HOWEVER  


  

 ‥‥‥今すぐ会いたい、なんて。
 受話器の向こうで、何かを思いつめたような真奈美ちゃんの声が俺を際限なく焦らせていた。
 あと何時間かで今日という日が終わってしまう、そんな真夜中の淵に俺はいて、気が狂いそうになるほど長い長い神社の石段をダッシュで駆け登っていく。






  HOWEVER  






「ごめん、ちょっと遅くなっちゃって‥‥‥まな」
 みちゃん‥‥‥では、多分、なかった。
 約束の場所で最初に見かけたのは、竹箒を片手に、大きな樹の向こう側に寄りかかっている誰かの背中。
 真っ白い袖が月光にはためいた。
「菜織?」
「さっき真奈美が来てね。なんか随分急いでたみたいで、着くなり咳き込んじゃって、苦しそうにしゃがみ込んでて‥‥‥今は私の部屋で休んでる。疲れてるだけだから心配要らないと思うんだけど。でね、きっとあんたも来るんだろうなって、思ったの」
「じゃあ大丈夫なのか?」
「うん。今だけだから心配しなくていいわ‥‥‥ダメ! こっちに来ないで!」
 俺のことなんか見ていない筈の菜織が、歩み寄ろうとする俺を背中越しに制した。
「後ろを向いて。私を見ないで‥‥‥お願いがあるの‥‥‥今からね、私あんたにいくつか聞くから」
 言葉の中に、しゃくりあげるような音がわずかに混じる。
「全部にね、ノーって答えて」



「あんたはさ、あの日の真奈美に追いつくために、今までだって結構必死でやってきたし‥‥‥たまに泣き言言ったりするから叱ったりしたこともあったけど、でもね、私は、そうやってあんたと真奈美のこと応援してるんだって、だからもしあんたが真奈美に追いつけたら‥‥‥その時はきっと、笑ってよかったねって言えるって、私ずっとそう思ってた」
 確かに、そうだと思う。
 菜織が側にいてくれなかったら、正直、俺は追いつけたかどうかわからない。
「でもね。違ったの。そういうのじゃなかったのよ。私もあんたのこと見てた、それは応援してるからだって思ってたけど、いつからか‥‥‥いつからなのかわからないくらい前かも知れないし、ひょっとしたら真奈美が帰ってきたからかも知れない。でも私は、今のこの私は、真奈美に追いつきたいあんたを応援してるだけの私じゃないって気づいた」
 でも、6年という時間の長さには、
「好きなの。私、あんたのこと好きなのよ‥‥‥あんたが真奈美に追いつくために6年も頑張ってたって知ってるくせに、そうやってあんたが追いついてくれるのを真奈美が6年もずっと待ってたのだって知ってるくせに‥‥‥だって、あんたたちがこの6年分の距離を取り戻して、私は笑顔でよかったねってひとこと言えばこの話はおしまいなの! でも! ‥‥‥でも‥‥‥全部わかってるくせに‥‥‥私、もう、あんたのこと好きでいる自分が止められない! あんたにも真奈美にも、これからどんな顔して会ったらいいのか、もう私わかんないのよ!」
 変わらない筈の気持ちをさえ変えてしまう力もあるんだと、俺は今、知った。
「お願いよ、お願いだから全部ノーって答えて‥‥‥私じゃダメなの? 私じゃ真奈美の代わりになれないの? 私があんたのこと好きでいる気持ちは、あんたと真奈美の6年を越えられないの?」
 菜織の、血を吐くような言葉を前にして、
「私でいいって言って‥‥‥私じゃなきゃ、菜織じゃなきゃダメなんだって、あんたの口から言って!」
 ただ俺は立ち尽くしていた。
「ひょっとしたらまたすぐミャンマーに帰っちゃうかも知れない真奈美じゃなくて」
 でももう、止めなきゃいけない。
「菜織にずっと側にいて欲しいって言ってよ!」
 ‥‥‥血を吐くような菜織の必死の想いに、俺は、俺の答えを示さなきゃいけない。
「ごめん菜織。菜織が‥‥‥俺のことどう思ってくれてたのか、よくわかった。すごく、嬉しかった」
 がさっ。背中の向こうで衣擦れの音がした。振り返りたい気持ちをこらえる。
「でも菜織‥‥‥俺は、真奈美ちゃんに、あの日手が届かなかった俺の想いに追いつきたかったんだ。あの日から、今でもずっと。そして、6年も離れ離れだった俺のことを、真奈美ちゃんはそれでも想い続けてくれていた」
 きっと菜織は今、あの樹の根元にしゃがみ込んでいる。両手で顔を覆って、泣かないように必死で奥歯を噛み締めて‥‥‥でもきっと堪えきれなくて、涙をこぼしてる。だから菜織は‥‥‥そんな自分を俺に見せたくなかったから、背中を向けろとか、こっちへ来るなとか、そんなこと叫ばなきゃいけなかったんだ‥‥‥
「菜織がノーって言えって言ったけど、でも俺は俺の言葉で答えを出すよ‥‥‥菜織‥‥‥ごめん。俺たちは今、会えなかった間もお互いを想ってた6年の続きを生きてるって思うから。その空白も、空白なんかじゃない今も、決して途切れることのない絆で結ばれてたんだって信じてるから。だから、菜織が嫌いとかそういうことじゃなくて」
 答えた瞬間の沈黙のままで時間も世界も凍りついてしまったように俺は感じた。
「俺の答えは、ノーだよ‥‥‥」



