「それは‥‥‥」
そこで一旦言葉を区切り、陽菜は考え込む仕草。
「ちょっと難しいんじゃないかな」
「やっぱりそう思う?」
正面の陽菜と同じ角度で、かなでの顔も僅かに傾いた。
「んー。今回は流石に、相手が相手だけに」
「そっかー」
部屋の床にこてんと転がる。
まるで自分の部屋にいるかのような寛ぎようだが、実はここはかなでの部屋ではない。
「いや、ちょっ、寮長?」
そのせいか、ますます肩を縮こまらせながら、瑛里華がかなでの肩を叩く。
「ただいまー。お茶菓子持ってきましたー」
薄い身体が通る分だけ玄関扉を開けて、こっそりと白が忍び込んできた。
「おー、お帰りー!」
途端、むくりと身を起こしたかなでが、そんな白の気遣いを一撃で台無しにしかねない、呑気な大声で応じる。
「‥‥‥ねえ、不味いんじゃないかな、やっぱり」
心情、及びそれに起因する態度の話としては、陽菜のそれは先程の瑛里華や白にやや近い。
「大丈夫大丈夫。いつものことだし」
「いや、だから、いっつも不味いことをしている、っていう自覚はないんですか」
「ないよ? なんで? っていうか、それはいいから本題に入ろうよ」
あっけらかんと言い放つかなでに、瑛里華と陽菜が溜め息を吐いた。
「よくないから本題に入れないんだと思うんですけど」
「それはいいから、本題に入ろうよ」
「二回言った‥‥‥」
呆気にとられたように瑛里華は呟いたが、
「本題に入ります! ぱふぱふどんどんー!」
追い打ちか何かのように、三度目が襲ってきた。
「議題そのものはとっても簡単なんだけどねー」
一転、顰めっ面になったかなでが、卓袱台の上に投げ出されたメモ帳をぺちんと指で弾く。
『きりきりのお誕生会』。
開かれたページには、この一文以外に書きつけられた文字はない。つまるところ、それが集まった四人にとっての『議題』のようである。
「まあ、本人に内緒で準備を進めることは、紅瀬さん相手に限っていえば大して難しくないと思うわ。それよりも問題はこの」
横から瑛里華がそのメモ帳に指を伸ばして、『きりきり』と書かれた辺りを爪でこつこつと小突いた。
「『主賓は紅瀬さんです』っていう事実そのもの、よね」
別に瑛里華は、桐葉と仲が悪いからそう言っているのではない。
「うん‥‥‥お誕生会みたいなこと自体、やっても喜んでもらえるかどうか」
「ですね。それに、紅瀬先輩にどうやって会場まで来ていただくか、という問題も」
「んー。やっぱりその辺が思案のしどころだねー」
瑛里華がそう言うのは、それが共通の認識という奴であるからだ。
「取り敢えず、お誕生会の会場まできりきりを誘き出す作戦については」
「誘き出す、ってそんな」
いちいち発言が不穏なのは何とかならないのかしら。
心の中でだけ、瑛里華はひとりごちる。
「そこはまあ、こーへーに上手くやってもらえば大丈夫じゃないかな? っていうか、今のところはそのつもりでいるんだけど」
「ですから、その『上手く』の部分を、具体的にどう『上手く』やるのか、でしょう。問題は」
長く伸ばした金髪を指にくるくる絡ませながら、今度は声に出して、ぼそっと呟く。
「それに‥‥‥んー、今回に限っては、支倉くん頼みっていうのも、ちょっと難しいんじゃないかと」
「やっぱり?」
「だって、主賓が来ないどころか、支倉くんと紅瀬さんが一緒に逃亡しちゃって、結局主賓も彼氏も両方いない、っていう可能性だってあり得ますよね」
この発言も、別に瑛里華が孝平を信用していないが故の発言ということではない。
「まあ、きりきりとこーへー、今がいちばんらぶらぶらな時期だもんねえ」
ただの女生徒ならいざ知らず‥‥‥まあもしかしたら瑛里華に対しては殊更冷淡なのかも知れないがさておき、その瑛里華に対してだけでなく、基本的にはこの世のあらゆる他人に対して等しく興味を示さなかった『あの』紅瀬桐葉が、何故か、いつの間にやら孝平とデキていた。
その事実は既に学院中の知るところである。
となれば当然、
「『誕生日は孝平とふたりっきりがいいわ』なんて言って、もう約束決まっちゃってたりしたら」
そういう可能性も考慮するべきであるだろう。
「じゃあ、最初から日付をちょっとずらしておくとか。ほら、二十一日って今年は土曜だから、その日も次の日もお休みだし、二十三日だってお休みでしょ?」
「でも、お誕生日にやらないお誕生会って、あんまり意味ないんじゃない?」
「そこにこだわり過ぎた挙げ句、結局開催できませんでした、みたいな結末になるよりはいいかと」
「んー‥‥‥でもやっぱり、そういう先約が入っちゃう前に、アポだけはとっちゃっておきたい、かな」
かなではあくまで当日強行にこだわっているようだ。
「ですがかなで先輩、アポってどうやって」
