「あらそうかしら? 成長期を過ぎたからもう大きくならない、なんてコトないと思うけど?」
たまたま隣に居合わせただけの女性は、妙に楽しげに話に割り込んできて、
「ほら、毎晩毎晩マッサージしてくれる男でもできればさ、胸のサイズくらいすぐ変わるじゃない」
さらっとそんなことを言い放ち、無遠慮にからからと笑って、手元のタンブラーからラムバックを呷る。
「‥‥‥ぶっ!」
いきなり言われた黒髪の女性は、ちょうど口に含んでいたドライマティーニを、寂しげに見下ろした自分の胸に向けて盛大に吹いてしまった。
「あらあら。カレン、大丈夫?」
左からは、黒髪の女性をカレンと呼んだ女性が差し出した、今時小学生でも持っていないようなキャラクター物の古いハンカチ。
「ごっごめんなさい、連れがいきなり失礼なことを言ってしまいまして。ほら恭子も謝って」
そして右から‥‥‥恭子というらしい不躾な右脇の女性のさらに右からは、小柄な女性がファンシーなパステルイエローのハンカチを差し出す。
少しの間逡巡してから、カレンは左のハンカチを手に取る。
「あははー、ごめんねー。っていうか、もしかして本当に免疫ない?」
謝ることを促されている筈なのに、追い討ちをかけるようなことを恭子は言い、
「ええ。今までずっと、もっと大切にしていることのために精一杯やっていましたから。そのうちに、自分の恋とか、どこかに置いて来ちゃったみたいで」
左脇の女性は左脇の女性で、フォローしているのか寂しい過去を晒しているのか、微妙に判然としない言葉で応じる。
「いや‥‥‥あの、さやかも、その話はもう‥‥‥」
顔を真っ赤にした黒髪の女性がますます小さく縮こまってしまうのを見かねて、いちばん右の小柄な女性が恭子の脇腹を小突く。
「もう。免疫ないのは私たちだって似たようなものじゃない」
こんな夜中に女性同士で連れ立ってやってきてたまたま居合わせた彼女たちが、もしもそういう縁に恵まれていたとしたら、必然的に、秋の夜長には今とは違う過ごし方もあろうというものであって。
免疫はともかく、そういったことの経験が少ないのは、このカウンターにたまたま並んだ四人全員に共通の特徴、なのかも知れない。
嫌な考えに至ってしまった小柄な女性は気まずげに苦笑を浮かべる。
「わかってるわよ結。だからごめんなさいってば。すみません、こちらの方にドライマティーニを。こっちにツケてね」
注文を出しながら恭子はまだ笑っている。
すぐ目の前、カウンターの奥で、バーテンが頷いた。
「それで今日は、おふたりでこちらに?」
まるで何事もなかったかのように、さやかが話しかける。
「ええ。恭子が‥‥‥あの、こっちの人ですが、今日はたまたま誕生日でして、ここのマスターがケーキを焼いてくれると」
ふたり挟んだ向こうから、結と呼ばれていた小柄な女性の声が答える。
「あら。おめでとうございます。手作りのケーキでお祝いしてもらえるなんて素敵ですね」
「素敵なもんですか。この年になっても誕生日に女が女連れなんて、寂しいったらないわよ。あーあ、どっかにいい男いないのかしらね?」
急に頬杖を突いて恭子がぼやく。
「え?」
不思議そうにカレンが首を傾げる。
「いない、のですか?」
「いないわよ。どうして?」
「いえ、その‥‥‥あの」
まじまじと恭子の胸を見つめながら、カレンはぶつぶつと何かを呟く。
「毎晩、まっ‥‥‥まっさーじ‥‥‥」
濁された語尾はほとんど聞き取れなかったが、
「‥‥‥がっ」
思いがけない反撃に、今度は恭子が左腕の頬杖から落ちてしまった。
ごっ、と重い音をたてて、恭子の頭がカウンターに転がる。
「ぷははははっ!」
今度は結が声をあげて笑う。
「そうなんですよ! 実は別に誰もマッサージしてくれないのに恭子の胸は‥‥‥胸は、ええと」
