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「ただいまー」 
 帰宅した直樹はキッチンの引き戸を開けて、 
「あ、お帰り、なおくん」 
 流し台から振り返り、微笑み返した保奈美の姿を見るなり、 
「‥‥‥ぶっ」 
 思わず、開けた引き戸をそのまま閉じた。 
 
 
  
「うーん、あんまり可愛くなかったかな?」 
 少し困った顔で保奈美が言う。 
「い、いや可愛いけど、っていうか可愛いとか何とかいう問題と違うだろそれ」 
 さっきから直樹はひたすら目のやり場に困るばかりだが、それも無理からぬことではあるのだろう。 
 何しろ、直樹が逃げ込んだ居間にそのままの格好で攻め入った保奈美は、やっぱり、ほとんど何も身に付けてはいない。 
 下にショーツとハイソックス、あとは、何故か頭に、赤い大きなリボン。 
 そしてその大きなリボンのさらに上に、どういうわけか、天使の輪のような何か。 
 本当にこれで全部なのだから、ほぼ全裸、と言っても差し支えない。 
「どうしたんだそんな格好して?」 
「ん。これでわたし、天使になっちゃいました、っていうのはどうかな、って」 
 再び微笑んでみせる保奈美。 
 未だにちゃんと目を合わせられない直樹。 
 ‥‥‥どう見ても直樹の方が、先に天に召されてしまいそうな有様であった。 
 
  
 
 
  
「本当はこういうの、バレンタインが来る前に思いついてればよかったんだけど。これチョコなんだよ?」 
「へ?」 
 頭上の輪を指差す。 
 よく見るとそれは、輪になった何かにアルミホイルが巻かれたものらしい。ということは、その『輪になった何か』がチョコレートでできている、ということだろうか。 
「こんな風にしたら、なおくん驚くかな、って思って」 
「いや、そりゃ驚いたけど‥‥‥そのリボンは?」 
「それが、思ってたよりもチョコが重たかったから、針金を頭に固定するのが大変になっちゃって。ちゃんと留められるバレッタがついてるのは他に持ってなくて、しょうがないからこれにしたんだけど」 
「あ‥‥‥ああ」 
 よく見ると、細い針金がリボンの根元と頭上の輪を結んでいる。 
 気づいてしまえば見え見えの仕掛けなのに、慌てっ放しの直樹にはそんなことすら見えていなかった。 
 ‥‥‥落ちつけ。落ちつくんだ直樹。 
 まるで短距離走を終えた直後のように、何度も何度も深呼吸を繰り返す。 
 
 
  
 そうしているうちに、ようやく、直樹は気づいた。 
 目の前に立った保奈美が‥‥‥気恥ずかしさのあまり、本当は顔まで真っ赤になっていることに。 
 
 
  
「そういうの、『男のロマン』なんて時々言うけどさ、保奈美」 
「な、なおくん?」 
 唐突に、保奈美を抱き寄せてみた。 
「俺じゃなくて、保奈美が好きなんじゃないのか? こんな格好するのとか」 
「え、そんなこと、っ」 
 今度は保奈美が、直樹の顔をまっすぐに見られない。 
「本当に、ない?」 
 耳元で囁くような直樹の声に、 
「す‥‥‥少し、だけ」 
 何かに抵抗するように小さく首を横に振りながら、微かな声で保奈美は答える。 
「そうか。保奈美って、えっちなんだな」 
 両方の頬に添えられた直樹の両手が、優しく、しかし強引に、保奈美の顔を真正面に向き直らせる。 
「え、や、なおくん」 
「それで保奈美。‥‥‥この天使は、どこから食べたらいいんだ?」 
「ううっ」 
 目を閉じた保奈美は、 
「それじゃ‥‥‥その」 
 一度だけ、さっきの直樹のように大きく息を吐いてから、 
「最初は、ここから」 
 僅かに熱を帯びた自分の唇を、その指で示してみせた。 
 
 
[LOVE & LUNA image:水無瀬京 / author:織倉宗] 
 
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