『ぅおっ昼だよぉーんっ☆』
チャイムが鳴り止むのとほとんど同時くらいのタイミングで、美亜子の能天気な声が校舎内を席巻した。学校中のスピーカーはそのまま一気に放送部の昼番組に雪崩れ込んでしまい、僅かに遅れて、あちこちの教室が昼休みらしいざわめきに満たされ始める。
「‥‥‥コレが始まると、私、いっつも思うんだけど」
まだ教卓に広げた資料を片づけていたみちるが、誰に言うでもなく、ぽつりと呟く。
「チャイムが鳴るまでは信楽さんも授業受けてる筈なのよね。どうやって抜け出してるんだろ?」
「あ、あっはははははっ‥‥‥さあ?」
そこで急に視線を寄越されても、真奈美としても苦笑いするくらいしか反応のしようがない。別に真奈美がそれを手引きしているわけではないのだから、その反応もおかしなものではなかった。
「ま、いいわ。こういうのは現行犯逮捕じゃないと説得力ないし」
みちるはあっさりと追求を諦めて教室を去り、真奈美は何故かほっと息を吐く。
「まあ、真奈美が安心してやるようなコトでもないだろ。あのバカひとりが全面的に悪いだけだし」
「え? まあ、そうだけど」
冴子の言うことは間違っていないとはわかっていて、だからといって「はいそうですか」とは頷けないところも、真奈美の性格、という奴であった。
『それじゃ今日もお昼の特集行くよーん☆ 今日はぜーんぶ同じ曲だからみんなカクゴするよーにっ!』
苦笑いする真奈美の気持ちもあっさり突き放す冴子の態度も全部引っくるめて、自分のことを景気よく遠くの棚に放り出した美亜子の声は、それだからなのか、何がそんなに愉快なのかと時に誰かが首を傾げたくなるくらい、突き抜けて楽しげな響きを遍く校内にばら撒いていく。
「って、軍歌?」
箸を咥えたまま、菜織は怪訝そうにスピーカーを見上げた。
「菜織ちゃん、お行儀」
すかさず乃絵美に突っ込まれ、慌てて菜織は口から箸を引き抜く。
「ああ、ズンドコ節だろ?」
当たり前のように冴子が答えた。
「ズンドコ節って? あの誰だっけ、この間演歌の歌手が」
「それもそうだけど、確かもともとはホントに軍歌だったってどっかで聞いた気がする。それがコレなんだろ、多分?」
汽車の窓から手を握り 送ってくれた人よりも
ホームの陰で泣いていた 可愛いあの娘が忘られぬ
「‥‥‥ふーん。そうかもね」
納得したように菜織が呟く。
勿論、ここにいる面々が軍歌に詳しい筈もないが、やけに古めかしい言い回しからして、それはそれなりに説得力のある発言だった。
「でもさ、なんかこれってえらく真面目な歌詞に聞こえるんだけど、なんで間がズンズンズンズンズンズンドッコなのかな?」
「さあ? そこまでは」
投げ遣りに答えながら、冴子はアルマイトの弁当箱からごはんを掻き込む。
「乃絵美ちゃん、これってそんなに有名な歌なの?」
「うーん、私あんまり詳しくないから‥‥‥」
「サエが詳しいんじゃない?」
菜織が水を向けるが、冴子は相変わらず、ほとんど日の丸弁当に近い弁当箱の中身を掻き込むのに忙しい。
元気でいるかという便り 送ってくれた人よりも
涙のにじむ筆のあと 愛しいあの娘が忘られぬ
真奈美は興味津々な顔で、スピーカーから流れる歌に耳を澄ます。
齧りかけたサンドイッチはさっきからずっと手に持ったままで、聴き入っている間はずっと食事も中断されていた。
『さーみんなー、ホンモノはどーだったかなぁ? ちょーっとクラい感じもしたけど、そんなワケだから次は明るいので行ってみよーねっ☆』
呆れるほどハイテンションな美亜子の声に続いて、何やら似たようなメロディの曲が聞こえてきた。
「これもズンドコ節?」
「ああ、ドリフだろ。‥‥‥ぜーんぶ同じ曲、ってそういうコトかミャーコめ」
言い捨てながら、手元の大きな弁当箱に蓋をする。
「え?」
「ズンドコ節ばっかりなんだろ今日の昼は。何種類あるのかなんてあたいも知らないけどさ。よく見つけてくるよなアイツも、そんなにヒマなのか放送部って?」
『でっかいヒップ』だの『やってきました倦怠期』だの、さっきとは打って変わってチープな歌詞に、それでも真奈美は聴き入っている。
「真奈美、サンドイッチどうにかしたら?」
呆れたように菜織が言う。
「早く食べないと、お昼休みが終わっちゃうよ?」
ちょっと心配そうに乃絵美が言う。
「こっちのサンドイッチ、要らないんならもらっちまうぞ?」
冗談めかして冴子が言う。
汽車の窓から手を握り 送ってくれた人よりも
ホームの陰で泣いていた 可愛いあの娘が忘らりょか
そこまではやたらチープな歌詞だったその「ニセモノ」は‥‥‥最後の最後になって急に、「ホンモノ」と美亜子が呼んだ歌の一部を繰り返した。
たまたま目を閉じていた真奈美の脳裏に、六年前の風景が像を結ぶ。
思い出したくないのに忘れられない、それは、あのさよならのシーンだった。
追いつけなかった正樹の小さな姿がどんどん遠くなっていって、
窓から手を握り。
送ってくれた。
ホームの影で。
忘らりょか。
‥‥‥忘らりょか。
もうその歌詞のあたりは通りすぎていて、スピーカーから流れる歌は能天気にズンドコズンドコと繰り返しているのに。
「あー‥‥‥あのさ、あたいそういうのイマイチわかってないから、変なコト聞いてるかも知れないけど」
ぽりぽりと頬を掻きながら、ひどく言いづらそうに冴子は口を開く。
「真奈美、なんで泣いてるんだ? 誰かなんか変なコト言ったのか?」
「へ? あたし?」
小さく驚きの声を上げたのは他ならぬ真奈美自身だった。
「あれ?」
声に反応して、そのテーブルを囲んでいた全員の視線が集まる先で、
「あたし‥‥‥あれ? 泣い、てる、のかな?」
たった今、真奈美の目尻から零れた涙は、まっすぐに頬を伝って、机に敷いたナプキンをぽつぽつと濡らしていた。
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