#2.昇降口  


  

「ああ、そういうの? うん、そういうのだったら、わたしもこの間聞いたんだけど‥‥‥夜中になるとね」
「ちょっと待ってくれ保奈美」
 保奈美の話を直樹は遮る。
「どうしたの?」
「美琴の話を聞いた時にも思ったんだが、みんな一体何の用があってそんな真夜中に学校に来るんだ?」
「んー。どうなのかな? 本当にそれを見た人がいるかどうかは本当はよくわからないんだけど、でも、こういう学校の怪談みたいなことって大体そういうものだから、あんまり細かいことは考えなくてもいいんじゃないかな」
 これから怪談を始める本人の言として、これ以上の不適切さを求めるのは多分無理であっただろう。
「それでね、夜中に」
「続くのかよ!」
 しかも、そのミもフタもない答えにそのまま平然と怪談を繋げる保奈美には、如何に付き合いの長い直樹といえども流石に動揺を禁じ得ない。



「‥‥‥手、が?」
「うん。下駄箱の奥から出てくるんだって。こう、手探りで、何か探してるみたいに指が動いて」
 説明するように、保奈美が右手を前に伸ばす。
「でもそれって、結局は単に気味が悪いだけだよな」
 伸ばされた保奈美の右手と自分の右手を、何となく、直樹は交互に眺める。
「ん。わたしも最初はそう思ってたんだけど、手が出てきた下駄箱の中にあった上履きが、翌朝になると別の下駄箱に入っていたり、なくなっちゃったりしている、って噂もあって。実は、部活の後輩の子がひとり、やっぱり突然上履きがなくなっちゃったみたいで、そのことを相談された時に一緒に聞いたのが今の話だったんだけど」
「うーん‥‥‥」
 直樹は腕を組んだ。
 その子の話が本当だとすると話はちょっと物騒になってくる。
「それ、先生には相談したのか?」
「相談はしてるけど、多分、何もわからないだろうって‥‥‥そうだ。なおくん、もしよかったら」
「不許可。却下。嫌だ絶対嫌だ断固拒否する」
 途端に直樹は、すごい勢いで断る言葉を並べ始める。
「まだ何も言ってなのに‥‥‥なおくんの意地悪」
「言わなくたってひとつしかないだろ、この場合」
 実際には、採るべき行動はふたつある。
 その子の上履きを探すか。
 下駄箱から出てくる腕の正体を突き止めるか。
 だが、上履きを探すとして、仮にそれがどこからか発見されたとしても、だからといって問題が解決するわけではない。腕の方を何とかしない限りは、再度なくなってしまう可能性は排除されないからだ。つまり、
「夜中、一緒に学校に来てくれって話だろ?」
「ん、そうなんだけど」
「もう美琴の時にやったからいいよ俺は。先生にやってもらえよ、そういうことは」
 視線を外した直樹の前に保奈美が回り込む。
「あの‥‥‥どうしても、駄目、かな」
 常になく弱気な上目遣いの表情。
 ‥‥‥敵わないな。直樹はそう思う。



「サンドイッチ作ってきたけど、食べる?」
「嫌なピクニックだな」
 同日深夜。
 思ったよりも簡単に忍び込むことに成功して、保奈美と直樹は今、昇降口の低い框に腰掛けている。
「だけど、こんな風に座り込んでていいのか? どの箱から腕が出るかはわからないんだろ?」
「そうなんだけど、下駄箱の戸は開いたらちょっと音がするから、静かにしていればわかると思うな」
「なるほど。それならそれでいいか」
 直樹はそのまま仰向けに転がる。カラフルなレジャーシートがばさりと音を立てる。
「そのまま寝ちゃったら駄目だよ、なおくん?」
「はいはいわかってま‥‥‥ぐー」
 答える言葉の途中から、既に寝息が始まっていた。
「なーおーくーんー? 意地悪してるとこのまま置いて帰っちゃうよー?」
「嘘ですごめんなさい」
「‥‥‥もうっ」
 慌てて起き上がってくる直樹を保奈美は軽く一睨み。それから向き直って傍らのバスケットを開くと、



 きん、と甲高い音が昇降口に響いた。



「ん? 保奈美、スプーンか何か落ちたんじゃないか?」
「そんなの入れてきてないよ? 持ってきてるのはサンドイッチと紅茶のポットだけ‥‥‥って、それじゃ」
 慌てて立ち上がったふたりは、二手に分かれて、両端から下駄箱の確認を始める。
「なおくん、なおくん来て」
 ややあって、保奈美が直樹を呼びに来る。どうやら見つけたらしい。
「ほら‥‥‥それ」
 保奈美に袖を引かれてやってきた直樹が目にしたのは、本当に、下駄箱の中から突き出された‥‥‥どう考えてもその持ち主がひとりしか思い浮かばない、短い腕と、小さな手のひら。
『うーん‥‥‥今度は一体、どこに繋がっちゃったんでしょうか‥‥‥』
 箱の奥から声が聞こえる。安物のラジオを遠くに置いたような不鮮明な声も、ふたりの推測を裏づけるものだ。
 そして、突き出された腕の真下、地面に落ちている銀のティースプーン。
「決まりだな、犯人」
「ん。これじゃ間違いようがないね」
 直樹はその腕をぺしっと叩き、
『わっ! ‥‥‥えっ? あの、どなたかそこに』
「スプーンは今持ってってあげますから、そこで首洗って待っててください結先生っ!」
 小さな扉の奥の空洞に大声で伝言を放り込む。
 その残響が昇降口の薄闇に紛れて消えた頃には、直樹も保奈美も、昇降口から立ち去っていた。



 まるで返り討ちか何かのように、結が取り落としたティースプーンが実験中の空間転移装置の中に落ちてしまう顛末について延々説明を聞かされた直樹と保奈美には、もう咎める気力も残っていなかった。
「さっき俺たちにバレてなかったら、上履きのこと、結先生はあのまま隠し通すつもりだったのかな」
 帰り道。
 釈然としない面持ちで直樹は腕を組むが、
「んー、いいことじゃないとは思うけど、でも仕方ないんじゃないかな。時空転移装置とか、あんな機械があるなんて、未来のことを知らないみんなには言えないし」
 何かを諦めるように呟いた保奈美のひとことで、真相は闇に葬り去られることになった。
 ちなみに後輩の上履きは、下駄箱から腕を抜いた時に転がり出てきて時空転移装置と床の間に挟まってしまったとかで、取り出すことはできなかった。
 後輩の方が代わりに新しいものを買ってしまった後でもあるので、不慮の事故なので学園から支給する、等の名目で代金を戻すことにするそうだ。
 もちろん、こんなことがこれで最後だという保証はどこにもない‥‥‥上履きの代金でプリンが幾つ買えるか計算していた姿を見る限り、少なくとも結としては、これを最後にしたいようではあったが。

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