ある日突然、それはダイニングのテーブルの上にあった。
下顎だけ別パーツになっているらしいことがひと目でわかる、まるで腹話術のパペットのような人形。サンタクロースのような白くて長い髭をたくわえた老人の顔。だが、仮にそれが本当に腹話術のパペットだったとして、必要以上に目を剥いたような、老人というよりは老悪魔を彷彿とさせるその表情で何か喋られても、多分、気持ち悪いとしか思えないだろう。それに後頭部から伸びているレバーも意味不明だ。
興味がないではないのだが‥‥‥何となく、けたけたと甲高い声で笑いながら、触れようとした指が食い千切られてしまいそうな気がして、だから手も出せないまま、名雪はそれを気味悪そうに眺めているしかなかった。
「あら、どうしたの名雪?」
別の部屋から出てきた秋子が声をかける。
「お母さん、これ‥‥‥」
名雪はそれを指差すが、近づきすぎるとその人差し指に噛りつかれそうで恐いからか、妙に腰が引けている。
「それがどうかしたの?」
「これ、何?」
「何って、くるみ割り人形だけど。どこかおかしいかしら?」
言いながら秋子は首を傾げ、そして、それを手に取ろうとする。
「あっ危ないよお母さん」
思わず名雪は秋子を止めようとするが、
「どうして?」
平然と、秋子はそれを素手で取り上げてみせた。
「‥‥‥ほ、本当に大丈夫? 噛んだりしない?」
「だって、これはくるみの殻を割るための道具だもの。噛まれるような使い方をしなければ大丈夫よ。指を挟むためにペンチを使う人はいないでしょう?」
いかにもおっかなびっくりな様子で、名雪が人形に人差し指を近づけていく。
と。
その頬に触れるか触れないかのところで、顎が打ち合わさって、かちん、と鋭い金属的な音をたてた。
「わっ!」
もちろん、秋子がそういう風にレバーを動かしただけなのだろう。だがそうとわかっていても、名雪は慌てて指を引いてしまう。
勢いで飛び退いた先に食器棚があって、背中に当たった棚の中身ががしゃがしゃと不平の声を上げた。
「うーん、名雪にはまだ、マリーの役は務まりそうにないかしらね」
何故だかやけに残念そうに呟いて、秋子はひとつ溜め息を漏らした。
「ねえ祐一さん?」
かちん。
「な、名前がついてる!? っていうか祐一!?」
人形の祐一に話しかける秋子の手の上で、誰がどう見ても祐一には似ていない人形の顎が、かちんかちんかちん、と揺れる。
それは見ようによっては、人形が頷いているようにも見えた。
「:pseobim:s;flbma:weiq!」
とうとう名雪は、何やら意味のわからないことを叫びながら、二階へと逃げ出してしまった。
「困りましたねえ、祐一さん。名雪があの調子では」
秋子の手を離れた人形は、
「いつになったら、ネズミの王妃の呪いを解いてもらえるのでしょうね?」
置かれたダイニングテーブルの上で、かちん、と、顎をひとつ打ち鳴らした。
それは、見ようによっては‥‥‥人形が頷いている、ようにも見えた。
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