#01 "OPEN THE GATE."  


  

 カレンの記憶にある限りでは、
「月の教団施設から『遺産』が一点盗み出され、地球に持ち込まれた、という未確認情報が」
 その日、息せき切って執務室に駆け込んできた部下は、月王国大使館開設以来初となる重大事件の発生を報告していた。
「‥‥‥そうですか」
 数秒、沈思の後に。
「当面、この件は他言無用です。大使館のスタッフにも可能な限り知られないように」
 さして驚いた様子もなくカレンは頷いて、
「はい‥‥‥しかし、対応は」
 ごく冷静に、武官執務室の椅子から腰を上げ、
「私が出ます。緊急連絡は携帯端末に回してください」
 机の傍らに立てかけられた愛刀を手にとる。



 十数分後。
 名も知られぬまま放置されるでも、忌むべき大蹂躙兵器として破壊されるでもなく‥‥‥相変わらず、物見の丘から昼下がりの太陽を指して聳える青いオブジェを、カレンはじっと見上げている。
 これは『中央連絡港市 軌道重力トランスポーター』と呼ばれるべきものだ、と今では誰もが知っている。セフィリアとフィーナ、二代にわたる交流正常化への執念は遂に、こういった形で結実を見たのだった。
 それはそれでよい。
 ただ、それとは別に、複雑な想いもカレンにはある。
 王命とはいえ、また自らの意に沿わぬことであったとはいえ、この未来へ向かおうとすうフィーナと達哉を掣肘する側に回った過去が、結果によって帳消しになるわけではない。
 今はこうして駐在武官職に復帰してもいるが、王命に背き、この遺跡から月へ向かったフィーナと達哉を手助けした事実も、消えてなくなったわけではない。
 沈鬱な顔の自分が、青い鏡の向こうで力なく笑う。
「どちらにいるのだろう、私は」
 誰にともなく、小さな声で呟いた。



「地球」
 だが、何故か‥‥‥返答はあった。
「は?」
 見慣れない少女がひとり、慌てて振り返ったカレンの目の前に佇んでいる。
「失礼。地球駐在武官、カレン・クラヴィウスと申します、司祭」
 胸元に提げられた、司祭位を示す意匠をカレンは見逃さなかった。ごく丁寧な口調で呼びかける。
「存じております、カレン様‥‥‥初めまして。私はエステル・フリージア、司祭をさせていただいています」
 まだ年若い筈の少女は、年に似合わぬ綺麗さで会釈してみせた。
 心の中でだけ、カレンは感心する。
 どうやら教団にはよい人材が育っているらしい。
「それで貴女方は、今日はこのような場所で何を」
「はい。教団の一大事ですので、ひとまずは事を収めるべく、取り急ぎ月より参りました。早速ですが、私たちはこちらで調査に入ります」
 表情も変えず、エステルと名乗った少女は告げる。
「こらエステル」
 突然。
「それは内緒」
 声だけの誰かが、エステルのスカートを引っ張った。
 先程の独り言に『地球』と応じた声。
「隠す意味がありません、リースリット様。出所まではわかりませんが、恐らくカレン様は、既にある程度事情をご承知の上で、こちらにいらしたのでしょう」
 それでも‥‥‥表情も変えずに。
「面倒くさい」
 ぶん、と小さな物音がして、まだ引っ張られたままのエステルのスカートの横に、そのスカートを引っ張る小さな手のひらが姿を現した。
 続いて全身。
「やはり」
 渋々顔のリースが煩わしげな視線を向ける。
 エステルも居合わせている手前か、愛刀に手を掛けることまではしないが、カレンの表情も剣呑そのものだ。
 こうしてまた、不倶戴天の仇同士ともいえるふたりは、地球で相見えることになった。
 そして、
「せっかくですからリースリット様、今回はカレン様にもご協力を願いましょう」
 睨み合うふたりの間に立たされながら、なおもエステルは、ものすごいことをしれっと言ってのける。
「なんで」
「率直に言って、犯人がわかりません。どこをどう調べなければならないかも判然としない今、現場レベルで王家側とのチャネルを確保しておくことは重要かと」
 極めて明晰に、理路整然と。
「カレンでなくても」
「事を収めるために威力が必要な可能性もあります。聞き及ぶ限りでは、あらゆる意味において、カレン様以上の適任者は恐らくいないものと考えられますが」
「む‥‥‥」
 そう言われてはリースとしても無碍にはできない。
「いやしかし、別に私は‥‥‥いや、私がここにいるからといって、王家が協力するということには」
「失礼ながら、ご自身が現場へおいでになっているのですから、王家はともかく、カレン様にそのつもりがないとは思えません」
 どうも教団は、喰えない人材を育てているらしい。
「わかりました。王家はともかく、私個人にできる範囲の中で、今回は協力させていただきます」
 ひとつ肩を竦めて、カレンは答えた。



