左手の甲で頻りに瞼を擦りながら、
「桐葉ー。おい桐葉ー」
着物の裾をずりずり畳に引き摺りながら、真夜中、真っ暗い部屋の中を伽耶が彷徨っている。
「うう、なんであたしの方が眷属を捜して歩かねばならんのだ」
その手の下、瞼の方はもう半分落ちかけているし、足元もよたよたと頼りない。今にもその場にぱたりと倒れてしまいそうだ。
「きーりーはー」
むずかる子供の小さな声だからか、それとも、桐葉が本当にそこにいないからなのか。
呼べども呼べども答える声はなく、
「‥‥‥むう。奴め、戻って、きたら」
そのうち‥‥‥衣擦れの微かな音に、ぱたり、と小さな音が混ざったのを最後に、広い広い畳敷きの部屋からは物音ひとつ聞こえなくなった。
「ん」
ひとつ身じろぎをした。
「‥‥‥んむ」
ぐるりと寝返りを打って、下に敷かれた膝に頬を埋めるように頭を押しつけて、そのまま、また寝息をたて始める。
「ふふっ」
頭上、誰かの笑う声が聞こえる。
「‥‥‥きりは?」
起きているのかいないのか、寝惚けた声が訊ねる。
「さあ、どうかしら?」
違う誰かの声が答える。
「何を言っているのだ桐」
いつかのように目を擦りながら、その場に身を起こすと、
「お生憎さま」
この世で最も夜目の利く伽耶の瞳に、娘の姿が像を結んだ。
「ちなみに、紅瀬さんなら自分の部屋で寝てます」
「何だと? 奴め、主の言いつけを聞かんとは」
「寂しいから一緒に寝て、っていうのが言いつけ?」
「なっ何を馬鹿なっ」
「ふふ」
「貴っ様ぁ‥‥‥」
多分今、伽耶は耳まで赤く染まった顔をぷいと背けている。
吸血鬼としての能力を喪って暫く経つが、それと引き替えに得てきた経験や知識が、瑛里華にそれを教えている。
「もうひとつ、紅瀬さんの名誉のために補足すると、結構ギリギリまではこの部屋にいました。だけど例の、眷属の眠りっていうのが来て」
「だからそのままそこで寝ておれば。あんな出来損ないだが、抱き枕の代わりくらいにはなるものを」
憎まれ口がやや弱々しい。
「そういうのはお断り、だそうよ。たとえ主であっても」
「主に意見する眷属がどこに‥‥‥やれやれ、あたしも丸くなったものだ」
次には、ふ、と息を吐いて、呆れたような笑みを浮かべる。
「それで娘。貴様、今度は何を企んでおる」
「あら。何か企んでないと、母様に膝枕して差し上げてはいけませんか?」
瑛里華はしれっと言ってのけ、
「そうね。強いていえば‥‥‥紅瀬さんの代理としては物足りないかも知れませんが、できればこのまま、大人しく膝枕されていて欲しい、という企みが」
「だから何だそれは!?」
「言葉の通りです」
にこやかに笑いながらそんなことを言う。
「‥‥‥ふん。勝手にしろ」
意趣返しか何かのように勢いをつけて伽耶はその場に寝転がり、さっきもそうしたように、瑛里華の脚にしがみついた。
「ふふっ、動けまい。足が痺れても知らんからなっ」
まるで子供の強がりだ。
傍目にはどちらが母親だかわからない。
「ご心配なく。私は眷属じゃないんですから、本当にダメなら適当に逃げるわ」
「眷属だって逃げるではないか」
「紅瀬さんだって、屋敷から逃げたわけじゃないでしょう?」
対して瑛里華は、にこやかに笑いながら、右手の指で伽耶の長い髪を梳く。
「ったく、ああ言えばこう言う‥‥‥」
「母様の娘ですもの」
「‥‥‥ええい! もう寝るっ!」
そう言った伽耶がまた顔を赤らめているであろうことも、
「はい。おやすみなさい、母様」
やはり見えてはいないが、それでも、瑛里華にはわかっていた。
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