「わ、ほらお姉ちゃん!」
「何よ今度は」
「このスカート、生地がワッフルって言うんだって。ほら、ほんのちょっと、ぎざぎざでもこもこ。わー」
「いや、わーじゃなくて」
「ほらほらお姉ちゃん、こっちはワッフルチェック!」
あなた一体何しに来たの‥‥‥とは、今日は言えないあたしである。
「私がお姉ちゃんに服を見立ててあげます」
突然、栞がそんなことを言い出したのは今朝になってからだ。
自分の服くらい自分で選ぶわよ。
そう言って断るのは簡単だったが、特に用事があるでもない日曜の朝、しかも元気になって数ヶ月前に病院から戻ったばかりの栞のお誘いを無下に断るのはどうだろうか。
それに、多分栞は、本当にあたしの服を見立てたいのだろう。栞自身の買い物に敢えてあたしをつきあわせる理由はない。そういう相手には困らない筈なのだ。なにしろ、姉のあたしを差し置いて立派な‥‥‥立派かどうかは微妙としても、ともかく、栞には彼氏がついているのだから。
いろいろ考えるあたしの手を引いて街に繰り出した栞は、そのままの勢いで、デパートのファッションフロアでもあたしを引っ張り回す、の、だが。
実体はかくのごとし。
珍しいものに目移りしてしまうばかりで、あたしの服はどこへやら、なのだった。
一通り見て回ったところで、ぱたぱたと小走りに駆けて行った栞が最初に試着室前に持って来たのは、焦茶色のツーピースだった。普段着というよりはちょっとした他所行きっぽい仕立てで、どうもあたしの妹は、割合にシックというか、トラディショナルな趣味の持ち主だったらしい。
栞の見立てだからもっと女の子っぽいというか、もう少し対象年齢の低そうな服を選んでくるかと思ったのだけれど‥‥‥意外にそうでもなかったことにちょっと感心しかけたところへ、
「やっぱり、見てきた中ではこのワッフル地の」
シックもトラディショナルも一撃で台無しにするひとことでオチをつける。
そういうのも、まあ、栞らしさではあるのかも知れないけれど。
「物珍しさで他人の服を選ばないでくれる?」
「そんなことないですよ? きっととっても似合います」
「‥‥‥そうかしら」
それはそれとして、その服は嫌いではなかったので、素直に受け取ったあたしは試着室に入る。
何となく着るのが面倒なところがいかにも他所行きっぽいツーピース。
綿、とかそういう一般的な無地の生地にしか見えないシンプルな服だ。
「こういう服でも、意外とそれなりに見えるものなのね」
裾を引っ張ったりリボンベルトの引っ掛かり具合を調節したりしながら、大きな姿見に映った自分に向かってそんなことを呟いた。
自分ひとりで服を買いに来ると、どうしても、脱ぎ着が楽だとか、いい加減に扱えるとか、そんなことの方を先に考えてしまいがちな‥‥‥今はもう栞の看病とかにそんなに必死にならなくていいとわかっていても、どちらかといえばスポーティな服に目が行ってしまいがちなあたしのことを、栞はもしかしたら、あたしが自分で思うよりも気にしていたのかも知れない。
お姉ちゃんはもう、こういう服を選んで着ても大丈夫です。
私のことを無理に優先しようとしてくれなくても、私はもう、大丈夫なんです。
あたしに似合いそう、というメッセージの他に、もうひとつメッセージがついているような気がして。
首元と腰に値札をぶら下げた情けない自分の両肩を、あたしは、自分でぎゅっと抱きしめた。
結局、それを買うことにした。
財布を出そうとしたあたしの手を抑えて、代わりに自分の財布を取り出した栞があたしとレジの間に割り込む。
「いいわよ無理に奢ってくれなくても」
「でも今日のお財布係は私ですよ? あ、それで店員さん、すぐに着るので値札は切っちゃってください」
畏まりました、と店員さんは応じて、カウンタに供えつけられた小さな鋏でぱちぱちと値札を切り落とす。
「ちょっと栞、すぐ着るってどういう」
「さて、あとは‥‥‥うーん、サンダルかな。サンダルですよね? はい、サンダル」
聞いているのかいないのか、勝手に支払いを済ませて勝手に紙袋を受け取った栞は、やっぱり勝手にあたしの手を掴んで、すたすたと別のどこか向かってしまう。
「ちょっと栞?」
「その服でスニーカーはないでしょ、やっぱり」
「っていうか、今着なくても」
「いいからいいから」
その足でもういちど試着室に押し込まれ、焦茶のツーピースにスニーカーという珍妙な格好にさせられたあたしは、そのままの状態で今度は靴の売り場に連れ込まれ、ヒールは低いがいかにも走りづらそうなサンダルに履き替えさせられた。
ちなみに、そのサンダルの支払いも栞持ちだった。
「入院してる間、お小遣いとかちっとも使ってなかったから。プチお金持ち?」
栞はそう言って得意げに微笑む。
すっかりお色直しを済ませたあたしがデパートの外に出たのは、ちょうどお昼時くらいで。
「ん。そろそろですね」
腕時計をちらりと見やって栞はそう呟く。
「そうだな。ぴったりだ」
突然。
「え?」
後ろに聞こえたのは相沢君の声だった。
「お、普段と随分感じが違うな。うんうん」
何となく。
何となくだが、何が企まれていたのか、その時あたしは察してしまっていたのかも知れない。
「なっななな何? 何なのこれは?」
それ故に、不覚にも慌ててしまったあたしの前に相沢君が押し出したのは‥‥‥やっぱり、
「ほら何照れてんだ北川!」
「うわっ‥‥‥み、美坂」
あたしと同じように、今買ったような真新しい服でそれなりにおめかしをした北川君、なのだった。
「着てきた服はちゃんとお前の家に届けといてやるから、気にしないでいいぞ北川」
「お姉ちゃんの服も私が持って帰りますから。それじゃごゆっくり」
‥‥‥そこに置き去りにされたあたしたちは、にこやかに去って行くふたりを呆然と見送るしかなくて。
「あー美坂、せっかくだから、その」
そう言うまでに随分時間がかかった北川君が、すぐ側で、照れくさそうに頭を掻いた。
「仕方ないわね」
つまらなそうに、いかにも仕方なさそうに、そう言ってやったつもり、だったのだが。
多分あたしはその時、そういう表情を作るのに失敗していたと思う。
栞が見立ててくれたツーピースのスカートとジャケット。
ワッフル地の、ほんのちょっとの「ぎざぎざでもこもこ」同士が擦れた音が‥‥‥何故だか、頑張れお姉ちゃん、と囁く声に聞こえたような気がした。
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