ちょうど零時を回った頃、常夜灯の弱々しい明かりだけの薄暗い部屋の中。
「‥‥‥ふ、っ」
つい何十秒か前まで激しくベッドを軋らせていた、孝平のかたちをした獣は、大きく息を吐いて、狭いベッドの隙間に身体を滑り込ませた。
「‥‥‥はーっ、はーっ、はーっ」
陽菜によく似た獣は、同じベッドの真ん中に仰向けに転がったまま、それから暫くは肩で息をしながら、じっと天井を見つめていたが、
「ふふ‥‥‥お疲れさまでした」
本当は人間だったことを思い出しでもしたのか、小さく笑いながら孝平に向き直った。
「なんか、『お疲れさま』って言われるのも変な感じだな」
「ん。でも、こういうことの後に何を言ったらいいのか、私、よくわからなくて」
「うーん‥‥‥っと」
左の二の腕に陽菜の頭を載せて、
「そうだなあ。ええと」
「ん」
空いた手で長い髪を梳きながら、
「その、あー」
散々勿体つけておいて、
「‥‥‥お疲れ」
「ぷっ」
結局、孝平もそんなことしか思いつかない。
「んー。別に、言いたいことが全然ないってわけじゃないんだけどな」
きもちよかった、とか。
しあわせだ、とか。
「私も。こう、してる最中は何でも言っちゃえるっていうか、言わされちゃってもしょうがないやって、それはもう諦められちゃうっていうか」
ぶつぶつ呟く陽菜の声がどんどん小さくなっていく。
「でも、終わった後で改めて何か言うのって、やっぱりちょっと照れくさい、かな」
最後の方はもう、声というよりは言葉になりかけの吐息に近かったが、
「うん。何かこう、別の恥ずかしさがある感じ」
「そうそう」
それでも孝平には、言わんとすることがきちんと伝わっているようだ。
「何も言わないで、こうやってずっと孝平くんとくっついてるのも、いいなって思うんだけど‥‥‥でもやっぱり、何も言いたくない、っていうわけでもなくて」
「あ。そういえばかなでさん、『お話することがありません、っていうお話ができるようになったら合格』とか、前にそんなこと言ってたと思うけど」
「そういえば、そうだったね‥‥‥って」
陽菜は言葉を切って、肩越しに背後の窓へ目をやる。
「‥‥‥いない、よね?」
「まあ、大丈夫だと思うけど」
窓硝子は冬用の厚手のカーテンの向こうだ。
鍵は確認したし、大体、窓が開いていれば温度で気づくだろう。
「寒くない?」
「今はまだ。でも、もうちょっと経ったら」
「そうだな‥‥‥っと」
散々蹴飛ばされて足元で丸まっていた毛布を引っ張り上げてから、陽菜の頭を二の腕に載せ直した。
「ねえ孝平くん、『お話することがありません、っていうお話』って、どういうのなのかな?」
言いながら、既に半ば埋まっていた顔を更に毛布の中へ沈み込ませて、陽菜は孝平の胸に頬を寄せる。
「こういう時に何を話すか、ってことも入ってるような気がするんだけど」
「こういう時って?」
「だから、ええと‥‥‥恥ずかしい時に、恥ずかしい話をするってこと」
「んー」
陽菜は少し首を傾げ、
「いつも孝平くんが激しくって大変です、とか?」
「ぶっ」
いきなりの直球を繰り出してくる。
「‥‥‥激しくない方がいい?」
「ううん、そんなことないよ? ないけど‥‥‥ないけど」
「ないけど?」
「ないけど、何ていうか、いっつも私ばっかり追い詰められちゃってくみたいで、余裕がない感じっていうか」
毛布の奥から、どこか拗ねたような声が呟く。
「私も、孝平くんが慌てちゃうようなこと、孝平くんにいろいろしてみたい、かも」
「んー‥‥‥陽菜が言うみたいな余裕とか、俺にだって全然ないと思うんだけどな」
実際、孝平にしてみればそれが本音であるのだが、
「そうは思えないけどなー」
今度はそんなことを呟きながら、唐突に、陽菜の細い指先が臍の辺りをなぞる。
「うわ、っ」
孝平の口から呻き声が零れた。
「ふふ。‥‥‥意外と本当かも」
「だから本当だって。その‥‥‥だから、すぐに夢中になっちゃってると思うし」
「ふむふむ。なるほどなるほど」
臍の窪みに引っ掛けられた爪は、胸板までまっすぐに滑り上がり、喉仏で立ち止まる。
「ん‥‥‥陽菜ー」
再び吐息を漏らしてから、
「あ」
孝平も毛布の中に潜り込み、そこにあった指先を唇で銜える。
「逆襲していい?」
部屋が明るくて、顔が見えていたら、その時の孝平はどんな顔に見えたのだろう。
「え? ‥‥‥だっ駄目、ちょっと待っ」
「待たない」
「っ、孝平くん‥‥‥っあ‥‥‥」
さっきまで獣のようであったことを、ふたりとも、すぐに思い出したようだった。
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