『ほら、今日は4月1日だし。せっかくだから、わたしもちょっと嘘つきになってみようかな、って』
「嘘つく前にそういう宣言する奴はいないと思うが‥‥‥まあ、いいや。それで誰を騙すんだ?」
『なおくん』
電話の向こうから直樹にそう言ったのがもしも保奈美でなかったら、直樹は、こんなに自分の耳を疑いはしなかったかも知れない。
「ごちそうさまでした」
フォークを置いた保奈美は満足げな笑みを浮かべて、傍らの紙ナプキンで口元を拭う。
「いや‥‥‥いいんだけど、保奈美」
こちらは少し釈然としない顔で、向かいに座った直樹が首を捻っている。
「どうしたの?」
「あのさ。朝、電話が来たよな? それですぐに保奈美が迎えに来て、まず最初に、そこのシネコンで映画観た」
「思ってたよりもおもしろかったかな」
「その後は駅前で買い物」
「このワンピース、前から欲しいなって思ってたから」
「で、ちょっと早めの夕食が、今食べたパスタ」
「いつも来るお店とは違うけど、ここのボンゴレもおいしいね」
「‥‥‥嘘は?」
「ん?」
「結局、俺はいつ保奈美に騙されたんだ? なんか普通に、ただデートしてただけ、みたいな気がしてしょうがないんだが」
地階の店には窓がなくて、だから外の様子はそこからは見えないが、時間的にはそろそろ日も暮れている頃だろう。
春休みの一日を存分に遊び倒した。
さっきから首を捻っている直樹にしても、それがつまらなかったとか、嫌だったとか、そういうことが言いたいわけではもちろんない。
しかし今日、保奈美が直樹を呼び出したことの目的は、直樹に嘘をつくことではなかったのか?
「なんだ。なおくん、気づいてなかったんだ」
しばらく続いた沈黙は、保奈美の言葉によって破られる。
「だから何に」
何をされたのか全然わからなくて、得体の知れない恐怖に顔を引き攣らせかけた直樹の前で。
くすくす笑いながら、保奈美はテーブルの上に出した両手の指を組んだ。
「‥‥‥あ」
正面の直樹から見れば右側にある手。
「今朝、迎えに行った時から、ずーっとこうだったんだよ?」
その薬指の根元で、銀色のリングが、鈍い輝きを放っていた。
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