋垣邸、茉理の部屋からは、何やらごそごそと物音が聞こえている。
「ここまで恥ずかしいことをさせるのは、自分のことでないとはいえ、あまり気は進まないんですが‥‥‥本当に、橘さんは、これでいいんですか?」
そこに膝をついていた結が、気遣わしげに顔を上げた。
「今でしたらまだ」
「こんな格好して逃げる方が、もっと恥ずかしいです‥‥‥」
項垂れる動きに合わせて、首についた鈴がころんと音をたてる。
「そうそう。毒喰らわば皿まで」
こちらは既に開き直ってでもいるのか、ちひろの前に姿見を引っ張り出す茉理は何やら楽しそうだ。
「わっ茉理、そんな大っきい鏡なんか見せられたら、恥ずかしいよ」
「もうカクゴ決めちゃいなさいって。直樹が帰ってきたら、こんな鏡どころの恥ずかしさじゃないんだからね?」
「う‥‥‥」
さっき結が服に取りつけた尻尾がゆらゆら揺れる。
「ちなみその尻尾と耳ですが、その鈴がセンサーになっていて、ある程度は自由に動かせます」
「え?」
「頭の中に動きをイメージして」
軽く目を閉じて、耳や尻尾のことを想う。
途端、風に靡くようにただ揺れていた尻尾が、くいっと持ち上げられた。
「うわ凄い! っていうか可愛いっ! もう一回! それもう一回やって、ちひろ!」
「え? ええと、こ、こう?」
今度は、頭の上の両方の耳が、お辞儀をするように動いた。
「大丈夫みたいですね。あ、それなんですが、中身は持ち出し禁止のデバイスですから、ちゃんと持ち帰ってくださいね?」
「はい、わかりました」
答えながらも、ちひろはしきりに、股座の布地や、肩紐のあたりを気にしている。
恰好が恰好だけに、それは致し方ないことなのであろう。
「さて、それでは私たちは退散しますが‥‥‥橘さん、ちょっと耳を」
「はい?」
少し腰を屈めたちひろの耳に、結がひそひそと何か囁く。
「‥‥‥えええ」
あからさまにげんなりした顔で、ちひろは大きく息を吐く。
「仁科先生には内緒で仕掛けるように言われてますが、やはり、それはよくないと思いますので。仕掛けた場所と処理の方法はこのメモでわかるようにしてありますから、できれば、私たちがここを出てから、久住くんが戻ってくるまでに。ね?」
「って」
小さく折り畳まれた紙が手渡されるが、こっそりしまっておこうにも、ちひろが今着ている服にはポケットらしいポケットがどこにもない。
「このメモはどうしたら」
「集めた盗聴器と一緒に、纏めて処理しておけば大丈夫です。それから‥‥‥どうしてもわからなければ、久住くんにそのことを話して、一緒に片づけてもらってもいいと思います。その場合は、私や仁科先生が後で久住くんから何か言われるかも知れませんが、そんなことは橘さんが気にすることではありません」
とんとん、と軽く背中を叩く。
突然の刺激に、ちひろの尻尾がぴんと伸びた。
「仁科先生が昨日言ったじゃないですか。どうして『ギブ』が先だと思うの、って。あれは意外と正しいような気がするんです」
「そうそう。どうせ馬鹿直樹なんか何もしなくたってちひろにメロメロなんだから。もうこうなったら骨でも何でも抜いちゃえっ!」
にこやかに手を振りながら、結と茉理は渋垣邸を後にした。
ちひろひとりだけ、そこに残したままで。
「『ギブ・アンド・テイク』‥‥‥ん」
何かを決意するように小さく頷いて、渡されたメモを片手に、ちひろは茉理の部屋を出る。
「ただいまー」
誰もいない筈の渋垣邸に、直樹の声が響いた。
「あ、お、おかえりなさい」
誰もいない筈の渋垣邸の奥で、誰かの声が、直樹に答えた。
「‥‥‥あれ?」
もじもじと身を捩りながらも、訝しむ直樹の前に彼女は現れる。
「あ、あの‥‥‥似合います‥‥‥か?」
[GIVE & TAKE image:水無瀬京 / author:織倉宗]
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