そういえば露店の方が騒がしい気がする。
夏祭り真っ只中の元々騒がしい境内で、ふと、俺はそんなことを思う。
何とはなしに石段の上から見降ろしてみると、真ん中あたりの露店の前に凄い人だかりがあって‥‥‥どうやらそれは、誰かが喧嘩をしているとか、何かトラブルが起きているとか、そういう風なことが原因の騒ぎ方とは違うように見えた。どちらかというと誰かが何か凄いことをしていて、まわりの反応も拍手喝采みたいな感じだ。
露店のテントのせいで肝心なところは上からじゃ全然わからない。
だが正直なところ、一日中、いや昨日も含めれば二日続けて立ちっ放しの歩きっ放しで、身体的には少々キツい。
まあ、宮司が自ら慌てて駆けつけなきゃいけないような大問題なら誰かが呼びに来るだろうし、そういう事態でもないのに石段を降りてまた昇るのは、できたら回避したいところだった。
「ま、祭りなんだからああいうもんだろ。寂しいよりはいいさ」
そこで何が起きているのかわからないのが残念な気分もちょっとはあるが、取り敢えず自分の中では結論が出たことにして、俺は境内に向き直る。
このまま下から誰も俺を呼びに来なければ、宮司になって初めての夏祭りは、多分、どうにか無事に終わっていくだろう。
‥‥‥少し気の早い達成感と、それを諌める警戒心を、ほんの少しだけ暗くなりかけた空へ纏めて放り出すように、俺はその場で、大きく大きく背伸びをした。
「宮司さん」
「うわっ」
ちょうど背伸びを止めたところで、俺は背中をつつかれた。
慌てて振り向くと、いつの間にか、そこには舞奈が立っている。
「なんだ舞奈か? 脅かすなよ」
「ごめんなさい」
「何かあったのか?」
「宮司さんにお願いがあります」
「お願い? どうしたんだ改まって」
「金魚さんを、飼ってくれませんか?」
「は?」
舞奈は言った。‥‥‥金魚さんにお願いされた、と。
あの露店のおじさんは、商売道具の金魚さんを全然大切にしてくれない、このまま一緒に連れて帰られてはもう何日も保たない、だから僕たちをここから連れて行ってください、と。
「つまり舞奈は、見回りしていて金魚掬いの露店のおっちゃんに声をかけられて」
「宮司の兄ちゃんも見てないんだし、細かいこと気にすんな、と言われました」
「そこの水槽に入ってた金魚を、全部掬っちゃった、とそういうコトか?」
「計算が間違っていなければ、二百八十七匹いるそうです」
「ちょっと待て。それじゃ今、下が騒がしかったのは」
「はい。後ろでたくさんの人たちが見ていました。拍手とかも、いっぱいしてもらいました」
図らずも俺はここで、石段の昇り降りが面倒でつい今しがた諦めた、あの人だかりの真相に触れることになった。
「だけど舞奈、流石にそれはいろいろまずいんじゃないのか? 金魚掬いの人だってそれで商売してるんだろうし、他にも金魚掬いがやりたい人だっていたかも知れないし」
「でも、金魚さんの願いを知ってしまった私には、少しだけ掬うなんて、できませんでした。全部掬うか」
悲しそうに俯く。
「‥‥‥全部見捨てるか、か。それはいいけど、いくら何でも二百八十七匹を全部飼うのは無理だぞ?」
「そうですか」
俯いた舞奈の頭をそっと撫でる。
「でも、考えが全然ないってワケでもない」
ただそのためには、やっぱり宮司の俺が出向いて行かないとダメだろう。‥‥‥やれやれ、結局あの石段を往復するハメになったか。
自分が渡した普通の和紙一枚で金魚を全部掬われてしまうとは流石に思っていなかったらしい。怒ったり困ったりを通り越してもう笑うしかない感じの金魚掬いのおじさんは、俺の提案に快く同意してくれた。
金魚を持って帰るための小さなビニールの袋に、掬ったはいいが行き場がなくて再び水槽に戻されていた金魚を三匹くらいずつ小分けにして、まだそこに大勢残っていたギャラリーに配ってまわる。ビニールの袋については神社の方から実費を支払う。本当は金魚の代金も払うつもりだったが、それはおじさんの方が固辞し、その心意気に対してまた歓声と拍手が沸き起こった。
そして舞奈は、今やちょっとした英雄であった。
舞奈の配る金魚は子供たちを中心に人気を集め、思っていたよりも早く、ほとんどがギャラリーの手に渡っていった。
「宮司さん、これを」
最後の三匹が入った袋を、舞奈は俺に差し出した。
「この子たちをお願いします」
「わかった。預かっておこう。だけど」
「‥‥‥だけど?」
「これは舞奈の金魚だ。舞奈が救った金魚だ。だから舞奈が飼うんだ」
でも。
言いかける舞奈に、どうにか、俺は笑ってみせる。
「帰ってくるんだろ? 俺がこいつらの面倒を見るのはそれまでだからな」
言いながら、ちょっと目のあたりに熱いものがこみ上げてきて、誤魔化すように俺は空を見上げた。
だけど、大きな夕陽の赤が目に染みて、誤魔化すつもりがもっと困ったことになってしまったから、その時舞奈がどんな顔をしていたのかはわからなかった。
信じた金魚だって、掬われたことだしな。‥‥‥取り敢えず自分の中では結論が出たことにして、舞奈と手を繋いだ俺は、境内へ続く石段を一緒に昇った。
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