さっきからずっと白も困り顔だ。
「サプライズパーティにするとなると、支倉先輩にも『お誕生会をするんですよ』とは言えないですよね」
「それが問題なんだよ‥‥‥」
「生徒会を口実に使うのはどうでしょう? 支倉くんも紅瀬さんもメンバーなんですし」
瑛里華は何か思いついた顔だが、
「でも千堂さん、理由聞かれたらどうするの?」
「う‥‥‥そこなんだけど」
陽菜の指摘は痛いところを突いたようだ。
「じゃ、問答無用で連行できる理由が何かあればいいんだよね? えっと‥‥‥じゃあ、業務上横領致死の現行犯」
無茶苦茶であった。
「一応念のためお伺いしますが、意味わかって仰ってるんですよね寮長?」
「わかってるけど、別に本当に何かやってるわけじゃないんだから、そこは適当でもいいかなって」
適当にも程があった。
「連行だろうと任意同行だろうと、紅瀬さんが納得しなかったら来ない、って意味では一緒です」
「‥‥‥ああ」
そういえば昨夜の『横綱刑事』が、発覚しかけた横領の証拠を口封じによって揉み消そうと企てた某企業の取締役を追い詰める、といったような筋書きだったことを陽菜は思い出す。
「何が『ああ』なんですか?」
そう呟いて白が陽菜を見つめるが、
「え? ああ、何でもないよ。あはは」
返す言葉は陽菜にはなかった。
「仕方ない」
突然、
「では、ここは最終兵器に活躍していただきましょう」
ぱちん、とかなでが指を鳴らす。
「まず白ちゃんが」
「え? ‥‥‥ちょっ、え? わ、わっ私ですか?」
もちろん、慌てふためいたのは『最終兵器』その人であった。
「ん。まず、白ちゃんが当日、『ううう持病のシャクが』とか言いながら、きりきりの前で倒れる」
「時々そういうお話でだけは聞くんだけど‥‥‥お姉ちゃん、『持病のシャク』ってどんな病気なの?」
「さあ?」
ちなみにその『癪』、『胸や腹のあたりに起こる激痛の総称。さしこみ。』と辞書にはある。つまり『癪』自体は病気の名前ではなく、何か別の病気の中に『癪』という症状がある、と考えるもののようだ。
また、古来より女性に『癪』が多いとされた点については、生理痛も『癪』のうちだから、ともいわれている。
「わかんなかったら持病の偏平足とかでもいいよ?」
あくまでもかなでは適当だ。
「偏平足の発作ってどんなのよ一体‥‥‥」
瑛里華は頭を抱えている。
「それでまあ、何でもいいけど目の前で倒れて、きりきりに運んできてもらうという」
「あの、それで直接保健室に運ばれちゃったらどうするんでしょう?」
「そうならないように頑張る!」
「頑張る、ですか‥‥‥」
最終兵器はがっくりと項垂れた。
「でも白ってアドリブに強い方じゃないでしょ? それこそ、寮長がやればいいんじゃないですか?」
「ああ、それは多分ダメだよ」
「どうしてですか?」
「わたしとかえりりんがそんなことやっても、きりきりに置いて行かれちゃうだけだと思うよ?」
それは、ある意味においては正しい分析であったかも知れないが、
「そんなことないと思いますけど‥‥‥」
どうやら瑛里華には別の見解があるようだ。
「でもとにかく、そのシチュエーションで行き先が保健室じゃないのって不自然ですよ? そうね、百歩譲って、白がやるなら白の部屋とか、寮長が倒れて寮長の部屋とか、そういうことならまだわかりますけど、それも」
「そこが会場じゃなかったら、保健室に連れて行かれるのと変わらない、ってことだよね」
「そうそう。それに白の部屋も寮長の部屋も、そこをお誕生会の会場にしちゃったら支倉くんが入れないわ」
「それならこーへーが『持病のシャク』で」
「それで紅瀬さんが、孝平くん抱いて部屋まで歩くの?」
「ぎ、逆お姫様抱っこ‥‥‥」
呟いてみて‥‥‥それはそれで、紅瀬さんがやると妙に絵になるシチュエーションかも、などと埒もないことを瑛里華は思う。
実際、『眷属』である桐葉の身体能力まで考慮に含めれば、そのくらいは特に負荷らしい負荷にならない‥‥‥あるいは、そこまで承知している瑛里華だからこそ、瞼の裏に『逆お姫様抱っこ』とやらが像を結んだりするのかも知れなかった。
「だけど、紅瀬さんは女の子で、孝平くんは男の子でしょ? 確かにちょっと体育は得意みたいだったけど、逆お姫様抱っこなんてできるのかな」
そして、事情を知らない者には、知らないなりの心配があるものであるようだ。
「まあまあ。そこが問題じゃないでしょ」
陽菜に向かって瑛里華はぱたぱたと手を振った。
改めて言うまでもなく、『業務上横領致死の現行犯』だの『持病のシャク』だのといった胡乱なプランが採用される筈はないのであって。
「どうしてもやるんだったら、支倉くんも共犯にするのがやっぱり順当じゃないかしら」
瑛里華は既に、次善策についてあれこれ想いを巡らせているようだ。
