それが自分にできることである限り、まず秋子は、何でも自分で作ってみようとする。
その手で何かを作る、ということに対してのこだわりめいたものは、傍で見ているだけの人には異様なもののようにさえ思えるかも知れない。
だから例えば、こうして世間がクリスマスを迎えれば、料理やケーキは言うに及ばず、玄関やそれぞれの部屋のドアに掛けられるクリスマスリースすら、毎年秋子は自分で作る。
「今年のリースも綺麗だね」
玄関近くまで見送りに出た秋子に告げて、愛娘は嬉しそうに微笑む。
「ほら祐一。毎年お母さんが作るんだよ、これも」
それから、閉じられたドアの表側にその朝掛けたばかりのリースを指差して、きっと愛娘は今、まるで自分が作ったかのように誇らしく胸を張っている‥‥‥見えているわけではなくても、ドアを隔てているせいで少しくぐもった声が、愛娘が今どんな風に笑っているかを秋子に教えている。
いってらっしゃいと小さく囁いた声は、次第に遠くなっていく愛娘の声よりも小さかったから、多分、そこまで届きはしなかったろうけれど。
ひとり廊下に佇む秋子は、誰に見せるともなく、嬉しそうに頷いた。
次に玄関が開いたのはまだ昼にもならない頃だ。
買い物はまだ済んでいないだろうから、それが愛娘と甥御が帰ったからではないことだけは、誰何の前から秋子にはわかっていた。
「こんにちは」
「あら、こんにちは」
台所から覗いてみると、窓の外にちらつく雪を頭や肩に薄く積もらせた茶色いダッフルコートの少女が、上がり框で分厚いミトンの手を挙げた。
仕種にいつもの元気がないような気がするのは、どうやら秋子の思い過ごしではないようだ。
「どうかしたの? 何か嫌なことでもあった?」
「‥‥‥あのね、あの、ボク‥‥‥やっぱいいや」
言い淀んだ挙げ句、言い出す機会を自ら棄ててしまった女の子に、
「何でも言っていいのよ?」
暖かく、秋子は微笑んでみせる。
「その、クリスマスだから、ケーキをね」
「ええ」
「あの、ボク、ケーキが欲しいんだ、じゃなくて、欲しいんです」
言ってしまって少し落ち着いたのか、少女はふっと大きく息を吐いた。
「何人で食べるの?」
「うーん、ふたりかな?」
「お母さん?」
「そうじゃなくって、んー‥‥‥んー」
今度は何やら難しい顔をして考え込んでしまう。
「お友達、かな?」
「あら。そうなの?」
「うん‥‥‥はい。多分」
普通に考えて、一緒にケーキを食べようとしている相手が自分にとってどういう相手なのかが即答できない関係、というのも相当におかしくはあるのだろうが、
「ひとりじゃないなら、切り分けられる方がいいかしら」
それでも、秋子の意識は既に、「どんなケーキを作ろうか」の方に向いている。
「ただいまー」
「雪が凄かったな」
「今くらいの時期なら、もうこれくらい雪は降ってるよ」
「‥‥‥やっぱ俺、あっち戻ろうかな?」
出掛けた時のように、愛娘と甥御は揃って戻った。外に向かって傘から雪を振り落とす腕の動きに合わせて、重そうなショッピングバッグががさがさと音をたてる。
「はい、おかえりなさい。ご苦労さまです」
タオルを持って出迎えに立った秋子の後ろに、何故か輪になった針金を持った少女が立っている。
「なんだ来てたのか。じゃあ今日はずっといるんだろ?」
「ううん。秋子さんにケーキを作ってもらったら、ボク、行かないといけない場所があるんだ」
「え、そうなの? ‥‥‥そしたら、今年は三人でパーティだね。ほら、香里も北川くんも、何か用事あるって言ってたし」
言いながらショッピングバッグをテーブルに置く。
同時に愛娘はすっと左に半歩居場所をずらして、空いた右側に秋子が自然に滑り込む。
そうしてふたりは並んで、バッグの中身を整理する。
「それであゆ、その針金はどうしたんだ?」
甥御は少女に尋ねた。
「これ? クリスマスリース。秋子さんみたいに、ボクも作ってみようかな、って」
