人間の暦は九月で秋になったかも知れないがそんなことはこちらの知ったことではない、とでも言わんばかりの勢いで窓から雪崩れ込んでくる夏の朝日は、レースのカーテンとタオルケット、さらにTシャツまで突き抜けて、ベッドの上で丸くなった直樹の背中をじりじり焼いている。
そうして寝転がっているのもそろそろ辛い、くらいの日差しに堪えながら、それでもタオルケットに包まったまま、じっと息を潜めて、もうじき現れる筈のそれを待っている直樹の中にあるのは。
ちょっと驚かせてやろう、とか。
それくらいの軽い悪戯心。
階下、遠くに茉理の声が聞こえた。
慌ただしく何か言っている声と足音は、そのうち窓の外へ移動し、やがては窓の外からも遠ざかっていく。学園へ向かったのだろう。
いい加減、来ないと拙い気がするんだが。
呟く代わりに舌打ちをひとつ。
頭からすっぽりタオルケットに潜り込んでいるせいで時計も見えない。時刻が知りたいならそこから首を出せば済む、それだけのことなのだが、何をそんなに意地になっているのか、直樹はそれすらしようとしない。
何もわからないまま、ただ逸るばかりの気持ちを無理矢理押さえ込んで。
もうとっくに聞こえている筈の足音に耳を澄ます。
‥‥‥足音は、まだ聞こえてこない。
掛け時計の秒針が時を刻む僅かな音だけが、直樹の耳に届き続けている。
こうも静かだと、足音どころか、階下にはもう人の気配すらない、ような気さえしてくる。
いや違う。
ではさっき、茉理は一体誰と話していたというのだ?
昨夜言っていた通りなら、叔母さんも叔父さんも今朝はまだ家にいる筈だ。
それに、大体茉理だってそう朝が得意な方でもない。その茉理が出て行くような時間なのだ。もう。
‥‥‥もう。
「まさか」
もうとっくに始業式が始まっているとか。
起こしに来る途中で何か起きたとか。
そもそも、起こしに来る気なんてなかったりとか。
うっかり口を突いて出た自分の声は、ありとあらゆる嫌なイメージを連れて、自分の耳に転がり込んで。
「うあああああああああああああああああっ!」
聞いた自分が驚くような呻き声をあげて、とうとう直樹はその場に跳ね起きた。
「はあ‥‥‥はあ‥‥‥っ‥‥‥」
浅い呼吸を忙しく繰り返しながら、見たくなさそうに壁の時計を見上げる。
そこで無駄に丸まっている間もずっと時を刻み続けていた秒針は、だが幸運なことに、急げばまだ始業式に間に合うであろう時刻を指していた。
頽れるように、直樹はベッドに腰を落とす。
寝汗で体に纏わりつくTシャツが鬱陶しい。
‥‥‥深く深く、息を吐いて。
まだ胸の奥でもやもやしている何かを一緒に振り払うように、重く湿ったTシャツをその場に脱ぎ捨てる。
「行ってきま、って、あれ?」
急いで身支度を調えた直樹が、階段を駆け降り、居間に顔を出すと、
「あら、おはよう、直樹くん」
渋垣夫妻はちゃんとそこにいて、和やかに朝の食卓を囲んでおり、
「あ、起きたんだ。おはよう、なおくん」
直樹がじっと待っていた保奈美は、どうやら渋垣夫妻のご相伴に与って、お茶など飲んでいたらしかった。
「いたのかよ保奈美っ! なんで」
起こしに来なかったんだよ‥‥‥などと言えた義理ではないことを思い出して、直樹は急に口を噤む。
高校生にもなって、幼馴染みが毎朝起こしてくれるのをアテにする方がどうかしている。誰かに起こしてもらわなくても、自分でちゃんと起きてくるのが正しいに決まっているのだから。
「一言目から『いたのかよ』は失礼だろう直樹?」
からかうように源三が言う。
「でも直樹くん、意外と頑張ったわね」
「そうですね。もうちょっと早く来ると思ってました」
お茶を啜りながら、英理と保奈美は笑う。
「何、だよ、それ?」
「うん。新しい起こし方の研究、かな」
新しい起こし方の研究。
保奈美は確かにそう言った。
起こしに来る途中で何か起きたのでも‥‥‥そもそも、起こしに来る気なんてなかった、のでもなく。
そのままそこにいると、何かの拍子に恥ずかしいことを口走ってしまいそうな気がして、
「行くぞ保奈美」
踵を返した直樹は必要以上の早足で玄関へ向かい、
「あっ、待ってなおくん! もう‥‥‥それじゃおばさま、おじさま、わたしたちも行ってきます」
「行ってらっしゃい」
「遅刻しそうだからって慌てるんじゃないぞ直樹ー」
置き去りにした三人の声を聞き流しながら、世界タービン号を玄関先に引っ張り出す。
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