別に‥‥‥今夜は本当に全然、何の約束もしていない。でもそんな気はしている。
夜空を見上げる。今夜も月が綺麗だ。
ひとつ息を吐く。真っ白い雲を一瞬だけそこに残して、俺は無人の校舎に乗り込んでいく。
思った通り、無人じゃなかった。
「待ったか?」
「いや‥‥‥別に」
舞が振り返った。いつもの廊下で、いつものように会話は始まる。
「最後にこうやってここで喋ったのはあの晩だったよな」
「うん」
そう。あの晩、魔物はすべて片づいてしまった。あれはすべて‥‥‥あれもすべて舞だった。自分自身同士で殺し合うようなことをしてまで、舞はずっと、引き留められなかった俺の帰りを待っていたんだ。
だけど、それももう終わったことだ。今更こんな真夜中に、この校舎に何か魔物が出るわけじゃない。
「だから、ここにいたってもう魔物は来ないんだぜ? なのに病室抜け出すようなことをして、こんな夜中に何するつもりなんだ?」
「別に、何も。ただ」
「ただ?」
「ここに来れば、祐一がいると思った」
舞は舞で、どうも俺と似たようなことを思っていたらしい。
「いると思ったって‥‥‥毎日見舞いに行ってるだろう? あれじゃ足りないか?」
「足りない」
真顔で即答する舞。
「あのな‥‥‥」
「あ、いや、祐一は別に悪くない」
「何だそれ? って舞、もしかして」
そっと舞に寄っていって、後ろから抱きすくめる。
「こうして欲しくて、ずっと待ってたのか?」
「馬鹿‥‥‥でも‥‥‥」
舞は俺の両腕にその手を添えた。
「こういうのは、すごく‥‥‥あの‥‥‥嫌いじゃない‥‥‥」
まあ、病室は個室じゃないもんな。
振り向いた舞が目を閉じた。吐息が互いの頬にかかる。
今、俺もここで目を閉じたとしても、きっと舞の唇の場所を間違えたりはしないだろう‥‥‥
「真夜中だな」
「うん」
窓枠に腰かけて、俺たちは月を眺めている。
「なんか俺たち、夜中に走り回るのがもうクセになっちまってるのかもな。俺も最近‥‥‥っていうか、あれからあんまり眠れないんだ。どうしても目が冴えちまって」
「私はそんなことない。最近とってもよく眠れる」
「‥‥‥羨ましいなお前」
「そうか?」
舞が得意げに微笑んでみせる。
「いや、そんな自慢するほどのもんでも」
「そうか‥‥‥」
今度はかくんと俯いてしまう。
「ああだからそんなにしょげなくても」
「ふふん」
あ。くそ。なんか俺、遊ばれてるぞ。
「ええい、そんな悪い子はこうしてくれるっ」
何となく、隙だらけの首元に噛みついてみた。
「祐一、本当は吸血鬼さんだったのか?」
どことなく的の外れた舞の言葉に、
「満月だからな」
わかったようなわからないようなことを小声で呟いた。
「そう‥‥‥だったら」
頷いた舞はおもむろに持っていた白鞘を払い、
「狩らないといけない」
「うわあああああっ」
結局俺は、真剣を振り回しながら追いかけてくる舞と全力で追いかけっこをする羽目になった。
「‥‥‥疲れたな‥‥‥」
「‥‥‥うん‥‥‥」
肩で息を吐きながら、最初の窓枠にふたりしてへたり込む。相変わらず月は高いところにあって、何も起こっていないかのように俺たちを照らし続けている。
「それだけ走れるんだったら、別に入院してる必要ないんじゃないのか?」
「私も先生にずっとそう言っているけど、なかなか帰してもらえない。でも」
「でも?」
「病院なんていつでも抜け出せる。だから、祐一が待っていてくれるなら、私はどこへでも行ける」
「そうか‥‥‥でも俺、本当は本当に吸血鬼かも知れないぞ?」
「追いかけっこは疲れたから狩るのは後にする」
それだけ言って舞はくてっと廊下に転がってしまう。本当に魔物相手に戦ってた時の運動量はこんなもんじゃなかった筈だから、まあ、絶好調でもないんだろう。
そのまま寝息をたて始めてしまった舞の頭を撫でながら、どうやってバレないように舞を病室に戻そうか、俺はずっと考えていた‥‥‥。
|