境内の喧騒をよそに、本殿の裏手に腰かけた俺はぼーっと空を見上げていた。背の高い雑木に隠れた夕陽は見えないが、夕暮れ時の空の赤さで、夜がどれくらい近くにいるのかは何となくわかった。
新米宮司と数人の新米バイト巫女が新米らしい危なっかしさで取り仕切った初めての夏祭りは、それでもどうにか平穏無事なまま、あと少しで終わりを迎えようとしている。
振り返ってみると、慣れない準備に奔走する日々は結構苦しかったように思う。
とにかく俺だけは‥‥‥神社の宮司であり、夏祭りの責任者でもある俺だけは、いろんなことが考えているように上手くいかないもどかしさを誰かにぶつけてしまうわけにはいかなくて、そのせいか、最近は何だか多香子と口喧嘩ばかりしていたようにも思う。
そんな時でも、有里さんだけはずっと笑っていてくれたから。
まるで、離縁、という心の痛手につけ込むようにして‥‥‥何をするにも目一杯で、そこ以外に持って行き場を見つけられなかったいろんなことを、今まで俺は、有里さんの中へと吐き出し続けてきた。それは確かに有里さんが俺を求めてくれたからでもあったけど、だからといって、後ろめたい気持ちの全部がそれで誤魔化せたようにも思えないでいる。
多分俺は、有里さんのことが好きだと思う。
でも、有里さんの何がどんな風に好きなのか、本当は、今はまだよくわからない。もしかしたら俺は、好きに抱かせてくれれば誰でも、例えばそれが有里さんでなくても構わなかったのかも知れなくて、そんなことがふと頭を過るから、有里さんのことが好きだと思う自分をそのまま信じていいのかどうか、自分自身のことなのに、まだ、よくわからない。
ましてや、有里さんが本当は俺のことをどう思っているのかなんて、自分のこと以上にわからない。
この祭りが終わった後でも、有里さんは俺の側にいてくれるだろうか。
それとも、夏祭りが終われば心の痛手も癒えて、俺とのことなんて全部、何もなかったようになってしまうのだろうか。
この先しばらくはここに留まったとしても、祭りが終わってずっと経って、忘れたいことを忘れてしまったことに気づいた頃には、やっぱり、俺とのことも一緒にみんな忘れてしまっているのだろうか。
みんなが目標にしてきた夏祭りは今日で終わる。
では、その次には、何が変わって、何が変わらないのか。
結局は確かなことなど何ひとつ見つけられないままなのに、初めての夏祭りはあと少しで終わりを迎えようとしている。
「あら。こんなところにいらしたのですか」
行儀悪く本殿の通路の手摺りに腰かけてぼーっとしている俺を見つけた時でも、有里さんは笑っていてくれる。これが多香子や京華なら、もうこの段階で既に口喧嘩に発展しているだろう。
「あ、すみません有里さん。すぐ戻ります‥‥‥俺、今まで」
今まで、と言った自分の言葉が、『どこから』今までのことを指しているのか、本当は自分でもよくわかっていなくて。
ただ、何かを謝らないといけないような気がして、いろんなことがない交ぜになった気持ちのまま、俺はそう言った。‥‥‥どうとでも取れるようないい加減な言い回しに自分で苛立っている。いつまでもこんな風にいい加減なままではいられないのに。
「構いませんわ。時々見回りはしていますが、何も起こってはいませんし。宮司様もお疲れでしょう」
今まで、という言葉を、取り敢えず有里さんは短い方に、つまり『夏祭りの最中にこんなところで油を売っている宮司』の方に取ったらしかった。
そんな風に穏やかに、何も起こってないなんて言いながら、すぐ側にいて、笑っていてくれることが、何だか嬉しくて、無性に悲しい。
心が重なるよりも先に何度も何度も重ねてしまった筈の身体なのに、やわらかく前に組まれたその手に触れるくらいのことさえ、今、俺には恐くてできなかった。
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