「お疲れさまでしたー」
最後の客が出て行った途端、乃絵美と菜織は手近の椅子にへたり込んだ。
「忙しかったー」
「正樹お茶ー」
どさくさ紛れに図々しいことを言う菜織だが、立ち上がりかけた乃絵美を制して正樹は厨房へ消える。さっきまでの異常な忙しさを思えば、その要求は図々しくはあるが決して不当なものではない。
ややあって、戻ってきた正樹が大きめのトレイに載せているのは三人分の紅茶だった。
「冷たいのがいいー」
「もう遅い。先に言えそういうことは」
テーブルに投げ出された菜織の鼻先で温かい紅茶のカップが湯気を立てる。
一瞬は不服そうな表情を見せる菜織だったが、その横に置かれたレアチーズケーキであっさり陥落した。いつものことだ。
「ごめんねお兄ちゃん」
「いいから。乃絵美も休んでろ」
同じセットを乃絵美の前に。
「今日は結局、ずっと忙しかったみたいだな」
最後に自分のカップを置いて、正樹も席についた。
「もう本当、できれば乃絵美がふたりか三人欲しかったわよ。デリバリーとかはあんまりなかったからあんたも呼ばなかったけど、でもかえってそっちの方が忙しいのかもねー‥‥‥って、あ」
言いながら、菜織が不意に手を止めた。手元のケーキは既に半分くらい消失している。
「ねえねえ、こーゆーのはどう?」
もとから三人しかいないのに、必要以上のひそひそ声で菜織は内緒の提案をした。
数十分後。
「というわけで、真奈美ちゃんにここまで来てもらったのは他でもない」
妙に真面目な顔で正樹がそんなことを言い出すから、
「はっ、はい」
つられて真奈美の背筋が伸びる。
「ではまず着替えてもらおうか」
「‥‥‥はいい?」
他でもなくて何だったのか。
その辺については結局何の説明もされないまま、いきなり告げられて真奈美は目を丸くした。
「あの、あの、ええと‥‥‥え? 何? 何なの?」
「菜織、乃絵美」
偉そうに足を組む正樹の後ろに控えていた菜織と乃絵美が真奈美の左右に回り、両脇を抱えて店の奥へ連れ込もうとする。
「さ、行こうか」
「あんたは来なくていい!」
閉店後の閑散とした店内にふたつの音が響き渡った。‥‥‥菜織の声と、一緒に立ち上がりかけた正樹の顔面に丸盆がヒットした音。
「あの、やっぱり恥ずかしいよ、ねえ」
「あーもう観念しなさい真奈美っ」
「わっ、やだ乃絵美ちゃん」
「ごめんね真奈美ちゃん。すぐ済むから」
「ううう‥‥‥味方がいない‥‥‥ああっ正樹くん助けてえええ」
勿論、正樹も取り合わない。
「できたよー。ほら真奈美」
「だってー」
「いい加減観念しなさいって。大丈夫よ似合ってるから」
ややあって、ロムレットのコスチュームに身を包んだ真奈美が更衣室から押し出されてきた。さっき正樹の顔をめがけて飛んできたのと同じ丸盆で顔を隠している。
「ほらね?」
「や、顔見えないからわからないけど」
「まだそんな往生際の悪い‥‥‥真ー奈ー美ーっ」
「だってえええ」
とうとう取り上げられた丸盆の向こうでは、真奈美の髪はひとつに纏められ、向かって右側へ流されていた。ちょうど出てきた乃絵美とは向きが逆になっているあたり芸が細かい。普段はそうでもないくせに悪ノリしだすと止まらない菜織の性格がよく現れている。
「お兄ちゃん、これでどうかな?」
乃絵美は乃絵美で、真奈美の眼鏡によく似たフレームの伊達眼鏡を掛けて、真奈美の後ろから顔を出す。
「うーん‥‥‥」
小難しげな顔で、正樹は並んだ真奈美と乃絵美を交互に見比べる。
「やっぱ双子は無理があるな。身長が違いすぎるよ。それ以外は結構、っていうか、かなりいい線行ってると思うけど」
「ダメかー。おもしろいと思ったんだけどなー」
そんなに残念でもなさそうに、菜織は頭を掻いた。
「双子、って何?」
未だに真奈美だけが事情をまったくわかっていなかった。全然悪くなさそうにごめんごめんと呟いて、菜織が説明を始める。
「だから、真奈美と乃絵美で双子。‥‥‥やー、今日お店忙しくてさー、本当に乃絵美があとふたりか三人欲しいくらいだったのよ。で、さっき思いついたんだけど、真奈美この格好したら乃絵美と双子に見えないかなーって話になって」
「学校行けば同じ制服着てるんだから、そんなのわざわざ試さなくたってわかると思う‥‥‥」
もはやほとんど涙目の真奈美。何かその服装に悲しい思い出でもあるのだろうか。
「まあいいじゃない。そうね、正樹も言ってたけど、いい線行ってはいるのよねー」
「ああ。姉妹だったら全然問題ないよな」
正樹と菜織は勝手な見解でとっくに意気投合してしまっている。
「真奈美お姉ちゃーんっ」
「えっ、のっ乃絵美ちゃんっ?」
ふざけて抱きついた乃絵美の華奢な身体を支えながら、真奈美だけは未だに、何が何だかよくわかっていないのだった。
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