言い募るうちに自分のことでも思い出したのか、いきなり失速していく様子を、呆気にとられたようにカレンは眺めていたが、
「失礼かも知れませんが、あなたとは、とてもよい友人になれそうな気がします」
そんなことを言って、転がったままの恭子の頭越しに、結に向かって右手を差し伸べ、
「そ‥‥‥そうですよ。胸なんて飾りです。ダメな男にはそれがわからないんですっ」
必要以上の力強さで、結はその手を握り返す。
そのうち奥からマスターがやってきて、
「ほい、仁科さんお待たせ」
突っ伏した恭子の前にケーキが置かれた。
「こっ‥‥‥これはっ」
さやかが目を丸くした。
「ケーキっていうか‥‥‥」
引き攣り笑いを浮かべて結が呟いた。
「んあ?」
ようやく復活した恭子が頭を上げると、そこに。
そこにあるのは多分、綺麗なデコレーションケーキ、なのだろう。
‥‥‥ケーキを台にして剣山でも作るかのような勢いで、表面が埋まるほど突き立てられた数々の蝋燭さえ取り除けば、だが。
「ちょっと? コレどーいうコトよマスター?」
恭子の目尻が釣り上がる。
「あれ? 数が違ったかい?」
くすくす笑いながら、マスターはとぼけてみせる。
「いやそんなの数えてないけど、ってコラそこ! いちいち指差して数えない!」
恭子はいきなり、初対面のカレンの頭をぺちんと軽く小突いた。
「す、すみません、つい」
「まあまあ、いいじゃないですか。では早速、蝋燭に火を」
さやかがさりげなく話を先へ進めようとするが、
「いやいや。全部にいっぺんに火なんか点けたら火災報知器が作動しちゃうからね」
聞きようによってはとても酷いことをしれっと言いながら、もうひとつ、ケーキをカウンターに載せる。
「大体、食べるケーキに蝋燭なんて立てないよ。そっちのケーキは知り合いからもらった食品サンプルで、僕が焼いたのはこっち」
本命はチョコレートケーキらしい。シンプルな丸いケーキには、蝋燭は立てられていない。
「お酒が甘いからそっちの方がいいかと思って、ちょっとビターにしてあるからね。誕生日おめでとう、仁科さん。後は好きにやって」
「ったく‥‥‥他人の誕生日ダシにして遊ばないでよ。もうめでたいって年でもないんだし」
ぶつくさ文句を言いながらも、こうしてわざわざ焼いてもらったケーキを前に、ナイフを手渡されると悪い気はしない。
何等分したものかについて少し思案して、
「マスター。受け皿六枚。あ、五枚でもいいわ、一枚はこの皿このまま使えばいいから」
結局六等分したケーキを、並べられた皿に取り分けていく。
「‥‥‥よろしいのですか? 偶然今、隣に座っただけの私たちに」
当たり前のように四人にひとかけずつ渡ったケーキを見て、思わずカレンは訊ねてしまうが、
「もちろん。袖振り合うも他生の縁、って奴。いいわよね、マスター?」
さっきのぶすくれた顔とも、話に割り込んできた時の意地悪そうな笑みとも違う、それはとても気持ちのいい笑顔であった。
‥‥‥こんな風に笑える人と、何故、いい男は一緒にいないのだろう。カレンは心底不思議に思う。
「ご随意に」
「ありがとう。だから私の好きにするわ。はい」
残りのふたつを、マスターとバーテンに。
「って、僕たちもかい?」
「当たり前じゃない。私ひとりだけ年取るなんて許せないわ。お裾分けよ、お裾分け。‥‥‥年も誰かにお裾分けできたらいいのにね」
埒もないことを呟いて、それから、
「ま、いいわ。私に免じて今日はめでたいってコトにしといてあげるから、呑みましょう! 乾杯っ!」
「乾杯!」
「おめでとう恭子さん!」
「おめでとうございます」
恭子が掲げたタンブラーに三人のグラスが次々に触れて、ちん、と澄んだ音をたてた。
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