「ずーいずーいずっころばーし♪」
境内を箒で掃きながら、さっきから有里さんは何やら楽しそうに口遊んでいる。
昨日も一昨日も馬鹿みたいに暑かったから見ていて辛そうだったけど、今日は日差しも穏やかで、あんまり丈夫な方じゃない有里さんもこれくらいだと過ごしやすいんだろう。
祭りが来るまでこんな日ばっかりだったらいいのにな。白衣の背中で揺れる長い髪を何となく眺めながら、俺はそんなことをふと思う。
「なーまみーそずいっ!」
‥‥‥ちなみに、向こうの方で凛が叫んだが、この際それは気にしなくてもよい。
「まあ。お昼はまだ先ですよ?」
手を止めた有里さんが凛のいる方を見やって少し笑う。気にしなくてもいいのに。
「えー?」
えーとか言うな。大体お前ひとりで朝飯何杯食ったと思ってるんだ凛こら。
「あらあら。それに、こちらのお味噌汁はインスタントではありませんよ?」
「生みそずい‥‥‥お味噌‥‥‥ぐふふふ‥‥‥」
早くも意識が飛びかけているらしい。って、おいおいそんなに腹減ってるのか? まだ昼どころか十一時にもなってないぞ。
「でも、凛さんはご存じないのですか? ずいずいずっころばしはとても恐いお話なんですよ?」
「お味‥‥‥そ?」
お、ちょっと戻ってきた。
「ずいずいずっころばし、は茶壷が地面を這って追いかけてくる音、だそうですわ。茶壷に追われてとっぴんしゃん、は、そんな風に茶壷に追われる女の子を家に上げないように、周りの家が玄関の戸をぴしゃんと閉じる音」
え? そうなのか?
「抜けたらどんどこしょは、追いつかれた女の子が茶壷に踏み潰されてしまった音」
「え‥‥‥あうあう‥‥‥」
「おっ父さんが呼んでもおっ母さんが呼んでも生きっこなしよ‥‥‥手遅れだった、ということですわ。女の子はただちょっと、お茶碗を落として壊してしまっただけなのに」
「おちゃわんっ!?」
悲しそうに俯く有里さんの周りだけ、気温が一気に落ちた、ような気がした。
「そういえば今朝、お供えの三方が倒れて、隅の方が少し凹んでいたのを見かけたような」
「えっ! ‥‥‥えっ? でっでっでもっ、別に昨夜内緒でお団子食べた時は倒したり‥‥‥いやあのえっとあのっ、おっおっお団子なんか知らないっていうかっ」
「井戸の周りで、お茶碗欠いたの、だ・あ・れ?」
ずるずる。ずるずる。がさ。ずるずる。
「いやあああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
不意に俺の後ろで物音がして、弾かれたように凛が駆けて行く。
「あの、宮司さん」
「‥‥‥な、なんだ舞奈か」
ずるずると箒を引き摺りながら、背中の後ろに立ったのは舞奈だった。‥‥‥実は今、ちょっと俺もドキドキしてた、なんて有里さんには死んでも言えない。
「あら。宮司さん、そちらにいらしたんですか?」
物音に気づいたのか、有里さんもやってくる。
「何だか、ドキドキしてるみたいです」
「指を差すな指を」
「もしかして、宮司さんも聞いてらしたんですか?」
「ええ、まあ。‥‥‥しかし知らなかったな、ずいずいずっころばしがそんなスプラッタな話だったなんて」
「はい。私も存じません」
は?
「作り話ですわ。ちょっと驚かそうとしただけなんですけれど‥‥‥あの、そんなに恐いお話でしたか?」
「いや恐かったっていうか、だって凛の奴走って行っちゃったし」
「ええ。私も驚いてしまいましたわ。ちょっと悪いことをしたかも知れません」
い、意外とお茶目な人だったんだな、有里さんって‥‥‥。
ちなみに。
青ざめた顔で「食欲がないんですう」と言い張る凜はとうとう、その日一日は何も口にしなかった。‥‥‥おかげで空腹のあまり真夜中に暴走して大騒ぎした挙げ句、翌日は朝から普段のさらに三倍くらいの食欲を見せつけて、周囲を安心させたり呆れさせたりで。
とにかく元には戻ったらしい。有里さんと俺も顔を見合わせて、一緒に溜め息をついた。
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