「か、かお‥‥‥かお」
「何よさっきから」
何か言いたそうにしている北川に、ぶっきらぼうに香里が応じる。
おいしそうな湯気や香りや音を盛大にばら撒きながら目の前で焼き上がりつつあるお好み焼きも、その卓の半分を和ませるには少し力不足らしい。
「祐一、北川くんが」
「別に何も起こってないだろ。放っとけ。ほらそっちの豚玉もういいぞ名雪」
「わ。そうだね」
同じ卓のもう半分で、祐一と名雪は楽しげにしているのだが。
「おーい香里。何だか知らんがぶすくれてないで、そっちのイカ玉そろそろひっくり返した方がいいぞー?」
呑気に言いながら、隣のお好み焼きをヘラで指す。
「え? ああ、はいはい」
言われた香里は慌ててヘラを握り直し、そんな風に慌てた様子の割には器用にイカ玉を返した。じゅじゅーっとソースの焦げる音。
その手元‥‥‥でなく、顔、唇のあたりを、さっきから北川はちらちらと見つめている。
見つめている、ことに気づいて欲しくないのか、別の幾つかの場所と香里の顔を行ったり来たりする。
別の幾つかの場所、のうちのひとつは祐一の顔で、自分を見るのとは違う感情がそこに混じっていることに、何故だか、気づいてしまっている。少なくとも香里はそう思っている。
「北川、見てないでちゃんと手伝えよ。香里に全部喰われるぞ?」
「失礼ね」
「でも、かお‥‥‥いや」
また何か言いかけて、しかし言いかけただけで北川は口を噤む。
言いたいなら言いなさいよ。香里って呼びたいんでしょ相沢くんみたいに名前で。あたしの名前くらい呼びたいように呼べばいいじゃない!
‥‥‥北川が口を噤んだままだから、唇まで出かかったその言葉を、香里も飲み込むしかない。
「まだ気づいてないのかな」
「そろそろ突っ込むだろ、いくら何でも」
祐一と名雪はあくまでも呑気な傍観者に徹する構えらしい。
起きている問題が大した問題ではないのだからそれはそれでよかったのだろう。だがもしかしたらそのせいもあってか、その卓の暗い側は未だに暗いままだ。
何やらオヤのカタキでも切り刻むかのような凄い形相で、香里がイカ玉をざくざくとヘラで切り分ける。
そのちょうど半分を北川の方へずずっと滑らせた。
「食べたら?」
「え‥‥‥ああ。ありがと」
そうしてまた、魂が抜けたようにのろのろと動き始める北川が目の前にいる。
「何なのよもう! 言いたいことがあるならはっきり言えばいいじゃない!」
苛々は募るばかりで。
「かお、かお、かお、ってさっきから、あたしの顔に何がついてるっていうのよ!」
とうとう激発した香里の目の前に。
「言おうかどうしようかずっと考えてたんだけど、顔の‥‥‥口のとこ、ソースが」
北川は、卓に立てられていた紙ナプキンを一枚取って差し出した。
「香里、本当に気づいてなかったんだ」
名雪の方が困ったような顔で呟く。
遠慮も容赦もなく、祐一はそこで腹を抱えて笑っている。
北川の手から毟り取った紙ナプキンをくしゃっと握ってぽいと投げる。
それは吹き出してしまった北川の口元、ちょうど香里の顔にソースがついているあたりに当たって卓に落ちる。
「‥‥‥ふん」
引っ込みがつかなくなった香里は、ソースを拭き取ることも、不覚にも真っ赤になってしまった自分の顔を何とかすることもしないまま、青海苔を振った目の前のイカ玉をさらに細かく切り刻み始めた。
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