for you.  


  

「名雪ー」
 クリスマスイブが、もうじきクリスマスに変わる、くらいの頃。
 もしかしたらもう寝ているかも知れないとも思ったが、俺は一応、呼びながら部屋のドアをこんこんと叩いた。‥‥‥左手は意外に不器用だったからか、普段よりもちょっとくすんだような変な音がしたことが、俺としてはちょっと納得がいかなくて。
「はーい‥‥‥わ、祐一、何だか恐いよ」
 ドアを開けた途端、ちょうど顔を顰めた状態の俺に出くわしてしまったらしい名雪は、ぽつりとそんなことを言っただけで、すぐに部屋に引っ込もうとする。
「あ、ああ悪い。いや別に怒ってるとかじゃなくて」
「?」
 ドアの向こうから顔だけ覗かせるように、名雪がこっちを見ている。
「そんなに恐いか、俺は?」
「ん」
 即答かよ。
「そうか。せっかくクリスマスだし、名雪にプレゼントを用意してたんだが、恐い人からモノもらっちゃいけないよな。うん」
 ちょっと意地悪く、そんなことを言ってやると。
「あ、え、あの、うー」
 途端にしおらしく項垂れた名雪が、ようやく、こそこそとドアの向こうから廊下へ出てきた。
「ごめんなさい」
 それは多分、何かがもらえなくなるのが嫌だからじゃなくて、自分に向けられた善意を足蹴にするような自分の態度が嫌だったんだろう。やけに丁寧に頭を下げる名雪の頭を左手で軽く撫でた。上目遣いに俺を見上げた名雪は、腰を屈めた姿勢のまま、はにかむように笑う。
 例によって左手は不器用で、撫でたのか髪を掻き回したのかよくわからないことになってしまったが、名雪は別に気にしていないようだった。ブローしたてのさらさらした髪が指の隙間を流れていく感触が心地よくて、特に意味もなく、そんな動作を何度も繰り返してしまう。
 ‥‥‥つーか、だから俺は、別に髪の毛触りに来たワケじゃなくて。
 本音を言えば思い直したくはなかったがそれはそれとして、思い直した俺は左手を名雪から離す。名雪が少し残念そうな顔をするが、それも取り敢えず今は頭から退かして、俺は右手に提げた紙袋から、空いた左手で箱を取り出した。
 いかにもクリスマスっぽい緑色の包装紙で綺麗にラッピングされ、赤いリボンがかけられた、割と大きな箱。
「メリークリスマス。まあ、プレゼントっていうよりは、借金の返済だが」
「?」
 借金の返済、という言葉に、名雪が小さく首を傾げた。
「いいから開けてみろよ」
「本当にいいの? ‥‥‥ん。開けてみるよ」
 包み紙を綺麗に剥がすべく、目の前で名雪は頑張る。破りゃ早いのに、とかも思わないことはないが、そういう風情のないことは今言わなくたって別にいいだろう。
 やがて露になった箱の中から取り出されるのは、
「あれ? 目覚まし、時計? ‥‥‥わ、かわいいー、かわいいよー」
 片手には少し余るくらいの、直立して踊る猫みたいに見える何かのキャラクターを象った置き時計だ。理由はそれだけじゃないが、要するに店先で目についたから買っただけで、それが何のどういうキャラクターなのかは俺もよく知らない。箱には『仮面ゴロゴロ猫タンバリンサバイブ』とか書いてあったみたいだから、そういうアニメか何かがあるんだろう、とは思うけど。
「ありがとう祐一。嬉しいよ‥‥‥でもこれ、わたしが持ってない、ってよく知ってたね?」
「だから大変なんだよ、名雪に目覚まし渡すのって」
 思わず俺は苦笑する。
 大変なのは本当だった。あの目覚まし時計の博覧会みたいな部屋にまだないものを探さないといけなかったからだ。今『わたしが持ってない』って名雪が言ったのを聞くまで、本当に持っていなかったかどうかには、本当はちょっと自信がなかった。
 だから正直、また同じように俺ひとりで目覚まし時計を探しに行くのはもう嫌だ。でも。
「最初の時から目覚まし借りたままだったし、だから最初は時計を返さなきゃ、ってのは前から思ってたからな」
「そんなの気にしなくていいのに。わたしの部屋にはいっぱいあるんだから‥‥‥あ」
 こっちが見てて微笑ましくなるくらいにこにこしていた名雪の顔が不意にずーんと曇る。
「ん? どうした?」
「ごめん、わたしは祐一に、プレゼントとか、そういうの何も用意してないよ」
「そりゃそうだろう」
 俺は渡すぞって事前に予告してれば話は違ったかも知れないが。
「でも、もらいっ放しはよくないよ、多分」
「だから借金の返済なんだって。俺がずっと借りてたものがあるんだから、気にするな」
「そうかも知れないけど‥‥‥あ、そっ」
 そうだ、とでも言いかけたらしい名雪の動きが、何やらぎこちなく急停止した。
「何かあったのか?」
「あの‥‥‥えっと‥‥‥うー‥‥‥な、何でもないよ」
 何故か突然赤くなった名雪が、全然何でもなくなさそうに答える。
「何でもないけど‥‥‥祐一、笑わないでくれる?」
 蚊が鳴くような小さな声で、訊ねる言葉が次に聞こえたのは、それから何分か、もじもじと身を捩った後のことだった。
「わからん。いいから持ってきてみろよ」
「うー、祐一の意地悪」
 俯いたまま、名雪はいきなりそこに膝を突く。相変わらず猫がいっぱいの半纏の袖から、さっき畳んだ包装紙とリボンを取り出す。包装紙だけを袖にしまうと、手のひらに残ったリボンで、長く伸ばした後ろ髪をひとつに纏めて、蝶結びに結わえる。そして。
 そして、そのたったひとことだけを、自分の中から無理矢理振り絞るように、
「あの、祐一‥‥‥これで‥‥‥わたしで、メリークリスマス‥‥‥じゃ、ダメ、かな‥‥‥?」
 耳まで真っ赤な顔の前で赤く染まった両手をきゅっと握って、小さな小さな名雪の声が呟いた。

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