 さらに数分後。
「それがどうしてこんなことになるのですか」
「そんなこと、ワタシに訊くな」
 その場だけ収めたところで、エステルはさっさと月人居住区の礼拝堂に向かってしまった。
 取り残されたのは不倶戴天の仇同士だけだ。
「それで、何が盗まれたのですか?」
 目も合わせずにカレンは訊ねる。
「大したものじゃない」
 この期に及んでも、リースはしらを切り通そうとする。
「隠すとためになりませんよ。恐らくこれでは、解決するまで私と貴女は離れられない」
「う‥‥‥」
 渋々、の他に表現しようのない面持ちで。
「船の一部。星系図とログと、サブ航法管制のポッド」
 溜め息と一緒に吐き出すように、リースは答える。
「星系図?」
「アルセ・マジョリスとか」
 あるせまじょりす、と言われても、カレンにはそれが宇宙のどのあたりのことかはわからないが、
「それは‥‥‥本来の用途のためには、例えば恒星間宇宙船が要るようなもの、なのではありませんか?」
 星系図とはそういうものだ、という知識は一応ある。
「そう。多分、それだけ持っててもプラネタリウムにしかならない」
 当たり前であった。恒星間宇宙船など、現状、この世のどこにもありはしないのだから。
「それでは、賊はどうしてそんなものを?」
「多分、それが何だか知らなかったから」
 目も合わせずにリースは呟く。
「ああ‥‥‥なるほど」
 その可能性は失念していた。思わず素で頷いてしまう。
「この遺跡が有名になってしまったおかげで」
 ひたり。青いオブジェに手のひらが触れる。
「遺跡。それに関係するもの。最近、そういうことに注目が集まりすぎている。時に、本来の用い方を顧みることすら、手にした当人に忘れられてしまうほどに」
 ようやく、リースの瞳がカレンの顔を捉える。
「恐らくはこれが、そういった愚かしいことの最初のケースだ。こんなことはまだまだ起きるに違いない‥‥‥月人の敬愛するフィーナ様は無論、ここまで考えた上でトランスポーターを復活させたのであろうな?」
 見慣れたリースの顔が‥‥‥見慣れない真紅の瞳が、にやりと笑ってみせる。



 数時間後。
 カレンとリースの姿は、大使館、駐在武官執務室の応接ソファにある。
「どれくらいのポッドなのですか?」
「このくらい」
 リースが示したのは、その二の腕くらいの長さだ。
「それを人間が、トランスポーターで?」
「そう。月から地球へ持ってきた」
「例えば、トランスポーターの入り口では流出を防げなかったのですか?」
「実験用のカプセルは、安全管理以外は結構適当」
「ふむ‥‥‥」
 何しろ、月と地球の間にあるのは宇宙空間だ。
 人間が泳いで渡れるわけではないのだから、これまではその唯一の玄関口である中央連絡港にさえ気を配っていればよかった。
 だがこの通り、今や玄関口はひとつではない。
 それは月だけの問題でも、地球だけの問題でもない。だから、みすみすそれを見逃してしまった月側のトランスポーターばかりを悪く言えた義理でもない。
 多分、『開かれる』とはそういうことなのだ。
「それでその者は、貴女が持っているような‥‥‥その、透明になれる装置は」
「持っていない」
「ということは、そのポッドを持った人間が」
「多分、どこかには映ってる。トランスポーターの画像記録はエステルがチェックしてる。もうじき連絡が来る筈」
 ならば、後はそれがどのようなルートで、地球の誰に引き渡されるか、だが‥‥‥そうはいっても、遺跡を一歩出てしまえば、そこは物見の丘公園だ。持ち出したのが誰であるかはいずれ特定もできようが、例えば、すぐに別の誰かに渡されていたりすれば、それからポッドがどこへ流れたかを追跡するのは容易ではない。
「発信機のようなものは」
「ついてない。当時はありふれた機材だった筈だし、教団の倉庫から持ち出されることも想定してなかった」
「犯人がそれを起動する可能性は?」
「動かしてくれれば追跡は簡単。でも、本当に犯人が何を盗んだかわかっていなければ、その可能性は低い‥‥‥慌てなくても、エステルが調べてる」
「しかし」
 リースはそう言うが、この状況で犯人に時間を与えてはならない、とカレンは思う。ことの始まりの時点で既に、ふたりは出遅れているのだから。
 それにもう日も暮れている。探し回ろうにも、何かと見通しが利かない頃合いだ。
 今すぐにポッドの現在位置を知るには‥‥‥我関せず、とでも言いたげな顔で紅茶を啜るリースを他所に、カレンは思案を巡らせる。
「‥‥‥そういえば、先程貴女は『プラネタリウムにしかならない』と言いましたね」
「それが何?」
「プラネタリウムとして使うには、投影にどれくらいの大きさのドームが要るのですか?」
「要らない。ポッドを中心に、任意の直径の天球儀を、空中に直接投影する仕組み」
「光源は?」
「ポッドそのものが光る」
「なるほど‥‥‥試してみる価値はありそうですね」