「‥‥‥はい、よくできました」
「よくできました、って菜織お前」
 唐突な、あっけらかんとした声に、思わず振り返る。
 菜織が‥‥‥もう、涙で顔がぐしゃぐしゃになる寸前の菜織が、樹のこっち側に立っていた。
 今度は駆け寄ろうとする俺を止めることはしない。
「まあ、その場の勢いで思わずイエスだなんて言われたって困っちゃうしさ。あんたはね、ずっとずっと真奈美のために走ってたんだから。そんなこと、私あんたよりよく知ってるんだから。だからね、あんたのゴールは真奈美。それでいいのよ‥‥‥いいってことにしといてよ」
 ごしごしと右袖で顔を拭った。乱暴に擦ったせいで赤くなった瞼や頬が痛々しくて、それでもなんとか微笑もうとする菜織が悲しすぎて、
「菜織ちゃん‥‥‥」
「え? ま、まな、み?」
 手を差し伸べようとした菜織の顔は、不意に現れた真奈美ちゃんの腕に奪われていた。
「菜織ちゃん、あたし‥‥‥呼び出しといてこんなになっちゃって、待たせちゃったかなって慌てて菜織ちゃんの部屋から出てきて‥‥‥」
 菜織を愛おしむように胸に抱いたままで、真奈美ちゃんはゆっくりとその場に膝を折る。
「ふたりとも背中合わせだったから気づかなかったかも知れないけど‥‥‥ごめん。あたし、今の全部聞いてた。あのね菜織ちゃん‥‥‥あたしはきっと大丈夫だから、欲しいなら欲しいって言って。譲れない時はダメって言うから。あたしじゃ頼りないかも知れないけど、すぐ負けちゃうかも知れないけど、でも本当に譲れない時はちゃんと頑張ってライバルもやるから」
「‥‥‥真奈美‥‥‥真奈美‥‥‥くっ‥‥‥」
「だから、こんなになるまでひとりで自分を追いつめないで‥‥‥お願いだから、あたしが退いちゃうんじゃないかなんて、あたしにそんな遠慮したりしないで‥‥‥今の菜織ちゃん見てると切なくって、あたしまで死んじゃいそうになるよ‥‥‥」
「っ‥‥‥うああ‥‥‥真奈美‥‥‥私、私っ‥‥‥! うああああああああああああっ!」
 優しく髪を撫でる真奈美ちゃんの胸の中で。
 それでも菜織のどこかにわだかまっていた何かを洗い流すように‥‥‥菜織は、声をあげて、泣いた。