「共犯?」
「支倉くんにだけは事情を話しちゃうってこと。で、会場へは支倉くんに引っ張って来てもらう」
「そのままきりきりに筒抜けになっちゃわないかな」
多分それは、『孝平の口の堅さ』のようなこととは別種の問題だとかなでは考えていて、恐らくそれは、この場の四人、さらにいえば孝平を含めた全員に共通の認識でもあるだろう。
なにしろ相手はあの紅瀬桐葉だ。
その種のパーティが開催されることを無条件で喜ぶ種類の人間だとは思えなかったし、故にこそ、彼氏である孝平にそんな話をすれば、孝平が真っ先にそこを気にするであろうことも目に見えている。
かなでが殊更サプライズにこだわることには、事前に予告することで主賓に来場を回避されてしまう可能性を懸念しているから、という事情もあるのだった。
「まあ一応口止めはするとして、それでも言っちゃったらもう仕方ないでしょう」
「うーん‥‥‥」
「それに、さっきもちょっと話に出てきたスケジュールのことだって、先に確認しないといけないんですし。事情を話さずに予定だけ本人から聞き出すとか、そういう器用なことが誰にもできないから、こうして今、みんなで悩んでるんですよね?」
言いながら一同を見回す。
陽菜が小さく首を横に振った。
続けて白も。
ところが、
「わたし、聞いてもいいけど」
「‥‥‥へ?」
当然、同じく首を横に振るものと思われたかなでは、意外にもあっさり安請け合いした。
「聞けばいいんでしょ? きりきりに、二十一日の予定」
「そうだけど、お姉ちゃん‥‥‥あの、こういう言い方ってよくないけど、紅瀬さんが本当のことを話してくれる、って本当に思う?」
ここに本人がいないのはわかっているが、それでも一応は左右を見回してから、
「きっと、孝平くんが聞くんじゃなかったら、本当は何もなくても『用事がある』って言われちゃうんじゃないかな? そんな気がする」
陽菜は、そういう言い方をした。
「おまけに、その支倉くんと会うっていうだけのことも、紅瀬さんにしてみれば立派な用事だしね。取り敢えず『ない』って言っておいて後から支倉くん捕まえるとか、そんなの、やり方は幾らでもあるでしょう」
「むー‥‥‥難しいなあ」
かなでの眉間に皺が寄る。
「ええ難しいです。難しいから、せめて支倉くんはこっちの味方に欲しいですよね、ってことですよ」
瑛里華が人差し指を立てた。
「サプライズにこだわって、会そのものが企画倒れに終わるリスクを背負い続けるか。より確実に会を成立させるために、サプライズが不発に終わるリスクを取るか。‥‥‥どっちが大事かなんて、そんなの考えるまでもないと思いませんか、寮長?」
いつの間にか熱を帯びている瑛里華の声を聞きながら、
「瑛里華先輩、やる気ですね」
夢見る少女のように両手を組んで、白が呟く。
「そうだね。火が点いちゃったのかも。いちばん最初、ここに誘った時には、こんなに乗り気じゃなかったのにね」
陽菜が囁いて、白とふたりでくすくす笑う。
「ほらそこ! 何こそこそ喋ってんのよ!」
こういう時には叱り飛ばす声すら輝いて視える。
確かに瑛里華は、俄然ノってきたようであった。
「という方針で、大体いいと思います。‥‥‥まあ、支倉くんがこれでいいって言ってくれれば、って部分がかなり残っちゃってる感じですが」
結局、瑛里華が陣頭に立って纏める形で、大まかなプランが纏め上げられた。
「ん。そうだね」
「それでは、まず支倉先輩と相談ですね」
「あ‥‥‥だから、この場所だったの?」
今頃気づいたかのように、陽菜が室内を見回す。
「それもあるよ。一応内緒話だから、談話室とかは使えなかった、っていうのもあるけど」
かなではあっさり肯定した。
「そういえば寮長、支倉くんは最初から巻き込むつもりでいましたもんね」
「まあねー」
えへへ、とかなでは笑う。
「実際、チャンスだと思うよ? 今ならこーへーが一緒にいるから、前よりもきりきりと仲良くなりやすいし」
「んー‥‥‥その、仲良くなりやすくなる前の紅瀬さんを、あの支倉くんが墜としたわけですよね。どうやったのかしら一体」
心底不思議そうに瑛里華が首を傾げる。
「あの、ええと先輩、ちょっと発言が失礼では‥‥‥」
別に孝平はいないのだが、白はきょろきょろ辺りを見回す仕草。
『あれ? 明かりが点いてるのか?』
ちょうどその時、玄関の向こうで声が聞こえて、
「わっ!」
「あ、帰ってきた! こーへーお帰りー!」
気の早いかなでが手を挙げるのとほぼ同時に、
「‥‥‥何やってるんですか他人の部屋で」
呆れ顔でぶつぶつ呟きながら、部屋の主が自室に踏み込んできた。
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