 その時刻から僅かに遅れて。
 それまで普段とまったく変わらなかった満弦ケ崎の夜景の中に突如現出した黒い光の半球は、あっという間に、その闇で区画ひとつの照明を丸ごと呑み尽くす大きさにまで膨れ上がった。
 宵闇をさらに黒く塗り潰す闇色の光の中で、散りばめられた無数の光点がきらきらと瞬く。
 もしかしたらそれは‥‥‥傍目には、とても美しい光景、であったかも知れない。



『現在位置が観測できません。状態を確認してください』
 黒い光球の中心部では、数名の男が絵に描いたような大パニックを演じていた。
「お、おい! 誰が動かせと言った!」
「知りませんよそんなの!」
『現在位置が観測できません。状態を確認してください』
 ポッドから発される無機質な合成音声が状態の確認を繰り返し訴えるが、残念ながら、その方法を知る者がこの場にはいない。
「いいから早く止めんか!」
「そんなこと言ったって、こんなの、どうして動いてるのかもわからないのに」
『現在位置が観測できません。状態を確認してください』
「そのポッドに位置観測用のセンサーは内蔵されていません。早く停止しては如何ですか?」
 突然響いた声に、一同は振り返る。
「教団の関係者。大使館職員。それにそちらは確か、地球政府の代議士秘書の方とお見受けしますが‥‥‥このような錚々たる顔触れが、こんな夜中に路地裏などで、一体何の騒ぎですか」
 街外れにぽつりと立った街灯の足元に、見張りに立てた黒服がひとり転がっている。
「何者‥‥‥どこにいる!」
 しかし、それだけだ。
 聞こえていたのは明らかに女性の声だが、そこに‥‥‥街灯に照らされている筈の、女性の姿がない。
「カ、カレン、様? ‥‥‥っ!」
 一方に、声だけで追っ手の正体に気づいた者がいる。
 頓狂な声を上げて、その場を逃げ出そうとした男の腕が、突然、後ろに捻り上げられた。
 間髪入れず、首筋に手刀の一撃。
 そして、くずおれた大使館職員の後ろに、ゆっくりと像を結ぶ人の姿。
「ここまでです。無駄な抵抗はお止めなさい」
 抜き放たれた白刃を、蛍光灯の冷たい明かりが照らす。



