「あ、すみません有里さん。すぐ戻ります‥‥‥俺、今まで」
そこで言い淀んだ宮司様が、今まで、私に何をしてきたか、なんて。
宮司様が気に病まれることはないのです。
私が誘ったのですから。
私が‥‥‥本当はただ、今までずっと、私が寂しかっただけなのですから。
宮司様の優しさに付け入るようにして、自分を慰める道具に宮司様を使っただけです、と今告白しても、宮司様ならば、多分、私を抱きしめてくださるでしょう。まるで自分のことのように、辛かったね、と言ってくださるでしょう。
だから宮司様にだけは、本当のことは言えません。
それで宮司様の未来を縛ることはできません。
束の間、付け入っただけの私のことなど、忘れてしまった方がいいに違いないのです。
そう、例えば宮司様がどうしようもない人でなしだったなら、どんなに救われたことでしょう。
弄ぶだけ弄んで、私のことなど簡単に棄ててくださるようなひどい人だったなら。
玩具でよかったのに、
捌け口でよかったのに、
ただの慰み物でよかったのに、
私が傷つくだけでよかったのに、
でも、そういう人ではなかったから。
優しかったから。
その間だけは、私だけを見ていてくださっているのかも知れない、と思えたから。
宮司様のそんなところに惹かれたのだと、本当は、私もわかっているのに。
「構いませんわ。時々見回りはしていますが、何も起こってはいませんし。宮司様もお疲れでしょう」
敢えて、宮司様の期待された答えとはきっと違うこと、を答えながら。
ちらちらと伏し目がちに私の手を見ている宮司様から、ゆっくりと、逃れるようにして。
宮司様をそこに置いてひとり廊下を歩きながら、私はその時、荷物をまとめる決心をしました。
これ以上ここにいてはいけない。
宮司様の側にいると、私はやがて、言ってはいけないことを言ってしまう。訊いてはいけないことを訊いてしまう。求めてはいけないものを‥‥‥それでも求めようとする罪深い自分を、抑えることができなくなってしまう。
ここから見上げる最後の夕焼け空が高く澄んで綺麗だったことをずっと憶えておこうと思いました。
憶えていられることはそれだけでいいと思いました。
誰でもいいから私を愛して、と私の中で叫ぶ私も一緒に、嬉しいことも悲しいことも、ここで皆さんと、宮司様と作った思い出を全部、あの夕焼けが焼いてくれたらいいと思いました。
そうして、私の心の中はまるで焼け野のように何もなくなって‥‥‥そこに宮司様が、いらっしゃらなければいい、と思いました。
さようなら宮司様。どうか、どうかお幸せに。
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