 どれくらいの時が流れただろう。星屑をばらまいたような眼下の街並みは何も変わりはしないから、時間のことはよくわからないけど。
 肩を震わせて、大声をあげて‥‥‥それこそ、今まで泣かないように頑張って生きてた分の涙を全部流したんじゃないかって思うくらい激しく泣いていた菜織は、今は真奈美ちゃんの膝枕で眠っているようだった。その真奈美ちゃんは今、腰をおろした俺の背中に背中を預けている。背中越しに真奈美ちゃんの動きを感じる。きっとその手はまだ、時折菜織の髪を撫でているんだと思う。
「本当はね。あたし、ちょっと不安に思うことがあるの」
 真奈美ちゃんはそんなことを口にした。
「やっぱりね、あたしの知らない6年間は確かにここで流れてて‥‥‥あたしの知らない、菜織ちゃんとあなたの絆がここにあった。あたし、あなたのこと好きだけど、それは絶対嘘じゃないけど、でもあたしたちが一緒に歩いていくためにそういうのを踏みにじるのって、ひょっとしたらいけないことなんじゃないかなって‥‥‥本当はね、そんな風にも思ってる」
「うん。俺もそう思うことがあるよ。さっきの菜織の言葉聞いてて‥‥‥でもそれは、きっと『仕方ない』って言うしかないことなんじゃないかな。誰かを好きになることは誰のせいでもないし、誰かが悪いからこうなったんじゃないよね。だから、多分本当はいちばん言いたくなかったことを菜織に言わせちまった真奈美ちゃんも、それでも頷いてあげられなかった俺も、今から未来で答えを見つけていくしかないんじゃないかって」
「未来で‥‥‥?」
「俺たちはこうじゃなきゃいけなかったんだって菜織が思えるようになるくらい、強くならなきゃいけない。俺たちの絆が、誰にも何も言わせないくらい強くならなきゃ‥‥‥そういう風にしか、菜織の気持ちにはちゃんと応えてあげられない。そんな気がするんだ」
「うん。‥‥‥うん、そうだよね」
「あ、そうだ。ねえ真奈美ちゃん‥‥‥今まで忘れてたんだけど、どうして俺を呼び出したの?」
「‥‥‥そうだったね、ごめんなさい。本当はね、呼び出しちゃったけど、でも言おうかどうしようか迷ってたことがあるの」
 心なしか、背中が少しだけ重くなった気がした。
「あのね。あの‥‥‥実は、あたし、ミャンマーへ戻らなきゃいけなくなったみたいなんだ」
「何だって? いつ?」
「それが‥‥‥あの‥‥‥その‥‥‥明日」
「明日ぁ? 明日ってまさか」
「もう日付が変わってれば、今日、ってことになるのかな‥‥‥お父さんの仕事、こっちへすぐに帰ってこれるほど片づいてないんだって。またいつこっちへ戻れるかわからないんだよ。せっかく‥‥‥せっかく、強くなろうねって、今約束したばっかりなのに‥‥‥ねえ、あたし、またここに来てもいいんだよね? あたしの居場所はここにもあるって、信じてもいいんだよね?」
「当たり前だろ? そうじゃなかったらさっきの約束は何だったんだよ」
「‥‥‥真奈美。ひとつ間違ってるわよ」
 と。不意に、背中の向こうで菜織の声がした。
「え?」
「いーい? ミャンマーに戻るんじゃないわ。真奈美はね、ここからミャンマーへ行って、またここに帰って来るの。ミャンマーに誰がいようと関係ない。帰る場所はミャンマーじゃなくて、こいつも乃絵美も、冴子も、ミャーコも‥‥‥私もいる、ここが、真奈美の帰ってくるところなのよ。わかる?」
「‥‥‥うんっ!」
「それだけわかっててくれれば、後はもう心配するようなことなんかないわよ。行っといで。とっとと行って、ちゃっちゃっと片づけて、さっさと帰っといで‥‥‥くらいのことは言ってあげなさいよねあんたも。ったく、気が利かないオトコね」
「やかましいっ」
 言いながら。
 一瞬で体勢を入れ替えてみる。
「そっ‥‥‥ひゃんっ!?」
 狙い通り。
 俺に背中を預けていた真奈美ちゃんの頭が、不意に仰向けに転がった俺の胸に落ちてきた。
「ごっごめんなさいっ!」
 慌てて起き上がろうとする真奈美ちゃんの肩を押さえて。
 今度は、そっとそっと、俺の胸の上に置いてみる。
「あの、重くない?」
「菜織の頭は重い?」
「そんなことないよ」
「じゃあ大丈夫だよ」
「‥‥‥そっか」
「あ、なんかそれって失礼ね。私の頭がカラッポみたいじゃない?」
「ん〜、ノーコメント」
「真奈美ぃ‥‥‥」
「きゃあああ助けてえええ」
「‥‥‥何やってんだか」
 聞きたいことにはまるで答えていないやりとり。でも、それはそれでいいような気がしていた。
 今だけは理屈じゃなくて。今だけは、この温もりと、聴こえる鼓動がすべて。それでよかった。多分、みんなそういう気持ちだったんだと思う。
 そんな気持ちを確かめるように‥‥‥真奈美ちゃんの手が俺の手をそっと握る。
「ねえ、あたしの反対側の手、菜織ちゃんが握ってるんだよ」
「うん‥‥‥こんな風に3人一緒に寝てるのっていつ以来かな? なんか、子供に戻ったみたいだよ」
「ふふっ。そうだね。でも風邪ひかないといいけど」
「ってそういえばここ外だもんなあ‥‥‥地べただし‥‥‥でもまあ、いいか‥‥‥」
「うん。いいよ。このままで‥‥‥もう少しだけ、このままで」
 街並みを彩る光を手掴みで空にもばらまいたような満天の星空を見上げている。
 時折風が渡る音だけが、穏やかに胸に染み透っていく。
 この空にまた朝日が昇れば‥‥‥真奈美ちゃんと俺はまた離れ離れになるだろう。
 でも今度は。信じあえてるこれからは。
 だから笑って送り出そう。笑って、「おかえり」って、言おう‥‥‥



 心地よいまどろみに沈みそうになる俺の心の中で、不意にひとつの記憶が弾けた。鮮やかな夕焼けに染まる草原を、幼い日の俺たちはただただ楽しげに駆けまわっている。いつまでも飽きることなく、笑いあい、じゃれあい、駆けまわりながら‥‥‥やがて遊び疲れて草原の真ん中に座り込み‥‥‥お互いを枕にするように身を寄せあって‥‥‥手を繋いだままで‥‥‥眠りに、落ちる。
 もしかしたら同じ夢を見たのかも知れない。真奈美ちゃんが俺の手を握る力が少し強くなったような気がした。俺もほんの少し、真奈美ちゃんの手を握る力を強くする。一度だけ、微かに大きく響いた真奈美ちゃんの吐息が、「みんなずっと一緒だよ」って囁いたように聞こえた。菜織の吐息が「うん」って答えたように聞こえた。
 菜織と真奈美ちゃんと俺。それぞれに体を預けたまま、それぞれに繋いだ手を離さないまま。
 幼い日の俺たちのように、俺たちは眠りについた。やがて朝日の眩しさに目を覚ますまで。

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