「うっ煩い! こここれを見ろ! 何だか知らんがこれもロストテクノロジーだろう! 壊れてもいいのか! う、撃つぞ! 近寄るなっ!」
 教団の手の者からひったくったポッドを小脇に抱え、代議士秘書は忍ばせていた銃をそれに向けた。
「本当に、それが何だかご存知ないのですね」
「黙れ! これだ、これさえあれば、俺は先生から‥‥‥聞こえないのか! 動くなと言っているっ!」
「ひとつ教えて差し上げましょうか。それは、恒星間宇宙船が墜落した衝撃にすら耐えたポッドです」
 だが、静止する声にはまったく耳を貸さず、
「そんな豆鉄砲で傷がつけられるとお思いなら、どうぞ引き金をお引きなさい。そう、跳弾が自分に当たらぬよう、くれぐれも注意して」
 口の端に笑みすら浮かべて。
 無人の野を征くように、カレンはゆるりと歩を進める。
 恫喝が効かないことを学習した代議士秘書は、今度はその銃口をカレンの身体に向けた。
「手が震えていますね。そんなことで、私に弾を当てられるのですか?」
「煩いいいっ!」
 奇声をあげながら、何故か代議士秘書は、小脇に抱えたポッドの方をカレンめがけて放り投げた。カレンがそれに気をとられた隙に、闇の奥にある黒塗りの車へ向かう、という筋書きであったらしい。
 激昂したように見えていた割に判断は冷静だが、しかしその冷静さも、結局は、結果に恵まれないまま終わることになる。
「リース!」
 短く名を呼びながら、カレンは受け止めたポッドを抱え、その場に膝を突いた。
 そして、その向こう側から。
 宵闇をさらに黒く塗り潰す闇色の光の中へと飛び出した、その場を埋めるすべての黒よりもさらに深く濃い漆黒の衣を纏った小さな影が、カレンの背中を踏み台にして大きく跳躍。
「な‥‥‥っ」
 いかにも小柄で体重も軽そうなその影は、黒猫を思わせる動きで縦に回転し‥‥‥足りない重みの代わりどころか、威力を倍する程の速さと勢いを載せた必殺の踵を、代議士秘書の脳天めがけて打ち降ろした。
 車へ向かうどころか、悲鳴を上げる暇すら与えられず、潰された蛙さながらに、代議士秘書はその場に倒れ伏す。
 次の刹那。
 唯一健在であった教団の手の者の首元には、カレンの刃がひたりと寄せられている。
 阿呆のようにぽかんと口を開けたまま、そこに棒立ちになっていた教団の裏切り者は、棒立ちのまま、全面降伏を余儀なくされた。
『現在位置が観測できま』
 リースの操作でポッドは機能を停止する。
 闇色の光が晴れると、空には大きな満月があった。



「お疲れさま、カレン。リースも」
「いえ‥‥‥それよりも、何故フィーナ様がこちらに?」
「そのことなのだけれど」
 事後、礼拝堂。
 犯行グループを連行したふたりを出迎えたのは、先程のエステルと、フィーナであった。
「今度のことでは、教団の信徒が大使館員を通じ、月から適当な『遺産』を持ち出して、地球で売り込もうとした。秘書は関係を否定しているから、代議士自身が直接関与していたかどうかはわからないけれど」
 思いついた者。
 それを実行した者。
 それぞれが、大事なことを何も知らずに‥‥‥何を盗んだのかさえ知らないまま、彼らは盗みを働いた。
「盗まれたのが星系図のポッドだったので、教団側からの遠隔操作で『遺産』を直接起動する信号を全方位へ発信。展開された星系図の位置を捕捉して、犯行グループの受け渡し現場をふたりが押さえた」
「はい。大筋に相違はありません」
「それで、こちらでは、月で事後処理に当たられている高司祭と、さっきまで話をしていたの」
 例えば今度のような事態の中で、少しずつでも情報が漏れてしまううちに、教団が『遺産』の管理に当たっていることも、いずれは公然の秘密と化してしまうだろう。
「だから、こんなことはこれからも起きる、そういう前提で今後の事態に向かっていかねばならない、ということで見解が一致したわ。とても残念なことだけれど」
 恐らくはこれが、そういった愚かしいことの最初のケースだ。こんなことはまだまだ起きるに違いない。
 見慣れない赤い瞳のリースリットも、確かさっき、そんなことをカレンに言った。
 ‥‥‥トランスポーターは身に余る道具なのだろうか。
 月と地球が手を取りあうには‥‥‥扉を開いてしまうには、人間はまだ幼すぎるのだろうか。
「いえ。だからといって、今が理想と程遠いことを嘆いてはいけないわ。私たちは、今から始めるのですから」
 カレンの内心を察したのか、
「それをこれから、カレンにも手伝って欲しいの」
 フィーナはそんなことを言って笑う。