少女が掲げる針金の輪は、辛うじて輪ではあるのだが、いかにも「不器用な人が頑張って作りました」といった感じの歪みが随所に見受けられる。正直に言って、綺麗な真円を描く秋子作の出来映えとは比べるべくもない。
「何だよ、歪んでるな」
直してやろうか? ‥‥‥言いかけたところへ、
「祐一さん、お願いがあるのですけれど」
「あ、はい」
秋子に呼ばれた甥御は台所へ向かい、少女はまた手にした針金と格闘を始める。
「でもお母さん、お母さんのクリスマスリースは、確か木の枝で作ってあるよね?」
居間で苦戦の直中にある少女の手元をちらっと眺めて、愛娘は首を傾げた。
「ええ。材料になる枝は全部使ってしまったから、今年は余っていないのよ。それで、あゆちゃんに教えたのは別の作り方だから、私と同じものはできあがらないけれど」
振り向きもせずに秋子は答える。
「え? ‥‥‥クリスマスリースって、そんなにいっぱい作り方があるものなの?」
「そうよ? きっと私が知らない作り方もまだたくさんあると思うわ」
背中の向こうで少女はまだ頑張っている。
少女の傍らに戻った甥御はああだこうだと口を出しながら、だがさっき小さな声でお願いした通り、手を出してはいないようだった。
振り向きもせずに、秋子は少し頬を緩めた。
やがて、四人の昼食が済んで。
「ボクのわがまま聞いてくれて本当にありがとう」
紙箱に収めたホワイトデコレーションのシンプルなラウンドケーキと、不格好なクリスマスリースの入った紙袋を大事そうに抱えたまま、少女はぺこりと頭を下げようとして思い止まる。そのまま前屈みになるとラウンドケーキの平衡が保てないことに思い至ったらしい。
動きかけたリースがケーキの入った箱と擦れて僅かに音をたてたが、それだけで済んだのは幸運だった。
「どういたしまして」
くすくす笑いながら、少女の代わりに秋子がお辞儀をしてみせた。
「それじゃ行ってきます!」
自分の家から飛び出すように出掛けていった少女の背中に‥‥‥自分の娘に声を掛けるように、行ってらっしゃい、と秋子は応じる。
少女を送り出すと、愛娘と甥御も二階へ引き上げた。居間のデコレーションには夕方から着手することにしたらしい。
一階にひとり残った秋子は、床下の貯蔵庫から出したとっておきの白ワインの栓を抜いて、台所から居間を見渡すように、ダイニングの椅子に腰かける。
窓際に見える大きな観葉植物の鉢植えは後刻クリスマスツリーになる予定だが、まだ今はただの鉢植えで、すぐ脇の壁に掛けられた秋子手製のクリスマスリースと緑色の鮮やかさを競っている。
赤い実は血の色。
緑の葉は生命の色。
輪になったかたちは、始まりも終わりもなく、永遠に続いてゆく祝福のかたち。
‥‥‥信じる神を持たない、という意味においてはごく一般的な日本人である秋子だが、クリスマスリースに込められているという意味は気に入っていた。何故だかそれは、今の自分をとりまく暖かいものの永続を願う気持ちがかたちを持ったもの、のように思えるからだ。
食器棚の奥の方からひとつだけ出した、背の高いグラスに静かにワインを注ぎながら。
何だかいつも眠たそうにしている、のんびり屋さんの愛娘のことを思う。
どこか斜に構えたところはあるけれど本当はまっすぐで、てきぱきと要領のいい甥御のことを思う。
少しそそっかしくて不器用で、でも誰よりも自分の気持ちに正直に生きている少女のことを思う。
みんな自分に似ているようだが、本当はみんなどこか違っている、愛すべき子供たちのことを思う。
「みんないい子たちですよ」
遠くの誰かに語りかけるように囁いて、誰の母親でもない秋子はグラスの足を持ち上げる。
ワインと窓硝子を透かして昼下がりの暗い空が歪んだ像を結び、ワインの中に降っては消える雪を、そうしてしばらく、秋子は静かに眺めていた。
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