「回収された『遺産』は重要度や危険性によって分類され、それぞれに保管される場所などが異なります。あくまでも比較論ですが、今回盗み出されたものは、ある程度内情に詳しい信徒であれば比較的容易に侵入できる場所に保管されていました。また、著しく危険であると判断されたものは発見の段階で破壊してしまうことが多いので、逆説的に、保管されているものについては総じて必要以上の注意が払われていなかった‥‥‥ある意味では、この脇の甘さが今件の遠因ともいえるかと思います」
 すらすらと澱みなく続いたエステルの説明は、
「まずは既に教団の管理下にある『遺産』について、保管の方法や場所を早急に見直す必要があるでしょう。その際に検討せねばならないのは、各地に埋設された遺跡を調査する人材の他に、『遺産』の守護を任務とする人材が必要だ、という点です‥‥‥さて、そこで」
 何故か、カレンに目をやったところで唐突に終わった。
「え? ‥‥‥私が、何か?」
「高司祭と、今度のような不心得者から『遺産』を守る組織を作りましょう、という話をしていたの。教団と王家、そのどちらか片方のためでなく、強いて言うなら人類全体のために‥‥‥だから、教団と王家と、できれば地球からも人を集めて」
 不用意な『遺産』の流出を未然に防ぐための組織を。
「いえ、あの、まさかとは思いますがフィーナ様、私に」
「まさか、って‥‥‥あらゆる意味において、カレン以上の適任者は多分いないと思うのだけれど。例えばほら、今日だって大活躍だったのでしょう? 頼もしいわ」
「しかしそれでは、武官の職責が全うできません」
 駐在武官という仕事に、カレンは誇りを持って取り組んでいる。故にこそ、安請け合いはできなかった。
 もちろん、次期国王であるフィーナの命とあれば、臣下であるカレンに否やはない。だが駐在武官職は、そんなことに恒常的に関わっていても勤まるような閑職ではない。大体、今日のことにしても、置いてきた多量の書類や案件や、そういったものが執務室で唸りを上げている筈なのだ。
「それなら、駐在武官の執務内容を見直します」
 しかしフィーナも譲らない。
「カレンが心から『やりたくない』と思っているなら無理強いはしないわ。でも、最初のメンバーはカレンとリース、このふたりであることに意味があると思うの」
 なんでワタシが、とリースは呟いたが、その声にはほとんど誰も耳を貸さなかった。
 唯一の例外であったエステルも、諦めてください、とでも言うかのように、小さく首を横に振ったのみだ。
「今、トランスポーターが再び目を覚ましたことの本当の意味、その重さを知っている人だからこそ共有できる気持ちがある筈だと、私は信じています」
 月のためだけでなく。
 地球のためだけでなく。
 ‥‥‥私が、私として、私の信じるもののために。



「『ケルビム』、ですか」
 数日後、駐在武官執務室。
「ええ。フィアッカが教えてくれたの。地球の創世神話のひとつに、そういう階級の天使が登場するそうよ」
 エデンには知恵の樹と生命の樹があった。
 それらの実を食べてはならない、と最初の人間たちは神に言いつけられたが、蛇に唆された人間たちは言いつけを破り、知恵の樹の実を口にしてしまう。
「人間たちを楽園から追い立て、エデンの東の門を‥‥‥生命の樹の実を守る、神から遣わされた門番の天使が『ケルビム』」
 どうやらそれが、『遺産』の守護者たちに与えられる名となるらしい。
「本当は、この名を口にする機会が、もう二度と来なければいいのだけれど」
 多分、そうはならない。
 意を汲み取って、フィーナに頷いてみせるものの、
「それにしても、あのリースが‥‥‥恣意的に『遺産』を悪用している張本人が一緒、というのは如何なものかと」
 その点については釈然としないカレンであった。
「でも、いいコンビだったと思うけれど?」
 まるで見てきたようなことをフィーナは言う。
「そんなことは‥‥‥いいコンビ、ってまさか」
「ええ。あのポッドには、星系図の近くの様子を記録しておく機能もあったの」
 そんな話は聞いていない。
「な‥‥‥っ!」
 見る間に赤く染まったカレンの顔を見やって、
「昨日エステルに教えてもらって、拝見させていただきました。あの調子なら上手くやっていけそうね」
 フィーナはおかしそうに笑った。

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